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昭和館 後編


前回からの続き。昭和館の訪問記になります。

⑥銃後の備えと空襲
1944年末頃から空襲が更に激化し、住宅密集地域も焼夷弾による爆撃対象となり、非戦闘員の被害も拡大。そこで、各家庭では縁の下や庭、道路脇に防空壕を掘ったり防火用水を用意して空襲に備えました。


各家庭とも灯火管制を敷き、夜は電燈の明かりが窓から外に漏れないよう窓には黒いカーテンを引き、電球にカバーをすることで減光を図りました。


防空服。頭を保護する為に鉄兜や防空頭巾を着用し、両手を使えるように肩掛け鞄で必要物資を携帯した。また、男性にはゲートル、女性にはモンペの着用も奨励された。


各家庭に防毒準備を促すポスター。部落会や町内会組織が強化され、防火訓練・退避訓練・撃墜模擬訓練・非常用炊出し訓練などが頻繁に組織された。また、予想される空襲に備える為、1937年に防空法が公布され、警防団・隣組・婦人会が整備・統合され、銃後を護る組織の強化も図られた。


左上から時計回りに『愛国婦人会通常会員証』『大日本婦人会会員証』『警防団員手帳』『大日本国防婦人会会員証』


空襲警報を呼びかける看板と防火用水用のバケツ。


防空壕での空襲を体験することができます。この窮屈なスペースに4人詰め込まれ、空襲警報のサイレンと空襲の爆撃音の中をじっと耐え忍びます。大規模な空襲では防空壕内部で亡くなられた方も多く、防空壕の実際の効果には疑問が呈されているようです。


東京大空襲後、日本橋から両国方面を望む。惨過ぎる。

⑦昭和20年8月15日。

この日の正午、戦争の終結が玉音放送によって国民に伝えられました。


国の焦土化忍びず…

⑧戦火を超えて
ここからは6階、戦後の暮らしに焦点が当てられます。『戦火を超えて』では空襲によって変化した街並みや復興した東京・大阪・広島・長崎の様子を戦前・戦中・現代と3時代の写真をモニターで紹介しています。前にいた方にモニターを占拠されてしまっていたので見れませんでした…

⑨廃墟からの出発
空襲によって家を失った人々は廃墟と化した焼け跡でバラックでの生活を余儀なくされました。

買い出し列車

激しい空襲は無くなったものの、田畑の廃墟により遅配・欠配が続いて食糧・生活必需品が致命的に欠乏する都市部の住民は、闇市や農村へ主食などの買い出しに行きました。その買い出し列車は超満員で、窓から乗り降りし屋根やデッキにまで乗客が溢れたそうです。まさにインドネシア・ジャカルタ状態。

その上、外地から約650万人の引揚者が帰国し、物資不足が深刻化。テキ屋による闇市が全国で横行します。

砂糖は基準価格の264倍、白米は132倍での取引です。

⑩遺された遺族
戦中での戦士はお国の為であり、遺族は『誉れの家』として称えられて国からの恩給給付や周囲の励ましに支えられていましたが、敗戦後は恩給も停止するなど遺族を取り巻く環境は厳しくなりました。


「母のない子と子のない母と」が私の今の見てみたい映画ランキングトップに浮上。

⑪子供たちの戦後
両親を失った戦争孤児たちの姿が多くみられるようになりました。一方、戦災で校舎を焼失した学校では校庭や河原を教室とした青空教室で授業を再開。また、新しい教科書ができるまでは、GHQ監修により戦中の軍国主義的な個所を塗りつぶした黒塗り教科書が使われました。

予想以上に塗りたくられてて不謹慎ながら笑ってしまった。こんなん教科書と呼べるかい!


また、GHQは厳しい言論統制も行い、郵便物の開封・検閲を徹底しました。


戦後、プロ野球が復活しましたが、皮革やゴム製品は依然として統制下に置かれ、子供たちは手製グッズで道具を作るなど工夫して遊びました。

また、街頭紙芝居も人気を博します。

紙芝居は戦中・戦後を通じて大衆娯楽の一翼を担っていたそうです。皆、真剣な眼差しで食い入るようにスクリーンを見つめています。路地裏に拍子木を叩く音が聞こえると子供たちは競って駆け出し、駄菓子を買って紙芝居の始まりを待ったそうです。戦中は国策宣伝を題材としたプロパガンダにも利用されましたが、戦後はGHQによる検閲制度により戦前の紙芝居や『敵討ち』『復讐』といった類の紙芝居は挙って処分させられました。

⑫復興に向けて~⑬移りゆく世代
1950年代後半からは家庭電化が急速に進み、高度経済成長への足掛かりとなりました。

戦前に広く普及していた電化製品と言えば電燈やラジオくらいのものでしたが、終戦後の混乱期を過ぎると、電気コンロ・テレビ・電気アイロンなどが一般家庭に行きわたるようになります。上の写真は当時の『三種の神器』の中の二つであった電気洗濯機とテレビ。もう一つの電気冷蔵庫と共に、豊かさや憧れの象徴として新しい生活習慣を喧伝するマスコミによってPRされました。


テレビ価格は高卒国家公務員の初任給が5,900円だった時代に129,000円ですから、当然、一般家庭が購入できる金額ではありません。皆、どうしても観たい番組があると、喫茶店や広場の街頭テレビに出掛けていったそうです。


力道山の試合を見に東京・新橋駅西口広場に集まった観衆。立錐の余地も無いぎゅうぎゅう詰め。力道山や水泳の古橋選手など、世界で活躍するアスリートは戦後、打ちひしがれた日本人の心に大きな夢や希望を与えたことは容易に察しがつく。

⑭慰霊の旅
戦地でお亡くなりになられた方々の遺骨収容や慰霊事業について、写真や実物資料を通じて紹介されています。

⑮体験ひろば

戦中・戦後の衣服を着たり、SPレコードを試聴することで当時の生活に想いを馳せることができます。

当時の様子を文献でしか読んだことのなかった私には非常に貴重な情報ばかりであった。思い返せば中学も高校も明治以降は歴史授業で重点が置かれていなかった気がする。近現代史は受験の際のウェートが小さいからなのでしょうか?私は現代に直結している明治以降の歴史こそ学校でもっと重点的に学習するべきだと思うなあ。

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