時は遡り20世紀後半、帝政ロシアは遼東半島南部の租借に成功し、今日の大連となる当時の漁村を「遥か遠い」という意味のロシア語「ダリーニ」と名付けてパリをモデルとした都市開発に着手した。ヨーロッパとロシアの伝統的な設計に倣い、大連をヨーロッパ区・行政区・中国区として区画分けし、都市広場や放射状に広がる道路を中心として典型的なヨーロッパ風建築物を造る構想を抱いていた。しかし、1904年には日露戦争が始まり都市開発は計画半ばで頓挫することを余儀なくされ、都市計画は次なる統治者となった日本の手に委ねられることとなった。こんな近代史を持つ大連であるが、日露戦争までの僅かな期間に帝政ロシアにより建造されたロシアン行政区跡の雰囲気を漂わす通りが大連の一角に残っている。大連駅から路面電車の線路に沿って東北に進み、勝利橋を渡った先にある旧ロシア人街と呼ばれる一角だ。
とはいっても、実際には2000年に整備復元された町並みであって、建物の全てが当時のものというわけでもないく、ロシア人が住んでいるわけでもないらしい。
約400メートルある小さな通りはロシアン屋台や各種ロシアグッズの土産物屋などが道の両側にぎっしりと軒を並べる商店街となっていて、日本の縁日のような雰囲気を味わえる。ロシアには行ったことないので比較のしようがないが、建築物だけみたら確かにロシア風っちゃロシア風だ。
ロシアのアイスクリーム屋。看板にはご丁寧にロシア語文字も書かれているが、間違いだらけの日本語メニューを平気で使うお国ですので、ロシア文字が書かれているだけで何の意味にもなっていないかもしれない。
“モスクワショッピングセンター”“シベリア特品店”など、それらしい名前の店舗が並んでいるが、売り子も買い物客も皆中国人。
ロシアのおタバコやチョコレート、キャビア、ウォッカにお菓子などなど。『俄羅斯』=ロシア、『暇一賠十』とは偽物だったら売りの値の10倍支払いますくらいの意味。オーセンティックなロシアプロダクトだとアピールするキャッチフレーズだ。売り子は中国人だがロシア語っぽい言葉で話しかけてくる。ロシア人には有効だろうが、私にロシア語で話しかけられてもさっぱり何だか分からない。
表通りの露店にはロシア土産の定番民芸品であるマトリョーシカを始め、いかにもロシアらしい軍用双眼鏡・ガスマスク・赤外線スコープなどの旧ソ連軍からの軍事放出品や、ロシア産ライター、シベリア風毛皮コートや手袋、耳付き帽といった防寒具などのロシアグッズが所狭しと置かれていて、見ている分には非常に面白い。ただ、地元中国大連の物価相場を考えれば相当高額な値段もさることながら、露天屋台の売り子が全員こってこての中国人なので、買う気も一気にトーンダウン。中国の露天屋台の品物はどうしてもパチ物、バッタ物というか、模造品、B級品、粗悪品といった良くないイメージも相まって、購入は控える事に。実際に手袋のタグを見ると中国語オンリーだったし…どうせならタグまでちゃんと模倣しとけよ!!ここらへんの詰めの甘さが如何にも中国である。
屋台露店の常として売り物が凄く怪しさ満点に感じられるが、まぁ何しろ中国なんでどこで何を買っても怪しいといえばどれも怪しいし、そう考えれば露天屋台だからといって特に神経質になる必要もないのかもしれない。意外にも大連の他の場所ではロシアグッズは余り見かけることはなかったので、時間的余裕がない短期旅行者でロシアングッズをお求めになられたい方は大連ロシア人街の“ロシア風”土産で妥協しても良いかもしれない。少なくともタバコやスナック類は本物の輸入(密輸!?)品だろうし。
ロシア人街の突き当りにあるのは帝政ロシアによって1900年頃に建てられたダリーニ市庁舎。当初はロシアの東清鉄道事務所として利用されていたこの建物が1902年にダリーニ市庁舎となり、日本統治後の1907年に東京から移転してきた南満州鉄道本社となる。非常に優美な建築物であり、満鉄の本社が1908年に現在の中山広場に移転した後は二代目の大和ホテルとして転用されることに。明治を代表する文豪・夏目漱石も宿泊したそうだ。その後も満州物質参考館、満蒙資源館、満州資源館と役割を変じていく中で終戦を迎えることに。戦後は大連市自然博物館と改称して利用されるも、1998年に博物館が他所に移転されてからは利用されていないとのことだ。建物の前には噴水がロータリーとなっており往時を忍ばせるが、現在は建物自体残念なほど朽ち果てていまっていて、廃墟のような雰囲気すら漂わせている。
こちらは戦前、児玉街と呼ばれていた現ロシア風情街の写真であり、奥に初代大連市役所の建物を見ることができる。これを見ると建物の数も未だ少なく、ロシア人街に今あるロシア風建築物は後付けの模倣建築物であることが分かる。まぁ観光地として散策する限りはロシア情緒を味わえるエキゾチックな雰囲気はありますし、20世紀初頭の帝政ロシアを想いを馳せながらロシア人街を探索するのも良いかと思います。
Related posts(関連記事):
この日は香港での仕事終わりにフェリーで珠海のクラウンプラザシティーセンターへ。こちらのホテル、以前はホリデイインだったけど、最近のリノベーションを経てクラウンプラザへと格上げになったらしい。ただ、宿泊レートは大きくは変わらず、最安値レートはRMB600元台⁺⁺~で、特典宿泊に必要なポイント数も15,000ポイントで据え置きとなっている。 珠海の九州港からはホテルの無料シャトルバスにて移動、1...
広州市を歩いていて、なんとまあ、あのコスパ最強イタリアンチェーンのサイゼリヤを発見!!!何度も目を擦って確認したが、ロゴもスペルも間違いない!本物だ!!!イタリア料理のチェーン店と言えば中国では『必勝客』でお馴染みのピザハットだが、サイゼリヤも地味に2003年に中国は上海に進出していて、現在では大都市を中心に既に中国で合計150店舗を展開、3年後には400店体制にするという勢いらしい。 中学...
朝6時半の早朝にホテルチェックイン後、暫し仮眠をとってからクチャでの行動を開始する。クチャ王府⇒亀茲古城遺跡⇒スバシ故城⇒クスルガハ烽火台⇒キジル石窟といったイメージで効率的にクチャ市内外の観光地を周り、夜には鉄道でトルファンへと移動する予定。 先ずはホテルからローカルバスを乗り継ぎクチャ王府へ。ホテルから市街地まで2路バス、市街地からクチャ王府までは1路バスにて移動する。運賃は各1元、賽銭...
北京での最初の土日は、IHG修行の追い込みでクラウンプラザ 北京王府井に宿泊しました。 ※IHGから脱退済。2022年6月現在、Google Map等の地図上ではクラウンプラザと表記されますが、既にIHGのプラットフォーム上での予約ができない状態となっています。今後、北京国際芸苑大酒店としてクラウンプラザの冠を外した形で運営していくようです。無念! 在りし日のクラウンプラザ。一泊5...