趣味でもある博物館巡りの一環で、またも江門市に行ってきました。
本日の目的地は前回の開平市旅行 の際に時間が足らず、残念ながら訪問できなかった五邑華僑博物館。
ここには戦前に米国へ渡った華僑の渡米後の生活にまつわる物品や資料が展示されています。
当時、凶作による過度の食糧不足やアヘン戦争、欧米列強の中国侵略で荒廃しきった祖国に見切りをつけ、ゴールドラッシュに沸くアメリカ大陸を目指した中国人。未開の地でチャンスを掴むぞ!との不退転の強い決意を胸に多くの中国人が太平洋を渡り、1860年代にはゴールドラッシュ の中心地カリフォルニア総人口の3分の1までもを中国系の人たちが占めていたとのことです。
さあ、一攫千金を目指して海を渡った彼らの渡米後の生活とは如何なるものだったのか!高校までは中国史に何ら関心を示さなかった私でも、自然と興味が湧いてきます。
さて、今回も江門までは中距離バスで移動、江門バスターミナルから博物館まではタクシーで10分ほど。
目的の博物館は五邑華僑広場内にあります。五邑とは『五つの国』との意味で、江門市が管轄する恩平、鶴山、新会、台山、開平の5地区の総称です。
博物館の造りは予想以上に現代的。入場料無料での一般開放にも関わらず、中に入ると驚くほどの閑散ぶり!暇を持て余すガイドさんがついて回ってくれます。高額なチップを要求されるかビクビクしながらも案内してもらうことに。しかしこの人めっちゃ早口!外国人相手に何故そこまで早口になるのか。『もう少し遅くお願いします』と言ったらその時は遅くなるのだが、30秒後には元のスピードに逆戻り。再度遅くしてもらうもやはり30秒後には通常の人間の倍速口調に戻ってしまう。途中で彼女の説明を聞き入れることを放棄しました。
入口では先ず五邑華僑の説明から。
五邑華僑とは、文字通り五邑の地から世界に散らばっていった華僑のことを指します。今や世界を牛耳る影の支配者、中国華僑。華僑の数は4千万人以上で、成金華僑たちは各国で経済的な支配力を強めています。
北米へは19世紀に外国籍の商業船で渡りました。職業証明書や健康診断書を提出できた者が海を渡れます。アメリカンドリームを夢見て、一念発起して太平洋を渡った華僑を待ちうけていたものは…
そうなんです。ゴールドラッシュは1860年代に終焉を迎えてしまったのです。そこで多くの中国移民は鉄道建設の集団重労働に生きる糧を見出そうとします。当時のアメリカ・カナダは国土の東西を結ぶ大陸横断鉄道の建設に躍起になっており、大量の安価労働力を必要としていました。経済的弱者であった当時の中国移民たちは、過酷で危険な労働に従事させられ、結果、『鉄道の枕木の数だけ中国人の死骸が埋まっている』と言われる程の中国人が鉄道建設の犠牲になりました。
今では信じられないような原始的工具を使って山を削り、道を拓いていきました。中国系移民たちは雨の日も風の日も雪の日も安い給料で働き続けました。
安い労働力として重宝された中国系移民。ところが社会的地位は一向に上がりません。
それどころか、1880年代の不況時には、白人の職を奪う脅威として捉えられ、中国人排斥法という、現代では考えられない不条理な法律が可決され、中国人は市民権を剥奪されただけでなく、土地を不条理に募集されるなどの惨い仕打ちにあう。そして、この法律の為に17万人もの中華系移民がエンジェルアイランド(天使島)にて集団収容されることとなる。上はまさに中国人を不当に取り調べる米人の画。
エンジェルアイランドなんて名前聞いただけだとビーチリゾート的なイメージを連想してしまいますが、元々は当時の米国移民局の窓口で、各国からの移民がこの地を通ってアメリカへ入国していきました。中国人に対しては中国人排斥法が制定される以前も、他国からの移民より審査が厳しく、多くの中国人がこの地で足止めを食らった。この収容所の壁には中国語で書かれた苦しみの詩が刻み込まれているらしい。
北米の西海岸と東海岸を結ぶ鉄道は、五邑華僑無しには完成し得なかったというのが北米鉄道史の定説です。搾取するだけしてポイ捨て。現代の社会構造にも当てはまる節があります。
鉄道網が広がるにつれ、北米全土に唐家街=チャイナタウンが形成されていきました。そう、『郷に入れば郷に従え』なんて言葉は彼らの辞書にありません。移民先の文化に同化するのではなく、各地で中国文化圏を築く彼ら。今や池袋にもチャイナタウン構築計画なるものが…
そして、開平に帰郷した他の華僑と同様、鉄道工華僑たちも事業終了後には故郷に戻り、自国の発展に貢献していきました。
華僑が外来文化の輸入にも貢献した。生活用品、諸機械類、農業用品、本、美術品を“先進国”から中国本土に持ち帰りました。
そしてなんと!鉄道建設ノウハウを生かし、広東省に鉄道を敷いちゃいます!凄い行動力には頭が下がる。私も帰国後は海外での経験を日本の国益に還元できるような立派な人間にならねば;;
新?鉄道と呼ばれるこの鉄道は1906年から1920年に米国華僑である陳氏主導で建設された。台山から北街、江門までの133キロを結び、1909年4月20日至1939年2月14日まで運営していました。一日平均3327人が乗車。
乗車券デカっ!!!こりゃかさばるな~。現代のパスポート感覚か。
当時の駅の再現。列車は1908年にドイツより輸入したヘンシェル蒸気機関車と米国のボールドウィン製蒸気機関車が使用されていた。
実際の駅の様子。当時の大塘駅。現在この場所は、大塘市場という街市場になっているらしい。
とういった感じで、ここ五邑華僑博物館では『北米への渡航』⇒『米国での鉄道建設』⇒『アンチ中国移民運動』⇒『チャイナタウンの発展』⇒『華僑の帰国と自国の発展』と、ほぼ時系列で中国移民の歴史に触れることができます。
中国系移民の話は以前に学部生の時にとったカナダ史の授業で軽くかじったくらいで、ほぼ予備知識なしで挑んだが、変な先入観無く入れたので逆に楽しめたのかもしれない。
次はどの博物館にするか。広東省内で『ここいいですよ~』的なところや、『ここ行って来て下さい!』的な場所がありましたら是非ともお教え下さいませ!
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