西安近郊で感じる歴史ロマン 半坡遺跡と半坡博物館

黄河中流域に於いて紀元前5000年から紀元前3000年の新石器時代に栄えた仰韶文化。仰韶文化の史跡といえば仰韶遺跡が本家本元であるが、1953年に西安郊外で発掘された半坡遺跡も、その環濠集落跡と彩文土器等の出土品から仰韶文化に属するものと考えられている。

せっかく西安まで来たのである。観光地としての知名度は高くないみたいだが、世界四大文明の一つである仰韶文化時代の遺跡を見に行かないのは勿体ない。

ということで生憎の天気だけど603番のバスで半坡村まで向かってみることに。

ローカルバスに1時間程揺られて到着した。

耕作中の農民により1953年に発見された悠久の黄河文明跡で、中国内で唯一完全な形で現存する原始人社会遺跡。紀元前5000~4500年の環濠集落で、部屋遺跡46・成人墓174・子供墓73・陶窯遺跡・及び多様な生産用具や生活用品も多数発掘されている。規模的には5万㎡程度、最盛期で人口500~600人程の規模の集落であったようだ。

天候的な要因も関係しているのだろうか、殆ど来訪客は殆どいない…。
ひだり みぎ
新石器時代の後期に生きた半坡人が、この地に初期の人類文明を築き上げた。人類文明の揺り籠と言っても過言ではない歴史的な場所なのである。


遺跡の手前に建つ半坡博物館なる建物に入ってみたところ、いきなり半坡人の顔の復元像にビビらされる。科学的推測が加えられたもので考古学的価値はないと思うがインパクトは絶大だ。


今にもラップバトルを仕掛けてきそうなワイルドでヒップホップな男性陣の像が展示されているが、半坡文明は他の多くの仰韶文化と同様に母系制社会であったと推定されている。

ひだり みぎ
展示品を見ると、どうやら狩猟採集や土木作業は男性が担い、女性の仕事は農業や土器作りといった社会的分業も行われていたようだ。


人類創成期の住居の再現。住居は円形と方形の二種類あり、一般的には円形の方が古いものとされている。方形平面の竪穴住居は12m×10mという大型の物で、浅い穴を掘り地面に出た部分を覆って屋根代わりとした。それが後期になってようやく地面に壁を築き、木の柱で屋根を支える形式になったようだ。このような垂直な壁と傾斜した屋根という後の中国の伝統的建築物と同様の構造が5000年も6000年も前からあったというのは驚くべき事実である。


住居近くの貯蔵穴からは穀物のアワ・白菜・コウリャンなどの種子や牛・豚・馬・羊などの動物骨も発見されており、当時の人々がアワを主体とした原始農耕や狩猟に頼る生活を営んでいたことが解き明かされた。

ひだり みぎ
石器は農具・工具・すり石等が出現。打製石器も多いが、石斧は精巧な磨製品となっている。仰韶文化で発展した農耕文化を忽ち黄河流域に広がりを見せ、後に続く竜山文化の源流となった。

ひだり みぎ
農耕生活の遺物には、耕地を切り開くのに必要な鍬・銛・鏃等の石器が約1000点出土した。石鋤や石斧は森林を伐採し、開墾して耕地にする為の道具として用いられていたようだ。この一帯は黄土地帯なので農具自体に大がかりなものは必要なく、簡単な農具で簡単に土を掘り起こすことができたのだろう。


ロクロが使用されていた形跡は無く、泥質の土を輪にしてそれを積み上げていく巻き上げ法手法で匠の技で作られた精美な土器。広口で浅底の平らまたは丸っぽい盆のような飲食器や鉢・瓶・甕が多数出土する中、底の尖った壺のようなものも見つかっている。

ひだり みぎ
晩期の文化層から出土した土器には彩陶も多く含まれていて、赤地に黒色顔料で幾何学文様や人面、魚などなどが表層に描かれている。

奇妙なのはこの魚と土偶のような実写的で呪術的な人面がドッキング人面魚の模様である。千葉ロッテの謎の魚マスコットもだいぶ奇妙だが、ここの人面魚も気味の悪さという点では負けてない。
ひだり みぎ

春秋戦国時代の『詩経』『周易』に、魚には隠喩として「男女の交わり」の意味があるとされていることから子孫繁栄を望む意味があると推測されている他、シャーマンのマスク説、権力の象徴説、トーテム崇拝説などなど諸説あるが、模様の意味するところについてははっきりとしたことはなに一つ解明されていない。ただただ言えるのは、半坡遺跡に生きた人々は農耕を行いながら、漁撈も盛んに行っていたということだ。他に魚だけの文様が施された土器もあったりと、半坡遺跡の彩文土器はどれもモチーフ的に面白く独創的である。

…ということで、ここいらで博物館での事前学習を切り上げ、満を持して敷地内突き当たりの小高い丘にある半坡遺跡へと向かう。

建物内に入るとそこは6000年前の異次元の世界。長期間に渡り生活が営まれていて、4つの文化層が確認できる大集落跡となっている。

ひだり みぎ
産河東岸の段丘の上に築かれた集落は不規則な円形を描いていて、深さ5m程度の環濠に囲まれた居住区が中央に、その北側からは集団墓地、東側からは窯址がそれぞれ出土している。


ひだり みぎ
家が三層に重なった環濠集落の住居址。


壕の目的は定かではないが、猛獣や外的の侵入を防ぐ為のトーチカ説が有力とか。今でこそ黄土の荒れた大地が広がる半坡遺跡一帯だが、仰韶文化が育まれていた当時は今より更に温暖湿潤な気候であり、森林に覆われていた為に樹木や竹が群生していたと考えられている。付近にには河が流れ、沼沢地も多くあり水源が豊が故に水草が繁茂し、魚などが多く棲む自然環境であったのだろう。だからこそ、環濠集落として河を巡らせることができたのである。

ひだり みぎ
こちらは墓地址。成人は仰向けの伸展葬の形態で共同墓地の土坑に埋葬され、一部の未成年は甕棺の中で住居の床に埋められていた。原始共産制社会で平等な生活を営んであろうに、一部の用事が特別手厚く埋葬されているというと、特別な地位をもつ長の存在があったことも考えられる。となると、もしかしたら既に原始母系制社会が崩壊し、ある種の身分或いは階層が芽生え始めた時代だったのかもしれない。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
ファイヤープレースらしい。中国語ではめっちゃ説明書きあるのに、英語版はただFireplaceと一文字だけ書かれててシュール。


氏族の公共倉庫的に使われていた貯蔵穴は住居の周囲に約200基見つかっている。すげーなー。5-6000年前のタイムカプセルみたいなもんですやん。見つかったのは粟の種子とかだけど。

秦の始皇帝が遺した兵馬俑史跡よりも前に築かれた原始文明の遺跡、もっともっと観光地として認知されても良いと思うのだが…。中国の歴史や人類学に興味のある方、西安にお越しの際には半坡遺跡への訪問もお忘れなく!

半坡遺跡博物館

住所:西安市半坡路155号
電話 : 029-351-2373



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【2017年新疆・敦煌・西安旅行記】











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