カトマンズのダルバール広場とクマリの館

混沌としたタメル地区を歩いて世界遺産にも登録されているダルバール広場へ。

”ダルバール”とはネパールの言葉で「王宮」「宮廷」といった意味ということで、「ダルバール広場」を直訳すると”王宮広場”ということになる。この王宮はマッラ王朝時代の王宮で、マッラ朝三国分立時代にはカトマンズ・バクタプル・パタンという3つの国にそれぞれのダルバール広場が建てられたそうだ。この時代にはそれぞれの王が競い合うように王宮広場の芸術性を高めていったそうで、カトマンズを含む三国のダルバール広場には今日でもマッラ朝時代のネワール芸術を施した美しい宮殿や神々を祀る数々の寺院が立ち並んでいるらしい。

マッラ王朝とか三国分立とか言われても分からないので、簡単にネパール史の時代区分を見てみよう。
古代 リッチャヴィ王朝時代 5世紀~13世紀
インド・アーリア語族の王朝。非インド・アーリア語族の先住民を支配し、カトマンズ盆地を統治した時期。

中世 マッラ王朝時代 13世紀~18世紀
ネワール族のマッラ王朝がカトマンズ盆地を支配した時代。15世紀後半から3王国(カトマンズ バグタプル パタン)に分立。
その後、小国分立に至り、衰退。

近代 ゴルカ王朝時代 1768年~
かつて小国だったゴルカ王国がネパール全土を統一、支配した時期。
1846年~1951年 ラナ専制政治時代(実権が王家から宰相のラナ家に)
1951年:立憲王政期 トリブバン王の治世にゴルゴ王政復古
2008年:王制廃止。

現在 連邦共和制時代 2008年から

カトマンズのダルバール広場の寺院の中には古代から建っていたものや近代になって新しく建築されたものもあるみたいだが、基本はネパール史中世時代の物という理解で良いのかな。

…という訳で、ダルバール広場を目指してゴミゴミしたタメル地区を更に南へと歩く。

ひだり みぎ
火元から凄まじい匂いが発されているが、これはゴミを焼却してるわけではないよな。何気ない通りの何気ない一角で何気なくこういった祭事が催されているのが実にネパールっぽい。

ひだり みぎ
果物の量り売り。一国の首都のど真ん中で原始的な吊り下げ天秤の原理を使って果物が量り売りされてるのには驚いた。細かな重量の分銅が無く笑っちゃうほどザルな測定だったのにも、緩~いネパールの方々の性格が良く表れてるようだ。


古くから市民の集う市場として栄え、中世の街並みが残されるインドラチョークのアカシュバイラヴ寺院。木造の建物がびっしり並ぶ中を人とリキシャが往来する、昔ながらのカトマンズの雰囲気が色濃く残る場所らしい。

ここからいよいよダルバール広場へ。
入場料を払って中に入ってみたが、広場と言っても、北京の天安門広場やモスクワの赤の広場のようなだだっ広い広場とは全く異なり、どこにでもある公園くらいのスペースに寺院や王宮がさりげなく建っている程度の規模だった。それでも、ネパールで最も神聖な場所とされ、毎日多数の地元民がお祈りの為に押し寄せるらしい。


今でも人とハトの憩いの場所であるようで、とりあえず人とハトの数が凄すぎる。


押し合いへし合いの状態で祈る。

セト・バイラヴァ(Seto Bairav)

押入れの中で憤怒の表情を見せるこちらの神も順番待ちの列ができる程の大人気ぶり。セト・バイラヴァ(Seto Bairav)という神らしい。


チラっ。狭い空間に押し込められていて怒りを露わにしているようだ。ド迫力の憤怒の表情である。

カーラ・バイラヴ



柔和でどこかコミカルなお顔立ちなのに、ぶっとい腕で刀を振り上げ生首ぶら下げる神にギャップ萌え。カーラ・バイラヴというシヴァ神の化身で破壊と殺戮の神で、全てを見通す特殊能力付きの神で、彼の御前で嘘をつくと即座に死んでしまう為、昔は容疑者をここにつれてきて尋問を行っていたそうだ。最恐の嘘発見器。


