今でこそイスラムが圧倒的多数で仏教徒は人口の1%ほどしかいないインドネシアだが、かつてこの国で仏教が栄えたことを雄弁に物語る巨大な遺構がある。ジャワ島中央部のジョグジャカルタから北へ40km程進んだ先、3,000m級の火山に囲まれたケドゥ盆地に位置する世界最大の大乗仏教の石造寺院跡・ボロブドゥール遺跡だ。この巨大な遺構は8~9世紀前後に当地を支配していたシャイレンドラ王朝によって建造されたと考えられているが、建造後まもなく忽然と歴史から姿を消し、1814年に発見されるまで1,000年以上もジャワの密林の中で火山灰に埋もれていたというミステリアスな遺跡である。建造の経緯等も未だ謎に包まれたままで、世界七不思議にもしばしば挙げられる古代ロマンの塊のような場所なのである。こんなの行ってみたくないわけがない。今回の旅先をジョグジャ・ソロに選んだのも、ボロブドゥールの存在があったからである。
ジョグジャカルタからは町の北にあるジョンボルバスターミナル発のローカルバスで向かう。ジョンボルまでは手っ取り早くタクシーで移動。前方から走ってきた緑のトヨタカムリに乗み、ジョンボルターミナル迄と運転手に告げる。すると、「ネギカモきたーーーー」とばかりにニヤける運転手。直ぐに私がボロブドゥール目当ての観光客だと察したのだろう。下心みえみえの怪しい笑顔で「ボロブドゥール?」と聞きつつ、ラミネートされた一枚の用紙を差し出してくる。各地へのハイヤー運賃を纏めたプライスリストのようだ。
ボロブドゥール往復600,000ルピアだと。バスなら片道20,000ルピアだ。値差があり過ぎるのでやはりジョンボルまでで結構と伝えたら、おもむろに携帯電話を取りだすオヤジ。ニヤケ面が不気味というか、表情が感情に正直すぎ。
取り出した携帯でどこかに電話すると思いきや、こちらに向かって携帯を見せてきた。スクリーンには350,000と書いてあり、再度「ボロブドゥール?」とニヤけ顔で聞いてくる。タクシーハイヤーでこの運賃なら悪くないのでは?頭の中で電卓を叩く。
ホテル⇔ジョンボルのタクシー:往復50,000ルピア
ジョンボル⇔ボロブドゥールのバス:往復40,000ルピア
ボロブドゥールのバス停⇔遺跡のバイクタクシー:往復20,000ルピア
ボロブドゥール⇔ムンドゥ寺院・パオン寺院のバイクタクシー:50,000ルピア
バスで行ったって交通費だけで160,000ルピアはかかる計算だ。とりあえず「350,000ルピアが往復の貸切運賃である事」、「道中にあるムンドゥ寺院・パオン寺院でも立ち寄る事」の二点を確認し、ダメ元で300,000ルピアで良いか聞いてみる。⇒するとあっさり承諾する運転手。最初に渡されたプライスリストに表記された定価600,000とはなんだったんだ?
