バールベック・アンジャールとベッカー高原の代表的遺跡を2か所周り、最後はレバノンワインのファクトリーツアーでレバノン旅行を締める。
レバノンワインと聞いてもピンとこない人が殆どではないでしょうか。中東のアラブ人がワインかよ!という突っ込みもそうだけど、どうも「レバノン」と「ワイン」という単語が掛け合わさるのにしっくりこないというか…
ただ、じつはレバノン、民族的にはアラブ人といってもキリスト教徒の人口が4割を占めるという宗教的には特異な国。地理的にも砂漠が無いどころか高い山があってスキーリゾートもあるような中東らしからぬワイン作りに適した国で、なんとワインはフェニキア人の時代の6,000年前から作られてきたのだと。これは意外過ぎる事実。オスマントルコ時代にはワイン文化が断絶したものの、20世紀のフランス委任統治領時代にレバノンワイン業界はアゲアゲ状態に持ち返し、今でもフランスの品種・醸造技術を用いたフランスのニュアンスを持ったワイン作りが盛んなんですと。レバノンワイン6,000年の歴史。これには中国人もびっくりアルね。
ちょいと前はシリア軍や日本赤軍が拠点としていて危なげなイメージがあるけれど、今では多くのワイナリーが拠点を構える長閑なベッカー高原。東西を3,000m級の山脈で遮られた海抜900メートルの水源豊富な高地にあり、気候はワイン作りに適した半大陸性。夏は暑く乾燥しているが、冬は寒くて雨も雨量も豊富。ワイナリーの説明員曰く、ブドウ畑の天国なんですと。
数あるワイナリーの中で、今回お邪魔するのはレバノンワイン界の名門シャトー・クサラ(Chateau Ksara)。イエズス会が1857年にレバノンで設立したワイナリーを起源とするレバノン最古のワイナリーである。
ザビエルハゲという髪型で後世に名を残したフランシスコザビエルらが1534年にパリで設立したイエズス会。本国フランスと同じくレバノンでも修道院が細々とワインの生産を開始。シャトー・クサラは、1857年にイエズス会が創業したワイナリーを源流とする由緒正しきワイナリーということらしい。
名門だけあってホームページのデザインも格好いい。
1880年代には仏領アルジェリアからカリニャンやグルナッシュといった南仏品種を持ち込み宗教活動用のワインの生産を拡大、近代フランス流ワインを武器にレバノンワインの生産の85%を担うまでに成長していった。
その後、1972年には修道院所有の全商業資産を売却するとのバチカンの方針を受け経営権がレバノン人実業家に譲渡。それでもレバノン人事業化の手の元でも生産は順調に拡大を続け、今日でも年間300万ボトルをつくるレバノン最大の生産者として、今や世界40か国にまで販路を拡大しているそうだ。
そんなレバノンのワインシーンをけん引し続けてきたシャトー・クサラ。こちらの本社社屋では、定期的にアラビア語・英語・フランス語のテイスティングツアーが開催されている。
テイスティングは3種類から選択可能。
レギュラーコース:エントリーレベルのワイン3本。US$3.3。
アマチュアコース:スーペリアレベルのワイン4本。US$6.6。
プロレベル:プレミアムレベルのワイン4本。US$10。
吾輩はワインド素人のアマチュア未満だが、恐れ多くもプロコースを選択した。
品種を見ても、
白:シャルドネにクレーレット
赤:シラー、カリニョン、カベルネ
などなどフランス系の品種が並ぶ。やっぱりレバノンワインといってもフランスワインに近いものなのでしょう。
申し込みを終え、先ずはテイスティングに先駆けワイナリーツアーへ。
このワイナリーの特徴はなんといっても全長2kmにおよぶローマ時代の天然の洞窟だろう。ワインの成熟の為に使われていて、中には1930年代のお宝ブランデーも眠っている。今は門外不出でテイスティングにも出てこない本物のお宝だそうだけど。
最後はお洒落なカウンタースぺ-スで白、ロゼ、赤、白デザートと順にテイスティング。特に癖もなく、香り、口当たり、余韻全て平均点レベルで特に印象に残らなかったというのが率直な感想でした。正直、もうどんな味だった覚えてすらないっす、ごめんなさい。
ということで、なんとも締まりのない最後となってしまったレバノン観光。程よく酔ったところで切り上げベイルートへと戻ります。
ベッカー高原からベイルートへと峠越え。運転手曰く、「あと2時間遅かったら積雪で道が塞がれ帰れなかった」というくらいの雪が降り始める。この峠を越えたら地中海だし、レバノンでは朝に海水浴、午後には上質なスキーリゾートへなんていう楽しみ方もできるらしい。
歴史あり。遺跡あり。美味い酒に食べ物あり。リゾートあり。ほんと来る前の印象とだいぶ変わったわ、レバノン。ノリで来てしまっただけだけど、来て見てよかったっす。
【Chateau Ksara】
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