お次の目的地はクチャの町から西に70キロ程のところにある、新疆地区最大の石窟寺院・キジル千仏洞。敦煌・雲岡・龍門なんかと並び中国八大石窟の一つと目され、タクラマカンの秘宝とか死の砂漠に咲いた仏教芸術の名花とまで評される重要遺跡である。辺鄙な場所にあるけれど、タクラマカンの秘宝とまで聞かされたら行かない訳にはいかんっしょ。
ということで、クズルガハ烽火台から一路西へと車を走らせる。
奇岩の聳えるワイルドな塩水渓谷の中を爆走。天山山脈の真っ赤な山肌に深い切れ込み…冒険してるぞ感が高まってくる。
渓谷を抜けた先のキジル千仏洞への道沿いには、これまた珍しい堆積地層の山地が横たわっている。まさにそこは草木1本見当たらない赤茶けた奇岩の山並みで、まるで月世界に来たかと思わせるような怪奇な風景が展開する。
不毛で荒削りの岩肌を持つ岩石山の間を縫いながら分け行って行き、岩石山を抜けると今度は荒涼とした丘陵地帯のゴビ砂漠に入る。凄まじく荒れ果てた景色の連続で、完全にVRの世界ですわw
見渡す限りに広がる砂漠の中を20分程走っただろうか、急に視界の先が開け、眼下にムタルト川が形成するオアシスの空間が現れる。これがキジル石窟へと続くエントランスなんだと。草木1本生えないこの荒涼とした場所に、忽然とオアシスが出現する様は例え様のない心の安らぎを感じるものである。
エントランスからは石窟が造営された岩山の稜線が見える。この季節の訪問者は殆ど無く、小生がこの日初めての旅行者とのことだ。
考える人みたいになっているが、こちらはクチャ出身で大乗仏教を東アジアに伝えた三蔵法師鳩摩羅什の座像。背後の険しい岩壁に蜂の巣のようにびっしりと開削された石窟群が確認できる。
ムザト河北岸の懸崖に東西3キロに渡って築かれたキジル石窟。後漢から宋代にかけて開削されたもので、その数は仏殿窟・僧房窟合わせて236窟。敦煌の莫高窟よりも古い魏・晋・南北朝時代から唐朝後期に至るまでの約1000年の月日と多くの人間の情熱をかけて築かれたものだと考えると大変に感慨深い。
創作者は、河岸壁の比較的軟らかい断崖を穿ち窟として、その内部にはウルトラマリンにも使われる希少なラピスラズリ等を使って壁画が描いたそうだ。壁画の題材は釈迦の誕生から涅槃までの仏伝図・釈尊の生前の物語・古代西域の各民族の人々の風俗画などなど多岐に渡っている。
そんな芸術性の高いキジル石窟だが、自然崩壊とイスラム教徒や文革による破壊、20世紀のドイツ人探検隊に大谷隊等の剥ぎ取り持ち出しにより、その多くは残念ながら原型を留めていないという。
現在では各洞窟は保護の為に施錠されていて、鍵を持ったガイドの同行がなければ洞窟内部を見学できないようになっている。ということで、専門ガイドが合流してきて一緒に洞窟を見て回ることに。「今回は34・32・27・8・10・17」の6箇所を見て回りますーと。
そう、見学できる洞窟も限定されてしまっているのだ。しかも、それらを自由に全部見て回ることも出来ず、ガイドの気紛れで拝観できる石窟が決まってしまう。
急な階段を上り、いざ参拝。
岩肌にびっしりと開削されているのがよく分かる。この景色だけでもうお腹いっぱいだ。
脚下にムザト河が傍を流れ、渓間には雪が残る。乾いた風景ではあるが、川に向かってポプラ林が続いているので、夏にはオアシス的な景色が楽しめるのであろう。
もうホント凄いわー人間、ってなりますよ、ここ。砂岩に穴を穿って空間を作り、壁画を描き細工を施した人々の信仰心と凄まじいまでの執念が生んだ芸術…厳しい自然環境・異宗教による破壊・冒険者の盗掘に耐え千数百年。一部は切り取られ穴を空けられと破壊されてしまっいるとはいえ、今なお絢爛たる色彩で色鮮やかに残る当時の人々の想いと願い、そして釈尊の前世の物語。圧倒される。
最後は極寒の中の見学に付き合ってくれたガイドに幾何かのチップを差し上げ、クチャへと引き返す為に再び荒涼とした大地を突っ切っていく。
人間もやべーが、自然もやべー。地球の圧力によって歪められた褶曲地層が続く。
岩山を抜けるとゴビ砂漠に抜ける。天然ガスのコンビナートが蜃気楼のように地平線に建つ不思議な眺めである。
アクセスが悪くクチャからタクシーをチャーターする以外に行く方法はないが、ここは新疆旅行にはマストでしょう。
【キジル千仏洞】
開放時間:09:30-19:30(5-9月)・10:00-19:00(10-4月)
入場料:55元
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