鴨緑江に架かる中朝友誼橋と鴨緑江断橋

丹東の中朝国境を流れる鴨緑江には、かつて日本が建造した二本の橋が架かっています。
川下側にあるのが日露戦争中に中国東北部への補給線として建てられ1911年に完成した第一橋(現、鴨緑江断橋)。
60m弱ほど川上側にあるのは、日中戦争時に鉄道と自動車輸送の為に建てられ1943年に完成した第二橋(現、中朝友誼橋)。

前者は1950年に勃発した朝鮮戦争の際に米軍機により北朝鮮側が破壊され、現在は観光地化。
後者は現在も現役で使われていて、実に中国と北朝鮮との交易量の約8割を支える北朝鮮の大動脈として活躍しているそうです。

中聯国際酒店の部屋からの眺め。左が中朝友誼橋で、右が鴨緑江断橋。

鴨緑江断橋は地図で見ても北朝鮮側が分断されてしまっているのが見て取れる状態ですが、現存する中国側は愛国教育基地を兼ねた観光スポットとして解放されています。

せっかくなので鴨緑江断橋を見物してみることに。

並行して架かる中朝友誼橋の方は、中国の丹東と北朝鮮新義州をつなぐ中朝国境貿易の最重要ルート。大日本帝国の遺構が北朝鮮の生命線になっているとは何たる皮肉でしょう。

川下側を見ると、東岸(北朝鮮)と西岸(中国)とで如実に経済格差が表れてしまっているw
金同志が中国に来る際には中朝友誼橋を鉄道で渡って来ることも多いそうなんですが、一体どんな面持ちで中国側に入ってくるのだろうw

中国側から橋の端までは300mもないくらい。見事にB-29機の爆弾で破壊されてしまっていて、ここから先の北朝鮮側は橋脚のみが残された惨たらしい状態になっている。

無残に橋脚だけが残る北朝鮮側ですが、岸辺には民族の太陽こと故・金日成主席をたたえるために太陽を模して建てられたという太陽ビルが威容を誇っています。白とオレンジのツートンカラーの建物で、白は雲を、オレンジが太陽をそれぞれ表現しているそう。

金正恩同志のお顔並みにまん丸い異様なビル。最上部には一心団結のスローガンが刻まれているが、生活感は皆無。

太陽ビルの足元は遊園地にでもなっているのか、ウォータースライダーと観覧車の姿も確認できる。ただ、当然のように稼働しているようには見えないし、観覧車に至っては紙で出来てるの?ってくらいのショボい質感で、強風が吹いたら飛ばされそうで心配になるレベルですw

北朝鮮側の観察を終え、中国側の領土へと帰還。中国側の橋のたもとには、朝鮮戦争で活躍した勇敢なる中国軍のモニュメントや戦車のレプリカが並んでいます。

鴨緑江断橋=愛国教育基地っすからね。これだけでなく、朝鮮戦争における人民志願軍の活躍ぶりと抗日&朝鮮戦争で悪を撃ち正義の“勝利”に導いた共産党政権の正統性を解説するパネル展示も豊富にあり、中国共産党目線での歴史を学習させて頂くことができます。

橋を爆撃され、それでも決死の思いで北朝鮮軍に加勢する為に鴨緑江を渡り、最後は鬼畜米兵主体の西側諸国軍を38度線まで押し返して勝利した、と。

ボートを漕ぎ対岸に渡る屈強な人民解放軍のこの躍動感を見てくださいw どっからどう見ても中国人には見えませんw

こんな具合に、中朝友誼橋と鴨緑江断橋周辺は見事に観光地化されちゃってました。
この日はもう少し時間があったので、もう少し観光地化されていない穴場の北朝鮮のビュースポットがないか探しに、川を下ってみることにしました。

どうやら月亮島という中州は中国領みたいなので、ここを目指して川沿いを歩いてみます。

川下に進むにつれ、対岸にも結構な数の建築物が観察できるようになってきます。

打ち捨てられたかのような状態の工場と舟船。まるで自分が生まれる前の時代にタイムスリップしたかのような風景です。工場は稼働していないのに窓は全部開けっ放しのようだし、廃墟なのかな?

対岸の新義州特別行政区では多くの建物が確認できるが、人の気配はない。
上海の繁栄を目の当たりにして震えた金正日さんが北も改革開放だー、市場経済だー、一国二制度だーって言って立ち上げた新義州特別行政区ですが、初代行政長官が脱税容疑等で中国政府に身柄拘束され、速攻で計画がご破綻になっちゃったみたいっすからねw 少なくとも丹東側から眺める限り完全にゴーストタウンっす。

因みに中国側w 中州に建つ4LDK、167㎡の北朝鮮ビューマンションが130万元だそうです。10年後には地盤沈下で住めなくなってそうですが、海外投資家の皆様いかがでしょうかw

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