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軍事博物館@ジョグジャカルタ


昨日は熱中症と疲労が原因と思われる軽い眩暈を起こしてしまったので、ジョグジャ5日目はまったりと博物館巡りだけ楽しむことに。

一発目は軍事博物館(Dharma Wiratama Central Army Museum)。

インドネシア共和国人民治安軍(現インドネシア国軍の前身にあたる組織)の本部だった建物が利用されている。パステルグリーンの外壁と三角屋根が特徴で、国軍本部の威厳を漂わせるというよりも、どちらかといえば町の文化芸術センター的なおっとり仄々とした外観だ。


元々は1904年にプランテーション事業の統括拠点としてオランダによって建てられた屋舎だそうだ。どうりでこんな甘ーい色をしている訳だ。どこのヨーロッパかと思ったわ。

因みにではあるが、クレディースイス銀行により発表された2015年世界軍事力ランキングではインドネシア国軍は世界第19位にランクしている。

兵員数、戦車戦力、航空戦力、攻撃用ヘリコプター、航空母艦、潜水艦の6項目を数値化しているだけの簡易評価ではあるし、兵器の質がどのように定数化されているのかも不明だが、兵員数以外のポイントが極端に低い。中国の脅威に対して国防費をGDP比0.8%から1.5%に引き上げるとジョゴ大統領が明言しているようだが、現時点では戦争シミュレーションゲームですらどう足掻いても中国に勝ち目がない戦力差となっている。

ひだり みぎ
敷地内には米軍のM3軽戦車と日本軍の野砲が展示されている。国軍博物館と言うくらいだから飛行機やら戦車やらの軍機がオンパレードかと思いきや、野外スペースに置かれている軍用車両はM3軽戦車と野砲のみという残念な内容。国軍の名に懸けてもう少し頑張ろうぜ!

それでもまぁ戦車なんて滅多に至近距離で拝めるものではないので、物珍しそうに車体をぺたぺた触っていると、不意に近づいてきたベテランの軍人さんに背後から声を掛けられる。展示物を触ったことを咎められ軍事裁判にかけられるのか…肝を冷やしたが、振り返ってみると軍人さんは恵比寿様かのようなものごっつい優和な表情をしてらっしゃる。そのまま訳も分からず事務所的な建物に連行されると、中にいた退役軍人と思われる爺に一冊の大学ノートを手渡される。重要展示物に触れたことにより身柄を拘束されるというわけでもなく、どうやら博物館に入るのに記帳を求められているようだ。

言われるがまま記帳を済ませ、博物館内へと案内される。特にチップや入館料を強制されるわけでもなく、逆に手厚い歓迎を受けたのには驚いた。どうやら日本人に興味があるようで色々と質問も受けたが、一切のインドネシア語が出来ない為に残念ながら作り笑いで質問を全スルー。申し訳ない。

博物館内には独立戦争に纏わる絵画、歴代の英雄の肖像画、インドネシア国軍の軍服、勲章等がメインで展示されているようだ。

エントランスには現インドネシア国軍司令官Gatot Nurmantyo将軍を中心に歴代司令官の写真が並ぶ。

インドネシアの国家建設は1945年8月17日のスカルノとハッタの独立宣言によって始まった。しかし、1945年9月末にはイギリス軍とオランダ軍の連合軍が上陸したことを切っ掛けに独立戦争が勃発。インドネシア側は1945年10月5日、旧オランダ王国インド陸軍のウリプ・スモハルジョ少佐によって国民防衛隊が創設され、ウリプ少佐が自ら暫定総司令官の座に就いた。その後、同年11月12日には選挙により若手有望株のスディルマンが最高司令官に選ばれ、ウリプは参謀長に任命されることとなった。

ひだり みぎ
入り口の左右にはインドネシアの独立揺籃期に体を張って戦った初代国軍最高司令官スディルマン将軍と初代国軍参謀長ウリプ氏の執務室(?)が再現されている。海外からの訪問客は余り想定していないのであろう、英語での説明書きが殆ど無いのが辛いところ。

ひだり みぎ
戦時中に使用されたホッチキス機関銃に野砲。展示されている兵器・武器は殆どが外国製のようだが、最近ではライフルや機関銃等の携行火器なんかは地場の軍需銃器メーカー製のものが採用され始めているらしい。

ひだり みぎ
インドネシア独立戦争の戦略図。

ひだり みぎ


1948年12月19日、オランダはジョグジャカルタ制圧を試みる軍事作戦を発動。この絵画は一気呵成に攻め入るオランダ軍に対し、ジョグジャカルタのマグオ空港(現アジスチプト国際空港)を死守するインドネシア軍が描いているが、奮戦虚しく共和国臨時首都ジョグジャカルタは陥落する。インドネシア現地人が逃げ惑う中、残留日本兵の一人と見られる軍人が自動小銃一つで孤軍奮闘している姿が印象的。


1949年3月1日、インドネシア側はオランダ占領下のジョグジャカルタ奪還作戦を敢行。高々と誇らしげに掲揚されていたオランダ国旗がインドネシア軍によって引きずり落とされている。


1961年、オランダがオランダ領ニューギニアの独立を正式に認めると、インドネシアは翌1962年から空挺部隊や魚雷艇部隊を出撃させ本格的な武力介入を開始。今も問題が燻るパプアの紛争だ。

日本でも一頃「原野商法」なる詐欺行為の被害報告が相次いだが、19世紀の欧州では「ニューギニア商法」なるものが流行ったそうだ。「ニューギニア!地上のパラダイス!」という謳い文句で開拓移民を募り、全財産を投げ打って船の片道乗船券と移民先の土地を購入した移民たちが送り込まれたのは赤道直下の未開のジャングル。マラリアや熱病に倒れ、首狩りや食人の風習を持つ先住民に襲われ、生きて本国まで逃げ延びることができたのは極々一部の人間だったとか。

で、だ。このニューギニア島、マラッカ海峡から勢力を広げてきたオランダが西から、太平洋の南洋諸島から下ってきたドイツが北から、オーストラリアから北上してきたイギリスが南からやって来て、1885年に3国協定を結んで島を3分割。西半分はオランダ、北東部はドイツ、南東部はイギリスのものとなった。その後、イギリス領の南東部は1906年にオーストラリア領に、ドイツ領の北東部は第一次世界大戦でのドイツ敗北を経てオーストラリア委任統治領となり、1975年にはパプアニューギニアとしてオーストラリアから独立を果たす。

ややこしい展開となったのは西イリアンと呼ばれたニューギニア島西半分のオランダ領。旧オランダ領東インドは1949年にインドネシアとして独立したが、この時オランダ領のニューギニアは含まれず、61年にはオランダが西イリアンを「西パプア」として単独で独立させようとした為、インドネシアは「西イリアン奪還」を掲げて上記の通り軍事作戦を開始。翌63年にはインドネシアによる統治に移され、69年に住民投票を経てインドネシアが正式に併合した。しかし、現地住民の間ではインドネシア統治下での「強制的ジャワ化」に反発して独立運動が続いていて、今でもパプア地域でインドネシア軍による軍事弾圧と人権侵害が度々問題として取りだたされている。

他にも博物館内にはインドネシア国軍の軍服や勲章なんかが並んでいたが、正直ジョグジャまで来てわざわざここを訪問するまでの価値はなさそうだ。ここに行くならジャカルタにあるデヴィ夫人旧邸の軍事博物館の方が訪問価値は高いです。

【軍事博物館】

75 Sudirman Street,

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