インドネシアの近現代史を知る@フレデブルク要塞博物館

ソノブドヨ博物館からマリオボロ通りに北上すると、フレデブルク要塞博物館が見えてきた。オランダ軍による要塞跡を利用したインドネシアの近代歴史博物館である。


独立運動を主導した五虎将の像が目印。マリオボロ通りの南端、迎賓館の対面にある。

ひだり みぎ
博物館前のマリオボロ通りは露店で埋め尽くされていて、若者を中心にお祭り騒ぎになっている。どうやらここら一帯はパサール・ソレ・マリオボロと呼ばれる露天市になっているようだ。衣類・軽食の出店が目立つ中、ストリートミュージシャンによる演奏なんかもあったりして中々の活況を呈している。

ひだり みぎ
死んだ目をしたすっごい不愛想な表情のマスコットも出動して子供をあやしてる。

博物館の敷地内に入っても凄い人だかり。日曜日ということもあり、小中学生が社外学習で来ているようだ。中には揃いのユニフォームを着た大の大人の集団もいるので、大人の社会科学習スポットにもなっているのだろう。長蛇の列ができたエントランスに並び、前に並んでいた現地人同様に2,000ルピアを差し出すと、外国人は10,000ルピアとの指摘を受ける。ジョグジャの観光スポットはどこもかしこも漏れなく二重価格になっている。


先ずは入り口近くにあるオーディオルームに入ってみると、近代武装した白人部隊に立ち向かうインドネシア群集という構図の映画が永遠と流されている。いかにも張芸謀作品的なタッチの映画である。インドネシア語オンリーで内容は不明だが、クーラーが効いていて快適なので、ついつい長居をしてしまう。

続いて、インドネシア近現代史を時系列で説明するジオラマを見て回る。

【ハメンクブウォノ9世王位継承】

1940年3月18日、現スルタンの父・ハメンクブウォノ9世が即位式によって王位を継承する。戴冠式のスピーチで「自分自身の源はジャワにあるとし、西洋の教育を味わってもいつまでもジャワ人だ」と力強く語られた通り、後に勃発する独立戦争では重要な役割を担うことになる。蘭支配時代、日本支配時代、独立闘争と激動の時代を駆け抜けたハメンクブウォノ9世だが、1988年10月1日に崩御。御年76歳だった。

【日本軍、ジョグジャカルタへの進軍】
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1942年3月6日、ジョグジャカルタに日本軍が到着。ソロ方面からやってきた日本軍はトゥグ塔で南に方向を変え、マリオボロ通りを南下して王宮へと歩を進めていったそうだ。インドネシア国歌であるインドネシア・ラヤを歌い、「Nippon and Indonesia are just the same」と叫ぶ日本軍兵士。短剣でもってオランダ王女のポスターを切り裂いていった。なんせ、日本の進軍は東亜の解放を目的とするものでしたからね。

【日本軍による軍事訓練】

1942‐45年のジオラマ。旧日本軍によりPETA(郷土防衛義勇軍)、ヘイホ(兵補)、学童、青年団、警防団に対する軍事訓練が行われた。日本軍兵士と同じように剃髪し、同じように帽子を被り、同じように行進訓練なども行った。また、奉公精神の重要性も学生のうちから徹底的に叩きこまれたそうだ。「私達は自分さえ良ければいいという心を捨てて、家族の為、仲間の為、国家の為に尽くす精神、公の為に命を懸けて戦うという武士道精神を日本人から学びました。私達はその精神でオランダと戦ったのです。」とは元義勇軍兵士バンバン・プノルモ氏の弁。

【労務者】
ひだり みぎ
「ロウムシャ」と呼ばれた人々に作業させているところ。ROMUSHAという英語表記があったが、日本の立場を慮ってか英語による解説はなかった。日本国内ではインドネシア独立への日本軍政の貢献という一面がしばしば強調されるが、一方では民族旗の禁止や労務者問題などの負の側面もあり、功罪両面の評価があることは知るべしだ。もちろん、インドネシアの脱植民地化を加速させた事実には変わりはないし、負の側面として指摘されるのは目的の為の手段として致し方なかったのだと思うけど。

【オランダ兵と日本軍捕虜の輸送】

1945年9月29日、イギリス軍第一陣がジャカルタに上陸、10月1日付でイギリス陸軍中将指揮下の蘭印連合軍(AFNEI)司令部がジャカルタに開設され、旧日本軍は武装解除される。1946年4月28日には550名のオランダ人兵士と日本軍捕虜がジョグジャカルタのトゥグ駅から鉄道でジャカルタへ輸送された。

日本の敗戦後、インドネシア側の武装勢力に身を投じて独立戦争に参加した日本軍将校の数は数千にのぼったという。戦前・戦中、日本が大東亜共栄圏、東亜新秩序を打ち出していたことから、欧米からのインドネシア解放・独立の為にインドネシアの独立戦争に参加し、インドネシア人と「共に生き、共に死す」を誓いあったのである。独立戦争参加に志願して命を落とした元日本兵はジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ、国の為に戦った英雄としてインドネシア各地の英雄墓地に葬られている。泣かせる美談じゃあありませんか。

このあたりの話に関心のある方は、インドネシア独立戦争に参加した日本兵を描いた日本・インドネシア合作映画「ムルデカ17805」をご覧あれ。

【インドネシアゲリラVSオランダ軍】
ひだり みぎ
インドネシアは独立を宣言したが、オランダは独立を認めず軍隊を派遣して独立派を弾圧した。地獄の様な戦闘が続く独立戦争の勃発である。日本軍の教練により鍛錬されたインドネシア独立義勇軍によるゲリラ攻撃はオランダ兵を苦しめ、それに対しオランダ軍は独立派を殲滅する為に各地で蛮行に走るようになった。ゲリラの疑いがあるとの一方的理由から人々は拷問され、家々は火を放たれるなどの残虐を受けた。そんな血みどろの独立闘争の末、1949年12月、インドネシアは15万以上の犠牲者を出し、ついに旧宗主国オランダとイギリス連合軍との戦いに勝利して独立を勝ち取った。僅か66年前の出来事である。

ひだり みぎ
オランダ兵を苦しめたゲリラ部隊。等身大の人形が並んでいて、近くを通るとファイナルファイト的な殴打する音なんかが流れる小細工まで準備されている。


等身大でリアル。他にも敵兵を銃で殲滅させるようなゲームもあったりと、博物館の内容は途中から迷走してしまう。


ゲリラ活動呼びかけのポスターかな?文字的に戦後のものだろう。戦争映画のポスターかなんかだろうか。

ひだり みぎ
インドネシア人の英雄と並んで日本人兵士の像まであるのには驚いた。

ジョグジャカルタに直接的に関係する内容は限定的なので、ジョグジャ観光で最優先に訪問すべき場所ではない。時間を持て余してたり近現代史に興味がなければ訪問の必要はないでしょう。

【フレデブルク要塞博物館】
営業時間:火~土 07:30-16:00
入館料:10,000ルピア(100円弱)



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【2015年ジョグジャカルタ・ソロ旅行記】






























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