エモすぎるブラックツーリズムの聖地・サラエボでの社会学習を終え、美しすぎる世界遺産の町・モスタルへと移動します。
移動方法はバスか鉄道の二択。
鉄道はサラエボ発が6:54と16:28のデイリー二本で、所要2時間半となります。
季節によって出発時間に若干の変動があるようなので、旅行前にボスニアヘルツェゴビナの国営鉄道会社のホームページで最新情報を確認しておいたほうが無難です。
バスの場合も季節によって運行状況に変動があるのでしょうが、基本的には朝6時台から19時台までデイリー10本程の運行で、所要時間は2時間半ちょい。
最新の時刻表はバスチケットのオンライン発券サイトで確認できます。
では鉄道とバスのどちらが良いのか。
この区間は車窓に広がる山岳地帯の大自然を堪能できる絶景ルートとしても知られるので、より旅情が感じられる鉄道の方がベター。ただ、いかんせん早朝と夕方発のデイリー2本のみと使い勝手が悪すぎるので、今回は夜までサラエボでがっつりと観光してから移動できるバスを選ぶことにしました。
この日のモスタル行きの最終便は19:55サラエボ発。
19時の閉館まで子ども戦争博物館のスタッフさんと話し込んでしまい最後はドタバタと慌てましたが、ギリギリでモスタル行きの最終便に滑り込むことができました。
乗車後は照明を落として暗かったこともあり爆睡。夜闇に包まれた山中のグネグネ道で揺られること3時間弱、気づいたらモスタルのバスステーションに着いてました。
夜中でタクシーもいなかったので、ここから旧市街地にある宿へと2km弱ほど歩きます。旧市街地への道には廃墟のような建物も多くただでさえ退廃的な雰囲気が漂っているのですが、壁への落書きが更に不穏な空気を醸し出しています。
バスターミナル一帯はクロアチア系住民の居住区で、無作為で不規則な作りの大型集合住宅が社会主義国時代の哀愁を漂わせています。
町を南北に貫流するネレトヴァ川を渡り、対岸のボスニア人居住区に入ると雰囲気が一変。まるで全く別の時代の別の国に迷い込んでしまったかのように、中世オスマン帝国時代かのようなエキゾチックな石造りの建物が目立つようになりました。
サラエボからバルカン半島を南下し、山岳地帯を抜けた先の深い谷に広がるモスタルの町。中世オスマン時代の世界を想像させるオリエンタルな街にコーランの音が響き渡り、千夜一夜物語の世界に迷い込んだかのような世界です。
ネレトヴァ川を隔てて西側は西欧風のクロアチア人居住区で、東側はトルコ風のボスニア人居住区。そしてこれら分断された二つの世界を繋げるのが、モスタルを象徴する橋“スターリ・モスト”です。
スターリ・モストはオスマン帝国支配下時代の16世紀に築かれ、多民族が共生するモスタルの象徴的存在として長らく知られてきましたが、1992年から1995年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に崩壊。
戦後、紛争の悲しみの象徴とされたスターリ・モストは2004年に再建され、多民族の共生や和解の象徴としてボスニア・ヘルツェゴビナ初の世界遺産となりました。
そんなモルタルの町を象徴するスターリ・モストの袂に本日宿泊するHotel Almiraがあります。本当はマリオットに泊まりたかったんですけどね…開業するよするよ詐欺でオープンが延期続きとなっていて、元々2018年5月オープンのはずが2023年11月時点でも開業しておりませんw
バルカン一の高級ホテルとして紹介されてたモスタルのマリオットが開業遅延で泊まれなかくなったの悲しすぎ。
— ポンズ (@Worldtravelog) December 15, 2019
元々「2018年5月オープン!」だったのが「2019年3月オープン!」となり、更には「2019年10月オープン!」へ。そして気づけばしれっと「2020年4月オープン」と。カミングスーン詐欺やめれい pic.twitter.com/RBP4atrQe4
ちょうどこの日は大晦日ということで、1階では盛大な年越しパーティーが絶賛開催中。自分も酔っ払いのバルカンおじさんに絡まれて、ウェルカムトゥモスタル!ということでビールを一杯ご馳走になってしまいました。
ハッピーニューイヤー!
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