人気の神あれば不人気の神もあり。2015年の地震からの復旧が進んでおらず、人目につかぬ場所でひっそりとゴミにまみれた可哀想な神もあり。

タレジュ寺院


ひだり みぎ
R指定付きのフルチン寺院。子孫繫栄の神でも祀られてるのかな。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
狛犬的な守護神もどこかコミカルな感じだし、祈りの対象も様々で見ていて面白い。

シヴァ・パールヴァティー寺院



小窓から仲睦まじい様子で顔を出すシヴァ神とその神妃パールヴァティーのお姿が。まるで通りを通る人々を観察して楽しんでいるよう。

ナラヤン寺院


ナラヤン寺院。17世紀の建造で、ヴィシュヌ神が祀られている。日差しを遮る庇のような屋根を持っている為か、腰かけて休む為の休憩所のように使われているようだった。

パサンダプル広場




パサンダプル広場は青空市になっていて、ヒンドゥー教や仏教の神々のミニチュア像や数珠といった宗教モチーフの土産物なんかが売られていた。中には良い感じの木工品なんかもあるけれど、第一声の言い値がアホみたいに高かったので買い物欲が一気に失せた。

マヘンドラ博物館


残念ながら、他の寺院や旧王宮の建物を使った博物館なんかは2015年4月25日に見舞われたネパール大地震で崩壊してしまっており、世界各国からの支援により復旧作業が進められている状況(2018年6月時点)。

ひだり みぎ
ひだり みぎ

周辺の建物にも震災の爪痕が深く残ってしまっていて、王宮の中にも入れない。これで入場料が以前と変わらず1,000ルピーというのは…とも一瞬思ったが、復興支援の原資としてお使い頂けるのであればこれ以上の喜びはない。


日本もシヴァ寺院、ハヌマンドカ(王宮)、アガンチェン寺の修復に携わっている。同じ地震多発国として活かせるノウハウもあるだろう。

クマリの館

一番の目玉であるクマリの館は幸いにして通常営業中だった。直ぐ近くの巨大な寺院群が瓦礫と化した一方で、クマリの館では聖なる力で護られ被害が無かったのだろうか。

因みにクマリとは、ヒンドゥー教の女神タレジュの化身とされるネパールの生きた女神。23にも及ぶ選定条件を満たしたネワール族の幼女から選ばれるクマリは、大女神ドゥルガーや昔のネパール王国の守護神であるタレジュ女神、さらに仏教徒からは密教女神ヴァジラ・ディーヴィーが宿るとされたネパールにとって極めて神聖なる存在らしい。

因みに23の選定条件の一部がwikipediaに載っていたので引用すると…

健康である
全ての歯が欠けていない
菩提樹のような身体
子牛のような睫毛
獅子のような胸
鹿のような脚
アヒルのように柔らかく透き通った声
黒い髪と目

といった項目があるらしい。見事厳正なる審査を突破しクマリとして選定された生き神は、初潮を迎え退任するまでの間、親元を離れてこのクマリの館の中の一室に住み込むことになるそうだ。年に何回か開かれる祭事など特定の時以外は外出できないどころか、外部社会との接触も断絶されることになるので、最近では人権派の方々の声も大きくなってきているらしい。



内部は四面が3階建ての建物で囲まれるような造り。壁面の窓枠にびっしりと木彫りの彫刻が施されていて荘厳な雰囲気が漂っている。


一日に数回、この中央の窓からご尊顔を覗かせてくれるのだが、写真撮影は厳禁。自分は10:00に行ったところ、ちょうど中国人の団体ツアー客がいたからか、ツンツンとした表情の女神を3秒ほど拝むことができた。


ひだり みぎ
ほんとに一瞬しか拝むことができないし、写真撮影もできない神聖なる存在なのだが、広告になっていたり道端で売られる観光本に載ってたりと、彼女の写真は至る所で見かけることができる。

両親からも引き離され、クマリの館に閉じ込められ神としての振る舞い方を教育され…神は全能であるため退任するまでは学校へも行けず。クマリとしての役割を終え一般社会に戻る時の年齢は概ね12歳から14歳。初等教育も受けずに育ち、初潮を迎え後任が決まると同時にいきなりお役御免と一般社会に引き戻されるとか。そりゃあ人権団体が黙っていませんわ。

…兎にも角にも、一日でも早く神の住まうダルバール広場が復興しますように!

【ダルバール広場(Durbar Square)】

入場料:1,000ルピー



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