そんなことでボロブドゥールへの移動はタクシーのチャーターで済ますことに。これで相当な時間の節約になり、午後も有意義に時間を使うことができそうだ。
助手席前に掲示されている運転手の登録情報に拠ると、彼の名はMr. Sugeng。写真では白人バリの美白肌をしているが、実物はアフリカ人並みの褐色の肌。とても本人の写真だとは思えない。日焼けとかそういう次元の話ではなく、写真の人と運転手とでは人種が違うと思う。色々と突っ込みたいところだが、言語能力的に「ボロブドゥール」とか「ムンドゥ」とか固有名詞のみでしかコミュニケーションがとれないので諦めて、道中はひたすらガイドブックと睨めっこ。下手に言葉が喋れてちょっかいを出してくるより、これくらいの態度の運転手の方がすれてなくてい良いのかもしれない。
タクシーで1時間、南国風の田園地帯を北上して辿り着いたボロブドゥールの地。チケット売り場で「外国人はコチラ」と左手の建物に誘導される。外国人は左、現地人は右と、チケット売り場で観光客が選別される。外国人観光客と現地居住者の入場料が二重価格になっている為だ。30,000ルピアの現地居住者用チケットに対し、外国人の入場料250,000ルピア。お茶・コーヒー・水のいずれかがウェルカムドリンクとして貰えるが、割高感は否めない。
公園の内部に入ると、史蹟公園として非常に良く整備されているのが見て取れる。入場料が世界遺産の保全補修に有効利用されるんであれば多少入場料が高くとも文句は無いさ。
さぁ、ここまで来るとボロブドゥール遺跡は目の前だ。こんもりとした自然の丘を基礎とし、更に盛土をしてから岩石を組み立てて建造されているようで、周囲と比べて一段と高い場所にボロブドゥール遺跡の姿が見えている。
階段の中間地点にある踊り場まで上ると、いよいよその全景が眼前に!巨大、余りに巨大。これだけ存在感のある巨大建築物が何故1,000年以上も人の目に触れず歴史から完全に消え去っていたのか、不思議でならない。遺跡の土台に使われている土と寺院を覆っていた土砂の土質が同じことから、完成と同時に埋められたという説もあり、火山の噴火による埋没やイスラム教徒の破壊を恐れて故意に埋められた等の学説が主張されているが、未だ真の理由は解明はされていない。それどころか、建立目的も王の霊廟であるという説をはじめ、ストゥーパ、寺院、立体曼陀羅、僧房だったなど諸説が交錯している状態だそうだ。
一辺120m程の基盤の上に4層の方形壇を築き、さらにその上に3層の円壇、そして最上部中央に大仏塔が積み重ねられているという高度な石造りの建築物だ。この「基壇」「方形壇」「円壇」の3段がそれぞれ仏教の三界である「欲界」「色界」「無色界」を表しているそうで、「欲界」は欲望と罪悪に溢れた私たち人間の住む世界、「色界」は天上界のうち物質欲だけが残った世界、「無色界」は欲望も物質的条件も超越した悟りの境地を象徴しているのだと。巡礼者・参拝者は下壇から順番に上へと登っていくことで、煩悩を捨てた涅槃の境地への解脱を疑似体験できるようになっている。言わばこの建物自体が巨大な立体曼荼羅になっているのである。う~ん、ロマン!!
早速、小生も煩悩まみれの欲界から悟りへと向かう道を進んでいく。
仏龕に置かれた仏像に海の怪物マカラの形の雨樋。マカラの頭を支えてるのはヤクシャかな。
一層目の基壇の上にある方形壇にはぐるりと露天の回廊がめぐっていて、仏教説話にもとづいた1460面におよぶ浮彫彫刻レリーフが時計回りに展開されている。
レリーフは4つの仏教経典を題材としていて、回廊の内側にある主壁と外側にある欄楯にはめ込まれている。
第1回廊上段:初転法輪までのブッダの生涯
第2回廊下段:釈迦の前世の物語であるジャータカ
第2回廊~第3回廊:善財童子が巡礼の旅をする仏教経典・華厳経入法界品
第4回廊:普賢菩薩の行願賛と華厳経入法界品
がそれぞれ描かれていて、これらのレリーフの数はなんと2,500面、登場人物も1万人に達するというから、驚きを通り越して感動さえ覚える。
いよいよボロブドゥールの大聖殿に足を踏み入れていく。隠れた基壇の上を通り第一廻廊に行き、 時計の針と同様に歩くことで仏伝図の始めから見て回ることができる。
