モスタルからブラガイとポチテリ経由でドゥブロヴニクへ

モスタルでの観光を終え、ブラガイとポチテリ経由でクロアチアのドゥブロヴニクへと向かいます。

ブラガイとポチテリはモルタルからの半日エクスカーションツアーに組み込まれることも多い定番観光地ですが、この二か所を回ってからクロアチア方面に抜けるという内容のツアーは無かったため、今回はプライベートツアー用の専属ドライバーを手配してもらう形での移動となりました。
料金はチップ込みで200ユーロ。ボッチ旅行で車を貸し切るとどうしても費用が高くついてしまいますが、限られた時間内で効率的に周遊する為には仕方のない犠牲だと思って割り切るしかありません。

モスタル出発を13時に指定していたので、物価の高いクロアチアに入る前に全力で食べ貯めしておくことにw 川沿いの小洒落たレストランで、メインの肉料理2点とビール2杯頼んで2,000円でお釣りがくるくらいだったでしょうか。ボスニアヘルツェゴビナではボリューム満点の肉料理が安く食べられて、胃袋的にも大満足の4日間でした。

胃袋を満たし、約束の5分前にレストランの外に出てみると、私の名前が書かれたペラ紙を掲げたミルコクロコップ似の男が外で待機してくれていました。旅行会社のスタッフというよりは裏社会の人のような風貌に思わずたじろいでしまいましたが、寡黙で、強面で、屈強で、無表情な彼が本日のドライバーとのことで、彼に案内されるままレトロなザスタバに乗り込みました。

ブラガイ(Blagaj)

無鉄砲で命を惜しまず暴走しそうな見た目とは裏腹に安全運転のミルコ氏。モスタル市内から川沿いの田舎道をゆっくりゆっくりと20分ほど走ると、前方にブラガイ(Blagaj)の町が見えてきました。
このブラ川の畔に開ける小さなブラガイの町は、オスマン帝国時代にはスーフィズム(イスラム神秘主義)の聖地としてイスラム世界では名の知れた存在だったそうです。
今では小さな修行場跡が残る程度らしいのですが、“イスラム神秘主義教団の聖地”というパワーワードに惹かれて立ち寄ってみることにしました。

駐車場で待つというミルコと別れて一人でブナ川をブラブラ上っていくと、切り立った断崖絶壁の崖下に修道場が見えてきました。自然と調和するようにひっそりと佇む様が実に神秘的で、思わず引き込まれてしまうような独特の魔力というか魅力というか、人を引き付ける力のようなものが働いている気がします。

修行場は240メートルもの切り立った岩山の足元に建てられていて、15世紀に建てられて以来、岩の崩落により何度も壊されては同じ場所に立て直されてきたそうです。いや危ないなら移動しようよと思うところですが、それだけこの場所が神秘的で信者を惹きつける“気”のようなものに満ちていたのでしょう。

今ある建物は2012年になって建て替えられたものだそうで、内部にはかつての稽古部屋も再現されています。当時の修行僧たちも、ここで禁欲的な隠遁生活を送りつつ瞑想と祈祷に耽っていたのでしょう。時には瞑想し、特には歌い、時には踊り、時には神の名を叫んだりすることで神との結びつきを強めていく修行スタイルだったようです。

今でも定期的に有志によるイベントなんかが開催されてるみたいですが、イスラム神秘主義という伝統宗教の祈禱会というよりは、実践的なスピリチュアルセッションみたいな感じなんですかね。禅とかヨガ的な。

テラス脇の洞窟がブナ川の源泉ということでエメラルドグリーンの水が無限に湧き出てきてたりと、確かに生命の源的なエネルギーが漲っているというか、パワースポット的な要素は満点。ここで1年くらい修行したら世界の真理にできそうな感じがしないでもないですし、長居をしたら“気”に憑りつかれて出家を決断してしまいそうな、得体の知れないオカルト的不気味さのようなものも感じてしまいます。

ポチテリ(Pocitelj)

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スピリチュアルなムードを高めた後は更に山の中へ。クロアチアとの国境に面するチャプリナ市にあるポチテリ(Pocitelj)へと向かいます。
ポチテリは14世紀頃から築かれ始め中世城塞都市。ボスニアヘルツェゴビナ紛争の際にクロアチア人によって破壊され廃墟と化してしまいましたが、戦後の2005年から古き良きオスマン時代のイスラム建築が再建され始め、その建築的・歴史的価値から世界遺産への登録も検討されているとか。

