ローマの原点 フォロ・ロマーノとパラティーノの丘

コロッセオで古代ローマ世界の世界観にどっぷりと浸った後は、更なる歴史ロマンを求めてコロッセオの対面に広がる世界遺産へ。
2000年前までローマの中心街だったフォロ・ロマーノ(Foro Romano)と、ローマの原点ことパラティーノの丘(Monte Palatino)を見て回ります。

コロッセオからフォロロマーノへと向かう道中には、一方的にミサンガを観光客の腕に巻き付けては金銭を要求する質の悪い詐欺師が縄張りを張っています。ナガトーモ、ナカータ、ヤナギサーワと言って寄ってきますが、とりあえずヤナギサワを長友と中田と同列で語るなと笑顔で助言しつつ一人一人撃退していきます。

詐欺師を巻くようにしてフォロ・ロマーノの方面へ。
ティトゥスの凱旋門が分岐点になっていて、門をくぐって左手の階段を登ればパラティーノの丘へ、右に進めばフォロロマーノへと道が分かれています。

パラティーノの丘

特に定められた見学コース等はないようなので、自分の直感に従って凱旋門を左折。フォロ・ロマーノを俯瞰できるパラティーノの丘から先に攻めてみます。

古代ローマの心臓部を一望に収めることができるパラティーノの丘。
ローマの建国神話に拠ると、紀元前753年にロムルス王がこの丘で建国を宣言したのがローマの起源。言わばここら一帯は古代ローマの原点的な場所であり、それはもうロマンを感じられないわけがありません。

コロッセオへと真っすぐ伸びる聖なる道。なんと贅沢な景色でしょう。
吹き付けてくる微風も心地よく、いつまでも古代ローマ気分に浸っていられます。

西の方角には神殿や記念碑などの残骸が残っていて、微かながらに古代ローマの都市としての輪郭が見て取れます。

ちな、当時のフォロ・ロマーノの再現図がこちら。我らがご先祖様が竪穴式住居に住み始めた頃、ローマ帝国では石造りの宮殿やコロッセオなどが立ち並ぶ大都市で市民権はあーだとか海外植民地の税金はどーだとかやっていたという。
Walking around COLOSSEUM – Virtual Ancient Rome in 3D – YouTube

しばし丘の上で一人ロマンに浸っていると、一羽のカモメが降りたってきました。糞を垂らしながらコロッセオを眺めるその姿からは、エンペラーの風格が滲み出ています。

気品溢れるカモメ…。餌を求めるでもなく、泣きわめくでもなく、ただひたすら物憂げな表情でテラスに立ち尽くし、古代ローマの街並みを眺めていました。これは皇帝の化身に違いありません。

鳥までをも虜にしてしまう絶景スポット・パラティーノの丘。
中心街を眼下に見下ろせる高台という一等地にあることから、共和政期には名門貴族の住む高級住宅が、帝政期には歴代皇帝の公邸がそれぞれ建てられていったそうです。

紀元前8世紀の建国から王政を経て共和制ローマが誕生し、紀元前3世紀には地中海周辺へと領地を拡大。1世紀ごろには西はイギリス、東はイラン、南は北部アフリカにまで及ぶ強大なローマ帝国となっていく訳ですが、そのローマの歴史がまさにこの丘から始まったと考えると感慨深いものがあります。

整地された平坦な丘の上には、かつての名門貴族たちの邸宅の跡が点在しています。
丘の下のフォロ・ロマーノの壮大な遺跡群とは対照的に、高級住宅街ならではの静かで落ち着いた雰囲気で、寂しさ侘しさもあるけど何かどこかホッとする。きっとローマの最盛期でもフォロ・ロマーノの喧騒とは無縁の静かで優雅な高級住宅街だったのでしょう。

ただ、案内板や説明書きはほとんどありません。想像力が試されるというか、これはなんだろう?あれはなんだろう?と古代ローマを空想しながらの散策を強いられます。まさか自分の妄想癖がこんなところで活かされるとはw

フォロ・ロマーノ

丘の上から各遺跡の位置関係を把握できたので、いよいよ丘を下って古代ローマの中心街を散歩してみたいと思います。

フォロ・ロマーノのフォロとは公共広場のことで、ここら一帯は集会や裁判、政治討論や商業活動の場として大いに賑わっていたそうです。
それがローマ帝国の衰退と共にいつしか人々から忘れ去られ、やがて地震や蛮族による略奪により荒廃。数世紀にも渡って土砂や瓦礫の中に埋もれたままの状態になっていたそうです。

中国のように強引に遺跡を復元するようなことはないようで、自然の成り行きに任せるがまま放置されているといった状態なんですが、これがまた歴史に媚びすぎてない感があって素敵というか。
すり減った石畳や色褪せた列柱、目の前に静かに横たわる崩れかけのアーチなどが訪れる者の想像力を掻き立て、かつて地中海全域を支配した大帝国の栄華を偲ばせます。

「全ての道はローマに通ず」という言葉がありますが、「全ての道」が行き着く先がこの”聖なる道”。
この地に立っているだけで、トラヤヌス万歳!ローマ万歳!第Ⅵ軍団万歳!と群衆で賑わう凱旋パレードの情景が脳裏に浮かんできてロマン大爆発。興奮しすぎてもうビンビンっす。

ローマ街道の起点であることを示す道路元標の基礎も残されています。
ここを起点にアッピア街道へ、更には遠くエジプトのアレクサンドリアまで。古代ローマ人が敷設した約8万kmにも渡る幹線道路の始まりの地がまさにここフォロ・ロマーノという訳です。もう感無量。決して保存状態が良いとはいえませんが、歴史ロマンが詰まった超ド級の遺構の数々に興奮しっぱなしです。

元老院、凱旋門、数々の神殿や記念中などなど、時代を超えて語り継がれる偉大なるローマ帝国の遺産群。まさにこの場所で、街頭演説や討論会が行われ、祝祭や凱旋パレードが催され…という古代ローマの中枢中の中枢ですからね。

目を瞑って雰囲気に浸っていると、大カトーさんの「カルタゴ滅ぶべし」という声が今にも聞こえてきそうです。

声が聞こえてきそうと言えば、「ブルータス、お前もか」の現場もここフォロ・ロマーノのトッレ・アルジェンティーナ広場にあります。
紀元前44年3月15日、広場内の神殿でブルータスら14名の実行部隊による凶刃に倒れたカエサル。

紀元前44年3月15日正午に実行されたカエサル暗殺事件。カエサルがどのように抵抗したのかについては諸説あるものの、もちろんどのバージョンも結末は同じで、胸への一撃が致命傷となり失命し、3月18日には荼毘に付されることとなりました。

再現:カエサル暗殺事件 歴史を変えた一日 | ナショナル ジオグラフィック

実際にカエサルの火葬式が執り行われた地点には、屋根に覆われた小さな祠が建てられていました。
火葬後、カエサルの遺灰は激しく降りだした雨に流されローマの大地に染み込んでいったと言われていますが、ここがまさにその現場。
今では石の塊が残るだけの儚い姿になっていて往時の様子を想像するのも難しいですが、物思いに耽り、歴史ロマンに浸るにはこれ以上の場所はありません。非業の死を遂げたエンペラーに合掌。

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