チュニスからカルタゴとシディ・ブ・サイドへ日帰り旅行

チュニジア二日目、朝一でカルタゴ遺跡へと向かいます。

「悲劇の通商国家カルタゴ」「地中海の覇者フェニキア人」「名将ハンニバル」「(ローマ)救国の英雄スキピオ」「タカ派の大カトーw」などなど、世界史の授業でロマン溢れるワードが次々と出てきてワクワクが止まらないぃぃ!って興奮した学生時代の記憶がよみがえります。
他にも「ラティフンディア、ラティフンディウム」の言葉の響きもたまらなく好きでしたね。やばいセンター試験受けたくなってきた世界史だけ。

チュニスからカルタゴへは、Tunis Marine駅から出ている郊外列車で向かいます。チュニス市街地からの日帰り旅行も全然余裕な距離にあるっすね。


マリーン駅まで、地中海リゾート感たっぷりの小洒落た通りを突き進む。チュニスではUberとGrabは使えませんが、エストニア発の配車サービスアプリ・Boltが使えるようになったみたいです。ぼったくりなどのタクシートラブルが多いらしいので、これで悪徳ドライバーが駆逐されてくれれば良いですね。


Tunis Marine駅で下車し、TGMという郊外列車に乗ってカルタゴへ。チュニジアンブルーの駅舎がマリーン感を出してるけど、ひどく廃れていて想像とは全然違った。見事なヤシの木通りで上がりすぎた観光客の期待値をここで調整しにかかったのか?期待値コントロール、大事ですからね。

ひだり みぎ
一大観光都市であり世界遺産にも登録されているカルタゴへの起点となる駅なのに、駅構内も洒落っ気なし。なんか、インドネシアあたりも通ずるイスラム圏独特の厳かな空気感が漂ってます。ラマダン期間中で、皆さんピリピリしてるのかな?


手動でドアをこじ開けて…


ドア開けっ放しで力走する郊外列車。地中海から吹き付ける風が心地良いですからね。風通しを遮るのは罪。


20分ほど列車に揺られ、かの名将の名を冠したカルタゴ・ハンニバル駅(Carthage Hannibal Station)で下車。ラマダン期間中だからか、世界遺産ど真ん中なのに人っ子一人としていない。


ひだり みぎ
看板や案内があるわけでもなく…とりあえず古代カルタゴの中心市・ビュルサの丘の方角へと向かう階段を上っていくと、住宅街の向こうに爽やかな地中海が見えてきた!緑の木々、青い海に空、白い家々…インスタ映えマックスですよカルタゴさん!

ビュルサの丘

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三面を海に守られたカルタゴの街を見下ろすビュルサの丘が悲劇の部隊。フェニキア人はここを中心に要塞を築き、スキピオ率いるローマ軍に対して徹底抗戦。最後まで丘の上の神殿を拠点に戦い続けたものの、一切の望みが潰える悟ると、神殿に火を放って自決したそうな。生き残ったカルタゴ市民は奴隷として売り払われ、町は完全に焼き尽くされ浄土と化し、フェニキア人国家のカルタゴは完全に滅亡した。紀元前146年のこと。

ひだり みぎ
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ローマとの三度のポエニ戦争の後に滅びたカルタゴ。ぺんぺん草すら生えない廃墟と化し、二度と復興しないよう呪いまでかけられたとされるカルタゴですが、戦後から1世紀も経つと、帝政ローマの属州として再び繁栄していくことになります。
今日のカルタゴで見られる遺跡は、主にローマ属州時代に作られたもの。モザイクタイルや石柱などが野放しで無造作に散らばってたりします。

アントニヌス共同浴場

ローマ属州として再編されたカルタゴは、北アフリカ支配の重要拠点としてローマ、アレクサンドリアに次ぐ帝国第三の都市にまで発展。ローマ式の共同浴場や劇場なんかが次々と作られていきました。

こちらはオーシャンビューの共同浴場跡。146年から162年頃にグランドオープンしたと推定されており、その規模は当時のローマの属州内で最大クラス。残された支柱や基礎部の大きさからして迫力満点で、当時のローマ人の浴場に対する熱湯ばりに熱い想いを感じます。

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断面図と一階の平面図。2階建てで、召使の待機室、更衣室、高温浴室、微温浴室、冷水浴室、プール、ジムやサウナ、垢すり室(?)など現代の温泉施設顔負けの設備が整っていたらしい。ワイらの祖先が水田がぁぁなんて言ってる頃に、こんなくっそでっかい健康ランドで植民地ライフを謳歌してたローマ人さんホント大正義。

ひだり みぎ
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床には色とりどりのモザイクアートが敷き詰められ、壁には美しい彫刻が施されていたそう。古代ローマ人さん、現代を生きるワイより優雅な生活送ってそうですわ。

円形劇場

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浴場だけでなく、古代ローマンタウンの定番施設・円形劇場だってありますよ。浴場と同じく2世紀に建てられて、音楽イベントや詩の創作コンテスト、哲学のディベート大会なんかで使われてたんだと。今でも現役の文化的イベントやコンサートの会場として活用されているらしい。観客先がコンクリで補強し直されていたり、明らかにローマ時代のものでないステージの土台やら柵やらが設置されていて、浴場と比べると遺跡感は薄いですかね。

ローマ人の居住地跡


浴場と劇場を見下ろせる小高い丘には、ローマ人の居住区跡も残ってます。オーシャンビューで、主要エンタメ施設まで徒歩圏内。整然と区画整理されていて各住居の敷地面積も広いですし、ローマから派遣されてくる高級官職向けの物件だったのでしょう。

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遠く地中海に浮かぶシチリア島まで見渡せるバルコニー付き高級住宅は、石材が積み直され当時の姿が再現された状態となっている。地中海からの風を浴びながらワイン片手に人生論を語る腐敗官僚の姿が想像できます。

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奢れるものも久しからず。ポエニ戦争は、カルタゴ絶対滅ぼすマンことカトーおじさんが願った通りの結果となったわけですが、皮肉にもローマの没落はこの戦争の勝利から始まると評価する歴史家も多いみたいです。後付けの解釈なんで、こじ付け的な解釈もあるんでしょうが。

ローマが競争相手であるカルタゴを完全に滅ぼし、陸海の全てを手に入れようとしていたその時、運命は狂い、混乱をまき散らした。危険を危険とも思わないような人間にとって、普通の安寧などは苦痛でしか無い。彼らは諸悪の根源である金や権力への欲望に従い、それらは信義や美徳を驕慢と暴虐に塗り替え、神をも怖れぬ彼らは何でも金で買えると思い上がった。…これらの悪徳はついには市民に蔓延し、帝国を最良のものから最悪へと変えてしまった。
—サッルスティウス、『カティリーナの陰謀』11

結局、帝政ローマは395年に東西に分裂。7世紀にはイスラム世界に取り込まれることとなっていきます。ああ、諸行無常。

シディ・ブ・サイド

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遺跡探索を終え、ローマ人居住区跡のある丘を下って海辺を散歩してみます。

海岸線に沿って北の方へと歩いていくと、チュニジアで一番美しい街とされるシディ・ブ・サイドが見えてきました。地中海を望む高級住宅街のようで、漆喰の白とチュニジアンブルーのコントラストがエキゾチック。サントリーニ島みたいっすね。
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せっかくなんで海鮮プラッターでもあれば食べたいなーと思って一通り探索してみましたが、ラマダン期間中につき飲食店はほぼクローズ。残念ながら今日はここいらで引き揚げます。

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