しばし川と山に挟まれた丘陵地帯を走っていると、前方古めかしい石造りの街並みが突如として現れました。丘の斜面にモスクあり、イスラム神学校あり、穀物倉あり、見張り台あり、城壁ありと、これはまさに中世オスマントルコ時代の城塞都市ですわ。

石造りの坂道が迷路のように張り巡らされていて、中世イスラム世界のエキゾチックな雰囲気が醸し出されています。
この町にはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発するまでは普通にボスニア人が住んでいたそうですが、1993年にクロアチア人の武装勢力によって爆撃された後、村民たちは民族浄化の標的となり強制収容所に送られたそうです。遠い昔のおとぎ話ではなくたかだか30年前に起こったばかりという事実に身の毛がよだつ思いがします。

小さな商店が軒を連ねるバザール、ドヤ街、公衆浴場から成る商業エリア、神学校とモスクのエリアと内部は都市機能ごとに区分けがされていて、住宅地は円形劇場のように丘の斜面に配置されています。ほんと絵に描いたような中世トルコの城塞都市で、まるで絵画の作品からそのまま目の前に浮かび上がってきたかのような超現実的な光景に圧倒されてしまいます。

丘の中腹に建てられたモスクハジ・アリヤ・モスク(MOSQUE OF ŠiŠMAN IBRAHIM-PAŠA)は16世紀に建てられましたが、やはりこちらも紛争中に破壊され近年になって再建されました。
ジェノサイドにより廃墟と化したポチテリの町ですが、街の再建に伴い少しずつポチテリに住み着くボスニア人も出てきているそうで、この日もモスクの中で熱心に祈りを捧げる現地のボスニア人老夫婦がいらっしゃいました。もしかしたら紛争中にここで命を落とした方々の廟にでもなっているのでしょうか。

頂上の要塞も内紛時に爆撃を受けて壊滅してしまったそうで、戦争の傷跡が更に生々しく残されていました。長閑で穏やか極まりない周囲の風景と城内の痛々しい廃墟との対比が凄まじく、奇跡的にこの平和な地球に生まれたというのに、いつの時代も争いを続ける人間の愚かさについて考えさせられてしまいます。

丘の上の斜面に広がるトルコ風村落と、平たい盆地に広がるクロアチア人居住区の対比もまた顕著。
スルプスカ共和国のセルビア人がボスニアヘルツェゴビナからの独立を要求する流れに呼応してボスニアヘルツェゴビナ内のクロアチア人もクロアチアへの帰属を目指して武装闘争を…なんてことにならなければ良いですが。歴史は繰り返すと言いますからね…

こんなにも長閑で平和な村落に、30年前の悲惨な歴史が影を落とします。今のボスニアヘルツェゴビナ内の“小康状態”が未来永劫続くことを願ってやみません。

クロアチアのドゥブロヴニクへ

ポチテリからボスニアヘルツェゴビナとクロアチアの国境までは15kmの距離。ここらあたりの標識の一部が黒塗りになっているのでミルコに理由を伺ってみたところ、「この州の標識はクロアチア語とボスニア語で表記されてるんだけど、ボスニア人の文字が黒く塗りつぶされてるのさ。hahaha。」とのこと。
内戦が終わったのにこんな導火線に火が燻ったままの状態を行政が放置しているとか、穏やかじゃありませんよね…

そんなこんなで閉塞的な雰囲気漂う冬のヘルツェゴビナの山岳地帯を抜けると、目の前はもう開放感抜群のアドリア海。 アドリア海の真珠ことクロアチアのドゥブロヴニクへ向かってあとは海沿いを走り抜けるだけです。

風光明媚な大自然とエキゾチックな街並みに、複雑な歴史が絡み合うボスニアヘルツェゴビナ、とても印象的な国でした。観光客もまばらな厳冬に来てしまった為かどこか殺伐とした印象を受けてしまいましたが、きっと観光シーズン真っ盛りの夏にはまた違った感じなんでしょうね。今度は夏にまた来たいなと思います。

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