ローマに初めてやって来た旅行者が最初に行くべき場所。それはコロッセオでしょう。
フォロロマーノ、アッピア街道、カラカラ浴場、パンテオン、スペイン広場、トレヴィの泉、サンピエトロ大聖堂、マッシモ宮、ヴァチカン市国など有力候補満載なんですが、それでもやはりコロッセオでしょう。
なんたって、大正義・ローマ帝国の強さと繁栄の象徴、男のロマンの塊とも言うべき場所ですからね。私くらい中二病を拗らせてしまうと、コロッセオと聞いただけで漢としての血が騒ぐというか。マキシマス・デシマス・メリディアスの在りし日の雄姿を勝手に脳内に思い浮かべて身震いしてしまう勢いです。
もしかしたらワイも前世はローマの下級市民の雑魚剣闘士だったのかもしれないと思うくらい、何故だかコロッセオという言葉の響きにロマンを感じて気持ちが駆り立てられてしまうのです。
※画像はコロッセオの公式サイトから借用。
バスを降りると、すぐにコロッセオの威容が視界に入ってきました。
ただ巨大で迫力満点というだけでなく、西暦80年に建てられた競技場が普通に当たり前のように現代の町並みに溶け込んでいるのが何よりの驚きです。
↑の画像はコロッセウムの公式サイトから借用したものですが、凄くないっすか?現代の東京ドームが東京の街並みにあるのと全く同じような感覚で、2000年前のスタジアムが現代のローマの街並みに普通に居座っているという。非現実的過ぎてもはや職人が作ったコラ画像にしか見えませんw
コンスタンティヌス凱旋門
さて行きましょう。先ずはコロッセオの隣に残るコンスタンティヌス凱旋門の横を通過します。
コロッセオのすぐ横にあるため脇役的存在に甘んじてしまっている感がありますが、この凱旋門も他の場所では間違いなく主役級。ローマに数ある凱旋門の中でも最大であり、パリのエトワール凱旋門のモデルになったとも言われています。言わば凱旋門の元祖という存在なのです。
表面には細かな彫刻がびっしりと刻まれていて美しい。ただどうも石の種類もバラバラだし全体的に継ぎ接ぎ感が否めない。それもそのはず、凱旋門を飾る装飾や柱は別の記念碑などから剥ぎ取ってきて繋ぎ合わせた物だそうです。
正面円形レリーフ=ハドリアヌス帝時代。
正面上方レリーフ=マルクス・アウレリウス時代。
正面上方彫刻=トライアヌス帝時代。
などなど。
時代ごとの表現の変化が味わえるパッチワークと言えば聞こえはいいですが、いくら現代とは価値観や常識が異なるとはいえ、偉大なる先人達を称え祀った記念碑から部品を剥ぎ取って自らの凱旋門を造るのはちょっと…w
コロッセオ
凱旋門を過ぎると、いよいよコロッセオの全容が目の前に広がります。
数々のドラマが生まれた舞台であり、5万人もの大観衆を日々熱狂の渦に包みこんだ格闘技場を前に、いよいよワクワクドキドキが止まりません。
カタログスペック的には4階建てで高さ57m、長径188m、短径156m、周囲527m。築1953年の築古物件ではございますが、現代の巨大スポーツスタジアムと比べても全く引けを取らない規模感です。
内部に入ってみると、外壁に沿って設けられた回廊部分は美術展になっていて、アリーナに向かう前にテンションを高めてくれます。
コロッセオ着工時のローマは、ローマ大火(64年)やローマ内戦 (68年-70年)、前任者ネロの悪政による混乱などにより被った被害から首都の再建を進めている時期。時のウェスパシアヌス帝は緊縮政策を取りながら、市民を懐柔して混乱を収拾するための策の一つとして円形闘技場の建設を命じたのでした。
決してウェスパシアヌス自身が娯楽好きとか散財癖があるといった訳ではなく、彼はどちらかと言えば真逆でドケチな倹約家だったそうです。
ただでさえローマ正統の生え抜きの血筋ではなく政治基盤も弱いのに、ネロの尻ぬぐいで増税案を通しまくってましたからね。同族企業に外様の執行役員で入ってきて立て直しのために経費予算バンバン削って、飴も与えずにひたすら鞭鞭鞭なんて手法では立て直せるのも立て直せませんよね。やっぱりどうしても飴も必要になる。
これと同じで、ウェスパシアヌス氏も何かしらでっかいマニフェストを掲げて市民の不満のガス抜きをしないとと思って市民の為のコロッセオを建てたのでしょう。地味ではありますが、良いつなぎ役の二番バッター的ハ時代のハマり役だったのかなと思います。
在りし日のウェスパシアヌスさん。髪が薄く、武骨な顔立ちで、自他共に認めるブサ面だったらしい。
ケチで醜男…なんとなく親近感が湧いてきますw
そんな経緯で市民の娯楽場として作られたコロッセオ。2000年前の生活ぶりとか想像もつきませんが、割と現代と変わらない食べ物・飲み物なんかも無償で配布されていたそうです。
なんかポータブルグリルみたいなので調理してる輩なんかもいて、程よくカオスな感じが素敵ですw
回廊部分の見学を終え、いざアリーナへ。今にも興奮した民衆の歓声が聞こえてきそうな雰囲気です。
各ゲートには番号が刻まれており、入場券に記された番号通りに群衆を振り分けることで混雑の防止が図られていました。もうまんま東京ドームと同じですよねw
観客席は下から順に、皇帝 → 議員 → 騎士 → 一般市民 → 奴隷と身分によって分かれていたそうです。
最上階の階段が狭く作られているのは奴隷層の退場を遅らせ、身分の高い観客がスムーズに会場を離れられるようにとの配慮らしい。建築技術が高いだけでなく、まさか観客の動線まで考慮の上で設計されているとは恐るべし古代ローマ。
地下の部分にもカラクリ満載で、出場する剣闘士や猛獣の控室や檻だったり倉庫が並ぶ他、剣闘士や怪獣をステージに上げるための人力エレベーターや滑車など複雑な舞台装置まで用意されていたという。まるで現代のミュージカルのような演出機能ですねw
我々の先祖様がようやく稲作を始めたり弥生土器を作ってたりしてた時代の話とはとても思えません。
更に剣闘や猛獣狩りといったイベントだけでは飽き足らなかったのか、なんとアリーナに水を張って模擬海戦イベントなんかも催していたそうです。役者となる犯罪者や囚人数万人をキャスティングして、船や武器や怪獣を手配して、広大なアリーナまで水を運んでと…企画役の人は現代のテレビ番組制作者Pより大変そうw
巨大なプールと化したアリーナに本物の船やワニなどの猛獣などが投げ込まれ、その中で戦士たちが殺るか殺られるかの忖度無きガチバトルにまみれる。まさに古代ローマンエンターテイメントの極みといった豪華コンテンツで、海戦イベの夜には観客も大いに興奮に酔いしれたそうです。
古代ローマ時代から悠久の歴史を生き抜いてきた闘技場を眺めて雰囲気に浸っていると、かつてこの場所で繰り広げられた死闘に熱狂した2000年前の人々の熱気や、血みどろの歴史の微かな残響のようなものが感じられる気がします。
ああロマン。夜も暖色でライトアップされた古代のコロッセオはまるでナイターゲームが行われている現代の野球場のような、今にも歓声が聞こえてきそうな雰囲気に満ち溢れています。
古代遺跡が普通に街並みに溶け込む町ローマ。まさしく歴史と夢を紡ぐ永遠の都です。
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