満州族の都跡巡り 瀋陽の故宮と昭陵(北陵公園)

さぁさぁやってきました遼寧省の瀋陽。ここも大連や長春と同じく満州国時代の主要都市だったことで有名な町ですが、満州国以前にも後金・清の都として栄えていた歴史もあり、町中には後金~清朝時代の建物の一部が残っています。

その代表格が、瀋陽故宮。

そうなんですよ。北京故宮の陰に隠れてしまっているのか日本での知名度はイマイチどころかイマサンくらいなのですが、瀋陽故宮というのも実在するんです。もちろんネパールのポカラディズニーランドのような偽物じゃなく中国公認のモノホン故宮。
清朝の前身となる後金が建国されてから清朝が北京に遷都するまでの間の短い期間限定でここ瀋陽が都に定められていまして、ヌルハチさんとホンタイジさんもここ瀋陽故宮をホームグランドとして活躍していたのです。

瀋陽故宮

時は遡り17世紀。

当時の支配王朝だった明の軍隊に父と祖父を〇された女真族の一人の男が立ち上がります。のちに満州族の英雄となる彼の名はヌルハチ。家族を葬られ激おこのヌルハチは挙兵。中国満州の地でバラバラになっていた女真族を統一し、1616年には清朝の前身となる後金を建国するに至ります。
その後も破竹の勢いで快進撃を続けるヌルハチは明の遼東支配の拠点だった遼陽と瀋陽も陥落せしめ、1625年にここ瀋陽へと遷都。ヌルハチの孫の代で悲願の中華統一を果たして北京に遷都するまでの間、ここ瀋陽は都として栄えました。
いやーヌルハチさん、凄いっす。ただの滑りやすそうな名前のおじさんではない。

ということで瀋陽故宮へ。面積の規模こそ北京故宮の10分の1以下という小規模なスケール感ですが、異国情緒の濃さという意味では瀋陽故宮も負けてません。銅鑼の音がガーンガーンと鳴り響くような、景気の良い中華楽曲が脳内再生されてきます。

元・明朝時代の旧城を基礎に建立された瀋陽故宮。
敷地面積約6万㎡の中に80余りの建築物が建てられていますが、初代ヌルハチ時代に建設された東路、二代目ホンタイジ時代に建設された中路、3代目以降に建設された西路の3エリアに分けられるよう。
「一朝発祥の地、二代帝王の城」と言われる瀋陽故宮ですが、地方の一部族連合から成りあがった初代ヌルハチの時代から、二代目以降に複合多民族国家として発展していくまでの王朝形成期のプロセスが刻まれている点においてユニークで、ただただ壮大な完成系である北京の故宮とは異なります。 

デコラティブで鮮やかな満州建築。北京の故宮は圧倒的スケール、台北の故宮博物院は高価そうな宝物が多くて豪華爛漫。そしてここ瀋陽故宮は満州族テイストが色濃く反映された初期清朝時代の建築物が多く保存されている。三者三様それぞれ魅力があります。

中には満州族に関する小さな博物館なんかもあります。↑の画像はまるで同一人物を映したもののようですが、ヌルハチさん(左)とホンタイジさん(右)。
トルコから中央アジア・モンゴルを経て東アジアまで、過去数千年の歴史の中で人種混合が進んだ経過が人々の顔のグラデーション的変化に表されてるみたいな話がありますよね。西からアーリア系・テュルク系・モンゴル系と顔立ちが薄まってくる的な。
それで言うと、極東のツングース系女真族はモンゴル系より更に薄~い系統のお顔立ちになるのも納得だなーと、このご両名の肖像化を見てたら思えてきますw ヌルハチなんて粘っこい感じの名前なのにw

ちなみにホンタイジの方は本名ではなく、皇太子(Huang Tai Zi)という意味の単語らしいです。これだけの王朝の基礎を作り上げた人物なのに本名が分からないとか不自然な話ですが、まぁ校長=高島雄平くらいに皇太子=ホンタイジって定着しているので良しとしましょう。

展示品は北京と比べちゃだめなレベルで大した美術品はありません。かわりに当時の装飾品や生活道具などが多めに展示されているので、あえて北京・台北との差別化で素朴路線にしてるのかもしれません。

