ハルビンの街歩きでロシア情緒にまみれたい

極東のモスクワとも形容されるハルビンの町を歩いてみます。

ハルビンはロシアと国境を接する黒竜江省の省都で、19世紀末に帝政ロシアが東方進出の拠点として入植してきたところから街の歴史が始まります。最盛期には世界33ヵ国約16万人外国人が居住する国際都市として発展。他の中国の都市では見られない独特の異国情緒に溢れた街並みが築かれました。

地図を見ても、ゴーゴリー大街や聖ニコライ教会、スターリン公園(ド真ん中へのド直球的なネーミングセンス!)といった横文字が並んでいたりします。スターリン公園とかロシア人もビックリですわw もっと探せばマルクスカフェとかレーニン保育園なんかも見つけれたかもw

タクシーに乗っていても、車窓を流れる景色が新鮮で。ソ連風の厳ついモニュメントや劣化版スターリン建築的な高層ビルが視界に入ったり、おもくそ漢字で「〇〇大学」とか「〇〇銀行」と書かれているのに建物が厳ついロシア風だったり。

町の中央広場にもソ連軍の戦勝記念碑が建てられてるくらいで、政治的イデオロギーたっぷり。確かに中国の他の都市にはない異国情緒というかロシア情緒を感じます。

こちらは1904年に帝政ロシアが建てた東清鉄道本社ビル(現ハルビン鉄路局)。シベリア鉄道をウラジオストクに最短距離で結ぶため、ここハルビンを拠点に東清鉄道を敷設していきました。

シベリア鉄道をウラジオストクに最短距離で結ぶだけでなく、大連・旅順に接続するのにも最適な場所がハルビンだったということでの大抜擢。ロシア人技師や軍人だけでなく、ユダヤ人やポーランド人の入植者、建設工事にあたる無数の中国人労働者などが満州の原野に集結し、西洋と東洋が交わる独特の雰囲気の町として急速に発展していくことになります。

旧東清鉄道本社ビルの周辺には東清鉄道職員の住宅だったアールヌーボー建築も辛うじて残っていて、当時の雰囲気を感じることができます。

旧ヤマトホテルの「龍門貴賓楼酒店」。

1903年に建てられた帝政ロシアの東清鉄道ホテル。日露戦争中はロシア軍の野戦病院や軍司令部として使用され、日露戦争後の1937年には客室数56室のヤマトホテルとしてリブランドオープンしていますw

老道外 中華バロック歴史文化区

当時の建物が残っているといえば、老道外というエリアもそう。ここは町の外れでロシアの支配が及んでいなかったことから中国人労働者が住み着き、西洋建築を真似て作られた奇妙な洋風家屋が数多く建てられたそう。それらの建物群は中華バロックと呼ばれ、今でもハルビンの観光地の一つとなっています。

ロシア人が建てた町の中のチャイナタウン。

今でも一部の建物はホステルや病院として現役で使われているようです。

西洋のバロック建築と中国の伝統的建築様式が奇妙に融合した奇妙な折衷様の建築群。西洋建築で人気の装飾モチーフであるアカンサスの葉がゴテゴテの白菜にアレンジされたりしています。
白菜の発音(バイツァイ)と多額の財産の意味の「百財(バイツァイ)」の発音が似ているので、演技を担いでのデザインなんでしょう。

そんな味のある中華バロック街。通りの中央では蚤市が開催されています。

いかにもな感じの古物商から、どこからがゴミでどこからが売り物だかわからないようなガラクタショップまで、多種多様な店が並びます。警察の帽子とか子供の養育手帳といった、入手経路が気になる怪しい品々も豊富w

玉石混交?宝を探し当ててくださいーなんていって客引きしてましたが、私にはゴミの山にしか見えませんw こんなんでも熱心に品定めする骨董目利き師がうじゃうじゃ鷹ってるのが中国らしいといえば中国らしい。

“伊藤博文暗殺”“七三一部隊の暗躍”“満蒙開拓団の悲劇”などなどダークな先入観があって気が塞ぐ思いで来たんですが、露店のオバサンの底抜けに明るい笑顔に暗い思いが一気に消し飛びましたw

秋林公司

続いて町の中心部に向け歩いていくと、1900年創業の“チューリン百貨店”が見えてきました。ロシア人のイワン・チューリン氏が創業した大型デパートで、当時は欧米の流行商品を専門に売っていたそうです。ロシアからはるばる極東の地までやってきて開業。1世紀を超える激動の歴史に翻弄されながらも、いまだに当時の社名を残したまま経営が続けられているといのは素直に凄いことですよ。

せっかくなのでソーセージを一斤(500g)買ってみました。見た目はグロすぎて画像をアップしようか迷ったぐらいですが、味は確かに美味しかったですよw グロ画像でお目汚し失礼w

教会

住居や商業施設だけでなく、正教会なんかも多く残っています。ロシア革命以降、本国では宗教が完全否定されちゃいましたからね。革命と内戦で混乱した1920年代にはロシアからの難民がハルビンに大挙して押し寄せ、より一層ロシア系住民の人口が激増したそうです。
中国もロシアを追いかけて60年代に文化大革命をやっちゃうんですけどねw これだから共産主義は。

正教会の聖堂前に掲げられる無数のカード。短冊か何かかなと思って覗いてみたら、まさかの結婚希望者によるPR集。カードを見ていたら結婚に興味あると思われたらしく、周囲のおばさま軍団から熱いお声かけを頂きましたw 孫や子をこちらに登録しているのだと。
美人の産地として有名なハルビンなので興味ありますが、よく見たら女性陣が男に求めてる要求けっこう厳しかったり。女性陣はハルビンでも持ち家要求をするのが通例みたいなので、私はハルビンでも書類落ちしそうw

造物主様があなたの行いを注視してるので行動に気を付けましょうってw ロシア正教ってそんなコンセプトでしたっけw

重厚な赤レンガと緑の玉ねぎドームで一際存在感があるのがソフィスカヤ大聖堂。こちらは1907年起工でもともとは従軍聖堂だったそうですが、絶賛大人気ということで1923年に再建されたそう。

残念ながら改修中で中には入れませんでしたが、このビザンチン様式の教会は外から眺めるだけでも見ごたえ十分です。

夜のライトアップも圧巻。ここら一帯はもう雰囲気が完全に中国じゃありません。

中央大街

最後は中央大街を通ってホテルへと帰還。この歩行者天国となった遊歩道の突き当りが今晩の宿泊先になります。

中央大街も20世紀はじめにロシア支配下で建設された目抜き通り。ヨーロッパのルネサンス様式風の児童洋品店、バロック様式の書店、アールヌーボー様式のホテルなど、歴史的建造物が通りの左右で大渋滞を起こしています。

ロシア風建物のオンパレード。

馬迭爾氷棍の名物アイスキャンディーを並んでゲット。こちらも1906年にハルビンで創業したという老舗のアイス屋だそうです。

瞬殺で飛ぶように売れるからというのもあるのでしょうが、プラスチックのケースに入れただけで外気にむき出しの状態で売りさばかれてましたw

てか吉野家ってこんな歴史あったんすね!なんかそう考えると無性に吉野家の牛丼が食べたくなっちゃって、わざわざハルビンまで来たのに初日の夜は牛丼で〆めちゃいましたよw

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