サイゴン川沿いに建つホーチミン記念館の訪問記。ホーチミンは自己の見識を広げて母国を植民地支配から解放したいとの大志を抱き、若干21歳の時にこの地からフランス船“Latouche Treville”の見習い船舶料理師としてフランスに旅立ちました。志のある者は行動力が違います。
入館料はVND 10,000 (≒40円)。広大な敷地に…
控え目な規模の記念館。
この勇ましい青年はNguyen Tat Thanh。後にホーチミンと名乗ることになるこの少年が、1911年、この地からフランスに向けて出港して行きました。彼は革命家として30以上の名前を使い分けていたそうですが、ややこしいので当サイトでは『ホーおじさん』『ホーチミン』の名で呼ぶこととします。因みにホーチミンとは漢字で『胡志明』、志明らかな異邦人という意味だそうです。
1911年6月5日、自国独立を勝ち取る為の冒険がスタートしました。
サイゴン出発後、シンガポール⇒セイロン⇒エジプト⇒フランスと渡り、その後も1917年にパリに居を落ち着かせるまでの間、スペイン⇒ポルトガル⇒アルジェリア⇒チュニジア⇒セネガル⇒ギニア⇒ベニン⇒コンゴ⇒アメリカ⇒ブラジル⇒アルゼンチン⇒メキシコ⇒マルティニーク ⇒フランスと世界を巡り、1914年からは英語学習の為にイギリスで生活をします。やっぱり他文化で積極的に見識を広げることは重要です。
その後、フランスを起点としてベトナム独立運動を展開。再び母国の土を踏むのは出発から30年後の1941年、ホーチミン51歳の時でした。
ここホーチミン記念館では歴史の解説よりは、ホーおじさんの写真・銅像や遺物の公開、彼の名言紹介がメインとなっています。
子供から愛されるホーおじさん。後世に於いてこれだけ慕われる革命家は彼くらいでしょう。
どうしても離れたくないようで、銅像にしがみつきっぱなしの若者。大好きなホーさんを前に絶頂顔をしています。
高校生に囲まれるホーおじさん。学生たちの表情が非常に印象的です。
オーケストラを指揮するホーおじさん。緊張気味のホーチミンさんに対して、共演している演者は実に嬉しそう。
さて、30年ぶりに母国帰還を果たしたホーチミン、国内でベトナム独立同盟会(通称ベトミン)を組織・指導し、1954年にディエンビエンフーの戦いでフランス軍をベトナムから駆逐。ジュネーブ協定により、70年に渡ったフランスの植民地支配に終止符を打ちます。
然しながら、この時点でベトナム侵略を目論んでいたアメリカはジュネーブ協定に調印せず、南ベトナムに設立した傀儡政府への積極的な経済的・軍事的支援へ乗り出します。アメリカは民主主義の旗手として、アジアでの共産勢力拡大を何としても阻止しなければなりませんでした。これに対し、北ベトナムは南ベトナム解放民族戦線(通称ベトコン)を組織、武力による民族統一をかけてアメリカと戦火を交えることとなりました。所謂ベトナム戦争(1960~1975)の勃発です。
戦況は長期化し、ゲリラ戦化してしまいます。その中で1969年、ホーおじさんはベトナム民族の統一を前に、心臓発作にて他界してしまいます。
ホーおじさんの死は日本のメディアでも取り上げられるなど、世界各国で大々的に報道されました。
以下、遺書の内容『抗米闘争では、今後も犠牲と困難に耐えねばならないだろう。しかし、我々最終的に勝利を収めるのは間違いない。その勝利の日、私は南北ベトナムを巡り歩き、祖国の雄々しい同胞達、指導者や戦士たちと喜びの言葉を交わし、年老いた懐かしい人々、最愛の息子たち、子供たちを訪ねたいと願う。その後、祖国の人民を代表して、社会主義陣営の兄弟諸国と全世界の友好諸国を訪れ、我が人民の抗米闘争に寄せられた心からの支持、援助に感謝したい。』
そしてホーおじさんの死後6年、ベトコン戦車が南ベトナムの大統領官邸に突入、遂に南ベトナムの拠点であったサイゴンを陥落させます。
南ベトナムの大統領官邸にホーチミンの肖像画が掲げられ、ここにホーチミン長年の夢であった帝国植民地支配からの解放、ベトナム国家の南北統一が果たされます。
今でも国民から愛されるホーおじさん。街を歩けば至る所で彼の顔入りTシャツを見かけます。同じ革命者でもレーニンや毛さんのシャツなど着て街を歩くことはできませよね…
展示物の点数も内容もイマイチでしたが、入館料はたったの10,000ドンですし市内からも近いので、お時間のある方は寄られてみてはいかがでしょうか。
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