ボスニアヘルツェゴビナ紛争の傷跡が色濃く残るモスタルの町

谷底深くをゆったりと流れる深緑の川と山とが織り成す渓谷美で有名な世界遺産の町・モスタル。特に川沿いに建つモスクの尖塔の上からの見晴らしは抜群で、眼下360°広がる絶景にいつまでも酔いしれてしまいます。

そんな美しくゆったりとした雰囲気とは裏腹に、この街には壮絶な民族紛争の過去があり、内戦の生々しい傷跡が今でも街の至る所に残されています。

1995年まで続いたボスニアヘルツェゴビナ紛争で、モスタルの町は激戦区の一つとしてボスニア人とクロアチア人による激しい戦闘が繰り広げられました。既に紛争が終わって28年が経過した今日でも、戦時中に破壊された廃墟が辛うじて原型を留めただけの無残な状態で町中に放置されています。

普通の一般的な住宅風の建物も、壁面に無数の弾痕が穿たれハチの巣状態。紛争時の辛い経験を忘れぬよう敢えてこの状態のまま放置されているのかとも思ったのですが、単純に買い手がつかない為に放置されているそうです。いくら建て替えるといっても究極の事故物件なんで、地元の人は住みたいとは思いませんよね…

旧ユーゴスラビア時代を代表する名門ホテルで、チトーが好んで泊まっていたというNeretva Hotelもこの通り、惨たらしい姿を晒しています。ただ、幸いなことにこちらの建物はヒルトン主導による再建が決まったそうで、Tapestry Collection by Hiltonとして2026年までに生まれ変わることになるそうです。

当時モスタルの町でNeretva Hotelと並ぶランドマーク的存在だったのが、こちらのLjubljanska Bank Tower。町で一番背の高い建物で商業エリアの象徴的存在のビルだったのですが、内戦時は見晴らしの良さから狙撃兵の基地(スナイパータワー)として使われていたそうです。

大通りに面した出入り口は施錠され入れないようになっていますが、中庭側は柵が一部捲れあがっていて、ここから中に入れるようになっています。
モスタルからドゥブロヴニクへの車を手配してくれた旅行会社曰く、「アウトローの溜まり場になっているが、特に廃墟内で事件が起きたという話は聞かない。廃墟であり私有地ではないので出入りは自由。管理の手が行き届いた場所ではないので何か起きた場合は自己責任になるが、近年では観光者の間でオカルト的な人気が出てきている。」とのことだったので、自分も中の様子を伺ってみることにしました。

内部も壁一面に生々しい弾痕が残っていて、その上にびっしりとグラフィティアートや悔恨の念を綴った文章などが描かれ、異様な雰囲気です。博物館のように案内や説明書きがある訳ではないのですが、描き手の魂のこもった作品の一つ一つを眺めているだけで、ここでどれほどの激しい戦いが繰り広げられ、どれほど多くの人が苦しんできたのかが伝わってくるようです。

階段から上層階に行けるようにもなっていましたが、この日はちょうど正月ということもあってか上の方から乱痴気騒ぎの声が聞こえてきたので、これ以上の冒険は自粛しました。

大通りに面しているということもあって少なくとも一階部分はそこまで危険な雰囲気はありませんでしたが、内部に入るのであれば明るいうちにした方が良いでしょうし、ジャンキー等の危険分子が屯していないことを確認してから入った方が良いかと思います。

【スナイパータワー(Abandoned Building)】

一方、町中には、民族間の和解の象徴とされるスターリ・モストをモチーフにしたウォールアートが描かれていたりもします。
スターリ・モストはボスニア人居住区とクロアチア人居住区を繋ぐ古い石橋。内戦時に破壊され民族対立・民族分断の象徴とされていましたが、2004年に再建されると一転、今度は民族融和と和解の象徴であり平和の架け橋として世界遺産にも登録されるなど、複数の民族が共生するボスニアヘルツェゴビナのシンボル的存在となっています。

川を隔てて東側はムスリムのボスニア系居住区、西側はカトリックのクロアチア系という二つの異なる世界を結ぶ平和の架け橋…ですが、未だに川を隔てて二つの世界が分断されたままというのが実態のよう。インフラ系の国営会社はいまだに東側(ボスニア人)と西側(クロアチア人)に分かれてそれぞれサービスを提供しているし、消防署や病院も等も東と西に一箇所ずつ。子供たちも民族ごとに異なる教育を受けているそうです。

街並みも川の東岸と西岸では別世界。こちらはクロアチア側のいわゆる新市街地で、白亜の壁にオレンジ屋根の西欧風家屋が斜面をびっしりと敷き詰められています。

対岸のボスニア人に見せつけるかのような十字架も。

一方で川の東側に広がるボスニア側の居住区は、石造りの建物群の中にモスクのミナレットの塔が突き出たりとオリエンタルな雰囲気。川を隔ててまるで二つの異なる国が存在しているようです。

ボスニア人と話せば誠実で良い人ばかりだし、クロアチア系の人も陽気で良い人ばかり。でもやっぱりボスニア人とクロアチア系とが仲良く談笑する姿は最後までモスタルで見かけることはありませんでした。喧嘩もしなければ、お互い干渉しあうこともない冷めきった状態で、平和的雰囲気というより停戦期の小康状態といった印象を受けました。多くの観光客で賑わう夏のピークシーズンに来てみたら、また違った印象を受けるのかな?

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