先週末は二泊三日の広州観光旅行である。宿泊先は限られた時間内で最大限の観光ができるよう、利便性を重視して広州中心地を流れる珠江の畔、地下鉄・海珠広場駅から程近い東アジアホテルを選択。アゴダに載っていたミスリーディングな写真の百倍は古めかしい老舗ホテルだった。
老舗も老舗、何と創業は1914年に遡る。当時は広州市最大のホテルとして広州内外の注目を集めたらしく、ホテル一帯が“オールド広州”とも言うべき旧市街に位置している。まぁ寝るだけだしな…と自分に言い聞かせる。
ホテル周辺にはライトアップされた南嶺建築群や、旧市街のおしゃれバーストリートが並び、南シナ海に繋がる大河・珠江が流れる。散歩する分には非常にエキサイティングな位置にある。
【広州市観光マップ】
広州と言えば『食は広州に在り』とも称される広東料理の本場である。因みに余り知られていないが、この格言は四句対となっていて、フルフレーズは『生在蘇州、穿在杭州、食在広州、死在柳州』となる。
『蘇州に生き、杭州に着、広州に食べ、柳州に死す。』という意で、掘り下げれば『風光明媚で美男美女の多い蘇州で生を受け、杭州産の上等な絹織物の服に身をまとい、広州の美食を食べ育ち、そして最後は柳州産の名木で造られた棺桶で眠りたい。』という中国人の切実な願いを歌った句なのである。確かに世界に名を届かせる広東料理は広州訪問の大きな魅力の一つであるが、広州には他の観光的魅力も詰まっています。
常住人口は1300万人を超え、世界各地の人々が集まる超メガロポリスの広州ですが、その歴史は古く、今から2000年前から中国⇔東南アジア、更には南アジア諸国へと繋がる『海のシルクロード』と呼ばれる海の上の貿易通路を築き、その後も清朝末期まで中国の海の窓として発展を続けてきました。広州はそんな広州の発展の歴史や往時の様子を感じさせる建造物も多く保存していて、近代的建築群と歴史的建築群が同居をした趣のある街並みを形成しています。
今回は時間的制約がある中で、以下のスケジュールを組んでみた。各地の訪問記は明日からちょっとずつアップをしていこうと思います。
●3月1日(金)
20:00 ホテルチェックイン
20:30 状元坊
21:00 上下九歩行街
23:00 沙面
●3月2日(土)
08:00 文化公園
09:00 沙面
10:30 陳氏書院
12:30 光孝寺
15:00 黄埔
18:00 小北
20:30 広州タワー
●3月3日(日)
10:00 嶺南印象公園
14:00 烈士陵園
15:00 一徳広場
15:30 万菱広場
16:00 石室圣心大圣堂
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