永遠と続くレリーフ。回廊には左右に壁があり、それぞれ違う物語が彫られている。 更に、第一回廊の主壁は左右ともに上下2段に浮彫り図が彫られている。上段は釈迦の一生を説いた物語で、下段は釈迦の前世の善行を説いたジャータカとアヴァダーナ説話が表されている。
今回は釈迦の一生を描いた仏伝図を見ていこう。物語は天界の釈迦が人間のため地上界に降りることを決意するところから始まる。地上に降りる準備をし釈迦族の王子としてこの世に生を享、恵まれた日々を過ごされた釈迦。29歳で出家、35歳で成道の境地に達せられ、初めの諸法をされるところまでがレリーフで描かれている。
先ずは有名な四門出遊のエピソードから。王宮での恵まれた生活を送っていた太子だが、四門出遊をきっかけに生老病死を知り、出家の決意をする。太子の進むべき将来が決まる一大重要事件である。
(左):東門より出て、杖にすがり羸歩する腰の曲った老人を見て、生あれば老ある厳しい現実を知る。
(右):北門より出て、穏やかで安らかな表情の出家修行者に会う。その清斉たる姿を見て遁世を讃美、出家を考える。
出家を決意した29歳の太子。霊馬カンタカに騎乗し、夜中にカピラ城を後にする。カンタカは長さ十八肘で高さまたこれと等しく、強健能く馳せ走る時の蹄声は全都に響くほど。故に一歩一歩に同行した天人が馬脚を蓮台で受けて響きを和らげている。非常に細かい描写である。
太子は暁までに六由旬を走り、アノーマー川畔にある往古仙人が苦行した林中に到着する。ここでカンタカを降り、別れを惜しみながら馭者と離れる太子。愛馬カンタカともお別れだ。
「鬚髪を剃除せずんば出家の法に非ず」と言い放つ太子。蓮台上に立ち、出家の証として宝剣を把って自ら剃髪する。車匿は跪いて宝冠及び宝剣の鞘を捧げている。
カンタカや御人と別れた太子。沙門の姿をもって苦行者として各地を遍歴。その後、6年に渡る苦行を実行。しかし、疑問点の解決を見出せず苦行だけでは無理と判断して苦行生活を打ち切ることに。
ナイランジャナ河で沐浴をして体を清める太子。左右に天女が舞い、太子に花をまく。
苦行林で痩せ細った太子に千匹の牝牛の乳で作った乳粥を寄進する村娘スジャータ。太子はスジャータの宏壮なる邸宅に招ぜられ、牀上に坐している。乳粥の奉仕を受けた太子は力と美を取り戻す。
ナイランジャナ河で沐浴して体を清め、乳粥で精気を養った後は、河を渡り叢林山の菩提樹下の覚座へと向かい、太子は菩提樹の下で瞑想に入る。7日間に及ぶ瞑想の末、35歳の時に遂に成道の境地まで達せられました、と。その後、ボロブドゥールのレリーフは釈尊が最初の説法をする場面で終わる。一個一個のレリーフをじっくり見て回り、気付いたらこの時点で昼過ぎ。彫刻技術の高さにどうもうっとり見入ってしまうんですよね。
続いて、最上段の「無色界」を目指して階段を上がっていく。
回廊を一つ上がる度にう食欲の権化・カーラの大きな口の中を潜り抜け、巡礼者の過去の過ちが飲み込んでもらえるになっている。
第四回廊から円壇部に出ると急に視界が開け、雰囲気が一変する。無数の釣鐘型ストゥーパが林立し、その合間からは遥か彼方のムラピ山まで続くジャングルが広がっている。圧巻の絶景である。
円壇部は3層構造で、釣鐘型ストゥーパ全72基が規則的に並ぶ幾何学的空間になっている。各々のストゥーパの切り窓からは中に釈迦仏像が安置されているのが確認できる。この切り窓の形も凝っていて、外側2層の切り窓は菱形、内側の第3層は正方形となっている。菱形の窓は「俗世界の人々の不安定な心の世界」を、正方形の窓は「安定した賢者の心の世界」を表現していて、円壇の中心にある窓の無い大ストゥーパの「無の世界」へ収束されていくことを意味しているらしい。ここでも仏教の三界が表現されているのだ。深いよボロブドゥール!
古代ジャワ文明の高度な芸術文化に彩られた世界遺産ボロブドゥール寺院。下方は正方形、上方は円形という不思議な構造で、遠くから見渡すと宇宙船のようにも見えてくる。
類を見ない規模と圧倒的な大乗仏教の世界観を誇る謎多きボロブドゥール。その魅力、そのロマンに思いっきり魅力に惹きこまれてしまった。リピート決定。
【ボロブドゥール寺院遺跡】
入場料:250,000ルピア(2015年10月現在)
開放時間:06:00~17:00(見学は18:00まで)
【2015年ジョグジャカルタ・ソロ旅行記】
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