アルバニアのティラナからコソボのプリシュティナへのバス移動

本日はアルバニアのティラナからコソボのプリシュティナへとバスで移動します。プリズレン経由のルートで、4時間半~5時間ほどかかるとのこと。

ティラナのバスターミナルの場所はこちら。ティラナからプリシュティナは早朝発から夕方発まで多くのバス会社が運航するメジャー区間みたいです。

バスターミナル脇のEnjos Travelで発券したところ、コソボのプリシュティナまで10ユーロでした。

バス会社によって大型の国際バスだったりミニバスだったりと車体にも種類があるし、出発時間も運賃もまちまち。出発地も市街地の国立歴史博物館近くのバスもあるみたいなので、出発前に確認をしておいた方が無難そうです。

自分も前日にあらかじめ乗車券を購入しておきまして、その際に09:00出発だから08:30にターミナルに来いと念押しされまして。いやいやそんな早く来ても意味ないでしょと言っても絶対に30分前に来いの一点張り。で、当日ですよ。言われた通り08:30に来たらバスも係員もまだ来てないというオチ。
結局08:55くらいに他の乗客も集まってきて、ミニバンも09:00ぴったりに現れるというね。

他の乗客は事前予約もしていなかったようで、皆さん名前や目的地などの情報を用紙に記入した上で運転手に現金で運賃を支払ってました。プリシュティナまで直払いだと9ユーロとのことで、私が払った10ユーロの内1ユーロはチケットオフィスの取り分だった模様。
まぁ乗りっぱぐれる心配を解消する為の保険と考えたら1ユーロは妥当でしょう。

結局、出発時刻なんてあるようでないようなものだったみたいで、運転手が30分程ターミナルで粘って集客してから09:30頃にティラナを出発しました。しっかりとした会社が運航する大型の国際バスなら定刻通りに出発するのでしょうが、今回は時間にルーズな市民の足的なお散歩マイクロバスに乗ってしまったようです。

運転スピードも極めて遅く、牛歩の歩みといった速度で北上します。
おかげで、アルバニアの田舎景色に馴染むバンカーやオスマントルコ統治期の名残など、アルバニアの山岳地帯に広がるノスタルジックな田舎景色をじっくりと味わうことができましたw

目の前の険しい山脈を越えた先がコソボ。
国境越えは出入国ごとにバスの外に出る必要すらなく、バスに乗り込んでくる検査官にパスポートを預けるだけ。数分後にコソボの入国スタンプが押されたパスポートが返ってきたので、ここでアルバニアの出国とコソボの入国手続きを済ませてくれたようです。有能。

コソボに入国してすぐ、プリズレン郊外のVRRINI CENTERというサービスエリアで休憩タイム。プリズレンやペヤ方面に向かう人はここでローカルバスなりタクシーなりに乗り換えるようで、何人かの乗客が降りていきました。

プリズレン経由といってもプリズレンの市街地までは行かないみたいなので要注意です。

さてさて。アルバニアからコソボという別の国に来たとはいえ、コソボの住民の圧倒的大多数(9割超)はアルバニア人。周りを観察してみると、街角に掲揚されている国旗もアルバニアのものでした。

コソボの人口の92%がアルバニア系ですし、アルバニアの国旗は国を象徴する旗というよりもアルバニア民族を象徴する旗という解釈によるものなのでしょう。
ではなぜコソボの国旗が掲揚されていないのか。コソボの旗はヨーロッパを表わす色である青を下地にコソボの地形と六つの星があしらわれたデザインで、コソボに住む6つの民族(アルバニア人、セルビア人、トルコ人、ロマ、ゴーラ人、ボシュニャク人)の共存という明確な思想が表現されたもの。そんな想いが込められたコソボの旗ではなくアルバニアの旗ばかりがコソボの台地に掲げられているあたりに、バルカン半島の現状が表れているようです。

住民の圧倒的大多数がアルバニア人ながら、長らくセルビアに帰属してきたコソボ。
ユーゴスラビア崩壊後にコソボへの支配を強めようとするセルビアに対して2008年にアルバニア人がセルビアからの独立を宣言したことから、未だにコソボを巡ってバチバチと両国のナショナリズムがぶつかり合っている状況です。
プリシュティナへの道中では標識のセルビア語が消されていたりと、なんだか穏やかならぬ雰囲気が漂い始めました。

コソボの首都プリシュティナとは一体どんな場所なのか。9割の期待と1割の不安を胸に、いざプリシュティナ観光を始めたいと思います。

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