進記家の裏口から外に出ると、目の前はもうトゥボン川。世界遺産のホイアンに流れるトゥボン川は豊かな水をたたえながらも波静かであり、周りの風景も実に穏やかである。何となくタイムスリップした錯覚を覚えるというか、ホイアンに移住してきた進記家の初代おやっさんや御朱印船貿易に従事していた当時の日本商人たちも川べりの長閑な風景に癒されてたんだろうなーとか思うと妙に感慨深い。
朝昼晩でそれぞれ異なる表情を見せるトゥボン川。鮮やかな提灯に灯された優しい明かりに飾られた幻想的な夜の雰囲気や新鮮な魚介類が並ぶ活気溢れる朝市も悪くないが、昼間も昼間で芥子色の古民家と自然が融合する景観はなかなか風情があり良いものだ。
トゥボン川を船が行き交い、木々生い茂る川沿いの道には芥子色の古民家が並ぶ。何ともいえないノスタルジックな芥子色の壁の家々。道行く人たちや船乗りがかぶっているのは、葉っぱで編んだという日よけの傘だ。風情満点。
川に沿って1キロほど広がるホイアンの旧市街は、時間帯によって歩行者天国になっており、その間クルマは入れない。その代わりに観光客の足として大活躍するのがシクロこと自転車タクシーだ。旅行者やバイクの合間を縫うようにして、おじちゃんがのんびりペダルをこいでいる。
川の方に目を向けると観光客相手の遊覧ボートの他、バイクを渡すための現地の人が利用する渡し船や、漁船など、大小の船舶がごちゃごちゃと入り乱れ浮かんでいる。そんな中、屋形船のバーなんて面白いものもプカプカと浮かんでる。ちょいと一杯ひっかけてやろかと乗船するも、中は不在…営業時間外なのだろうか。
こちらは4本の竹竿で固定され川に浮かぶ仕掛け網。滑車がついていて、網を水面下に沈めて魚を救い捕る仕組みになっているらしい。ホイアンの漁業では引き網、まき網、すくい網、流し網など様々な漁法を用いられているようだが、どんな魚が揚がるのか。漁師の姿は見当たらない。
ホイアンの旧市街地とアンホイ島を繋ぐアンホイ橋。夜のドきつくライトアップされる雄姿も中々だが、昼間は昼間の特徴が出ていて見ごたえがある。この周囲は昼夜共に、地元の人、観光客、関係なく沢山の人たちでごったがえす、町一番の中心地のようだ。
対岸から臨む世界遺産のホイアン旧市街。流れる川の水はお世辞にも澄んでいるとは言えないが、浅く緩やかに流れる様を見ていると何だか心が洗われる。
川沿いを歩いていると、ボート漕ぎのオジサン・オバサンからひっきりなしに声がかかる。マイフレンド!ツアー!ウェルカム!とか言って、なんかあたかも親切心から無料で乗せてくれるくらいの気前の良い話っぷりだが、乗船するとモチロン代金を徴収される。事前に値段交渉しなければトラブルになること必至。
促されるまま、こちらのボートに乗船。もちろんエンジンなんかついてなく、筏に毛が生えた程度の木造ボートを櫂で漕いでくれるようだ。
手漕ぎボートでの遊覧クルーズ、いざ出航…とその前に…ニターっと笑って何か話しかけられる。注意点とか航海ルートの説明が入るかと思いきや、おばちゃんの前に置かれているカラフルな燈籠を買ってくれ、と。商談かい!!これ、夜になると川の畔に腰かけた観光客が中の蝋燭に灯を点して川に流したりするものなんだが、唐突過ぎるだろう。
燈籠は要らぬとやんわりとお断りし、今度こそ本当に出航、川面をゆっくり滑るように進みだす。すると、いきなり仕掛け網に掛かりそうになる。安全運航で頼むぜ。ただでさえ航海安全の神・天后様へ螺旋線香を奉納しなかったことに後ろめたさを感じてるんだからw
アンホイ橋を渡る際には観光客のカメラが一斉にこっちに向けられて、ちょっと恥ずかしい。撮るなら格好良く撮って下さいなw
橋を過ぎると、さっき行った進記家が見えてくる。古い東洋風の民家にときどきポツン、ポツンと混ざっている芥子色した西洋風佇まいの木造家屋は、かつて貿易でうるおった商人たちが建てた商家である。どの家も京都の町家のように、間口が狭くてタテに細長い。進記家もそうだったが、古いものだと築200年以上経過しているという。
顔に当たるそよ風が実に気持ち良く感じられ、川沿いを歩くのとはまた違った風景に酔いしれる。
もう少し奥まで行けば川沿いでの庶民の生活の様子が伺えたのだろうが、小舟は10分くらいしてユーターン。オバサン、疲弊しきってもう駄目そう。きっとこうして毎日毎日何人もの観光客を乗せてボートを漕いでいるのだろう。こうやって頑張る私の親の年齢の老婆(見た目に反して若いかもしれんが)にはなんか頭が上がらない。燈籠は断ったけど。
往復20分程のクルージングを楽しんで戻ると、日本橋前でブライダルフォトの撮影が行われていた。そういや街角でもドレスにタキシードでばっちりキメた新郎新婦の姿を見かけたな。新婚カップルのメッカなんだろうか。
日本橋の方に行きたいんだが、そっち通ったら自分たちもブライダルフォトの背景に入っちゃいますよね…諦めます。手前で接岸して歩いて日本橋に行くことにします。いつまでも、お幸せに。
【2014年ホイアン・ダナン旅行記】
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