大政殿

せっかくですので、メインどころとなる建物も見て回ります。

東路正面に建つ八角二層のこちらの建物は、瀋陽故宮の建築群のうち最も早く建てられた大政殿。外側だけ最近になって当時の色相に塗り直されたらしいのですが、従来のままの方が雰囲気が出ていたような…

崇政殿

ホンタイジ時代に建てられた中路には玉座の置かれた崇政殿、その背後には三層の鳳凰楼、さらに奥には皇帝や皇后、皇族達が生活していた建物が一直線に並びます。

中路の一番手前に位置する崇政殿はホンタイジの執務室。1636年にホンタイジが皇帝の座に即位し、国号が大清国に改められた時の舞台です。

鳳凰楼

崇政殿の背後に建つのは、当時瀋陽の中で最も高い建物だった鳳凰楼。城下に広がる街並みを眺めながら、皇族たちの宴会が行われていたそうです。

清寧宮

鳳凰楼の後ろには、ホンタイジとその皇后の寝室である清寧宮が建てられています。

完全に生活の場感が出てきました。満州族の原始宗教・シャーマニズムの祭祀行事なども執り行われたそうで、神龕と神像が祭られたりもしています。

清寧宮前の左右には側室達の寝室だった関雎宮、麟趾宮、衍慶宮、永福宮が並んでいて、15人のホンタイジの妻などが住まわっていたそうです。

文溯閣・戯台

西路には嘉陰堂、戯楼、歴代の重要書「四庫全書」を収めていた文溯閣などがあり、これらは北京遷都後に乾隆帝により建設されたものになります。

左が四庫全書を収めた文溯閣で、右が皇帝や皇族のための演劇舞台として使われた戯台。因みに乾隆帝の芝居好きはガチだったようで、彼の80歳の誕生日を祝うために全国各地の劇団が北京に集結したことが、後の京劇の誕生に繋がったというエピソードもあったりします。

シグネチャーアイス

最後に定番のシグネチャーアイスで大政殿をガブリ。

昭陵(北陵公園)

お次はホンタイジ夫妻が眠る昭陵(北陵公園)までご挨拶に上がろうと思います。

公園といっても日本で想像するような公園とは規模感が違いまして、なんと敷地面積330万㎡。皇居とかアンコールワットの3倍超、東京ドーム70個超っすよ。ホンタイジさんの偉大さが分かります。

中は湖あり湿地帯ありの長閑な市民公園になっていて、湖畔に広がる柳の木陰では満州族の皆様が優雅な舞いを披露していました。ふわーっと集まって一人一人が自由気ままな感じでゆるーく踊る南方と違い、一人一人が統制の取れた動きを取っててビビりますw

自然美と建築芸術が巧みに組み合わされた伝統的な中国庭園といった趣ある公園です。池には蓮が咲き誇り、柳の木々からはウグイスの声が聞こえてくる。なんと贅沢な空間ですこと。

公園の中心には、4体の龍に守られたホンタイジさんの銅像が設置されてます。
父ヌルハチの第八子というダークホースながら王位を継ぐこととなったホンタイジさん。のほほんとしたゆるキャラのような名前と風貌ではありますが、明とバチバチやりながらもモンゴルと朝鮮を制圧して清朝の基盤を固めるなど生涯に渡って西へ東へと出陣を繰り返し、終ぞ在世の間に自らの陵墓地を選ぶことができないまま急死してしまいました。
この昭陵はホンタイジの子等により1643年8月から建設が始まり、1651年に正式に完成したそうです。

ホンタイジ像を過ぎ、両脇に獅子や馬などの石獣が対になって立ち並ぶ神道の石畳をまっすぐ北に進むと、ようやく昭陵の中心にたどり着きます。

ででーん。

案内板にあった空撮写真。方城の一番奥にある円形の石が宝頂と呼ばれ、この地下に皇帝夫妻の棺が安置されているそうです。

ホンタイジさんと奥さんのお墓。
この地下には地宮と呼ばれる宮殿があり、墓主夫ホンタイジと夫人の棺以外にも、数々の豪華な陪葬品が収められているとか。

信じるか信じないかは、あなた次第。

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