インドネシア近代絵画界の巨匠・アファンディ氏の美術館

ジャワの宮廷文化を現代に引き継ぐ芸術の都・ジョグジャカルタ。ジャワの芸術としては影絵芝居であったりガムラン、ろうけつ染め等のアートばかりが注目されているが、ジョグジャではインドネシア近代絵画界きっての巨匠・アファンディ画伯(1907-1990)もジョグジャを活動拠点としていたことからペインティング文化も根付き始めているそうだ。町中で見られるウォールペインティングもアファンディ氏の影響によるものなのだろうか。

アファンディ画伯は市内の東側をひっそりと流れるガジャ・ウォン川の畔を拠点とした。画家亡き後はアトリエ兼住居がそのまま個人美術館として開放され、インドネシア国内の画家の卵達の聖地とされてきたそうだ。

せっかくなんで立ち寄ってみる。
エントランスで入場料を支払い中に入ると、ダラットのクレージーハウスかのような奇矯なオブジェクトやら建物やらに驚かされる。
ひだり みぎ
高く育った木々に埋もれるように建つバナナの葉の様な屋根を持った高床式住居。ここがアファンディの生活拠点跡だそうで、今はカフェとして利用されている。巨大なアファンディ像の足下に生首がゴロゴロと無造作に転がっているのはアーティストの独特な感性なんだろうけど、美的センスゼロな一般ピープルの私には不気味以外の感情が湧いてこない。


宇宙との交信用かと思わせる見晴らし台。


こちらの生首カフェでは入場券に付随するドリンククーポンでオレンジジュースか水、アイスと交換できる。


カフェの正面に建つモルタル壁の建物は1962年に建てられた第一ギャラリー。ファンディ氏のキャリアの初期から晩年に至るまでのパステル画・水彩画・スケッチ、油彩画等が数多く収蔵され、アファンディ独自の表現主義的なスタイルが確立されるまでの画法と作風の変遷を一堂に楽しめるようになっている。


内部には絵画だけでなく、アファンディの像や愛用車であった70年代の三菱ギャラン等も展示されている。

美術館内の作品をネット掲載する許可を得たので、特に印象に残った作品を挙げていく。
【Boeng Ajo Boeng(Guys Come on Guys)】

インドネシア人の愛国精神高揚の為に描かれた民衆版画で、アファンディ氏の代表作の一つ。アファンディが青春時代を過ごした1930年代のジャワはオランダから独立し、一つの祖国と一つの民族と一つの言葉をもつ国民国家をつくろうと、若き革命家たちが命を賭け戦った激動の時代だった。西ジャワのチレボンに生まれたアファンディもまた、インドネシア共和国誕生前夜の激動の時代を、あたかも彼の絵のように熱く激しく生き抜き、インドネシア近代美術史上に燦然と輝く軌跡を残していったのだ。因みに…「Guys Come on Guys」というタイトルは、通りすがる男にBoeng Ajo Boengと次々に声をかける売春婦にヒントを得たそうだ。

【Self Portrait】

1938年の作品。若き日のアファンディ氏の自画像。背後の黒い物体は、氏が生まれて間もなく死別した父親の影。父の記憶は殆どないからだろう、黒く得体の知れない“影”として描かれている。

【He Comes, Waits, and Goes】

日本統治下の1944年に書かれた作品。9枚の紙が繋ぎ合わされて作られている。ソロ展示会の為の作品だったが、飢えと貧困に苦しむ一般大衆が描かれているとして閲覧に引っかかり、展示会そのものもキャンセルとなったそうだ。

【A Captured Spy】

1947年の作品。独立戦争の中、オランダ兵に拘束され、目が腫上るまで拷問された男が描かれている。混色を避けて並べることで、同時対比の原理により色のメリハリが効いている。このあたりからゴッホを彷彿とさせるタッチが顕著に表れるようになったというか、絵の具を塗りつけるのではなく乗せるような描き方がされているのが見て取れる。

【The Mother and Her Daughter】

1947年の作品。Maryatiが娘のkartinaを抱いていて、背後でアファンディが見守っている。ゴッホよりは人間、特に家族を描いた作品が多く残されているようだ。
彼が溺愛した娘のカルティカ・アファンディも父の血を受け継いで絵描きになった。父の影響で若い時期から日本を含めた海外での経験も多い彼女はインドネシアでは珍しいセンスの持ち主。70歳を過ぎた今もエネルギッシュに制作を続けている。

【Mother Inside the Room】

1949年の作品。幼少時に父を亡くしたアファンディにとって、母の存在は重要だったらしく、母に纏わる作品が多く残されている。インドで勉強すると告げた際に悲しみの表情を浮かべて寝室に入る母が描かれていて、母とアファンディ双方の感情が痛切に表れた作品だ。渦巻の使い方とかもゴッホだわ。

【A Painter with the Daughter】

1950年、インド滞在時に描かれた作品。ケバヤの正装をした娘Kartinaが描かれている。端にちょこっと写っているのはアファンディの体で、嫁いでいく愛娘と親父の距離が表現されているようだ。アファンディ氏の家族を愛し庶民の生活を愛しインドネシアを愛した魂みたいなものが伝わってくる。

【Holding My First Grandchild】

1953年の作品。初孫の出産が出産は三日月の夜だったのだろう。背景の闇に三日月が見える。画布の上に吐露された様々な感情のの光と影の渦が表現されているのだが、感極まって涙しそうなアファンディ氏の表情が印象的な作品だが、何故にアファンディ氏が全裸なのか作者の意図が分からないが、内面的感情が被写体を歪めてしまうようなゴッホ的表現技法を感じる。

【Parangtritis at night】

晩年1984年の作品。満月の夜、海の闇の中で月を反射した波が舞踏をするかのように互いにぶつかり合っている様子が描かれている。夜景でありながら黒をほとんど使うことなく夜空を描いていて、奔放な筆運びと厚塗りでメリハリのついた強い色彩が、ゴッホの星月夜を連想させる。

ひだり みぎ
第二ギャラリーは1988年に増築された。紙に水墨で描いた簡素な作品が多く並ぶ他、アファンディの友人等の作品も展示されている。一階に抽象画、二階に写実画という棲み分けがされているようだ。

【Anatomy StudyⅡ】

1950年の作品。解剖学とかいう題が付けられているが、単に自分のヌードを描きたかっただけじゃ…


第三ギャラリーにはアファンディ―氏の家族の作品も多く展示されている。

【Affandi and the Sun】

2008年のアクリル画。息子であるJuki Affandi氏の作品。

【Borobudor】

アファンディの妻であるMaryatiさんの刺繍作品。


部屋に改造された手押し車。午後の小休憩を過ごした場所で、アファンディ氏が逝去されてからはお祈りルームとして使われていた。

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自らの作品に囲まれた場所にはひっそりとアファンディ氏と妻が眠っている。


プールまであったり。

芸術とかってもっと敷居が高くて門外漢を寄せ付けない高尚なもんだと思ってたけど、アファンディ氏の作品は芸術にもペインティングにも疎い自分にも楽しめた。
芸術知識ゼロの素人にも取っつき易い身近なテーマが表現されているのも彼の人気の理由の一つなんだろう。

【The Affandi Museum】

営業時間:09:00~16:00
入場料:外国人50,000ルピア(ソフトドリンクとお土産付き)/現地人20,000ルピア
住所:Jl.Laksda Adisucipto 167



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