東西文化が混ざり合うシルクロードの十字路・サマルカンドにやってきた。
これがまた、地図で見た感じよりも実際は遥かに大きな都市で…
ブハラと比べると町の規模が大きく、見所も広範に散らばっているようだが、果たして僅か1日で町の見所を全て見て回れるのか。老体に鞭打ち朝から晩までぶっ通しで頑張って歩き倒してきました。
やっぱりサマルカンドといえばレギスタン広場。ということでレギスタン広場から街歩きを開始。
レギスタン広場からビビハニムモスク⇒セントラルバザール⇒ハズラティ・ヒズル・モスク⇒シャーヒ・ズィンダ廟群⇒アフラシャブ博物館⇒グーリ・アミール廟と周っていきます。
愛妃へのプレゼント・ビビハニムモスク
レギスタン広場からサマルカンド発祥の地であるアフラシャブの丘を目指して北へ北へと歩いていると、いきなりエキゾチシズム全開なイスラム建築が目の前に現れた。建築当時は中央アジア最大のモスクとされたビビハニムモスクらしい。
14世紀末から15世紀初頭にかけ、ティムールおじさんが愛妃を記念して建てたらしい。超好戦的でキチ外じみた軍事指導者みたいな人といったイメージで刷り込まれてたんだけど、意外にもこんな愛妻家的な一面もあったんすね、ティムールおじさん。愛妃の為にタージマハルを建てたムガル帝国のシャージャハーンもティムールの末裔らしいし、こいつらは愛妃に建物を建てなきゃ気が済まん習性なんすかね。現代で言えば、金持ちが記念館をばーんって建てるみたいな感覚なんだろうけど、愛する妻の為の記念館とか建物ってなかなか凄い。
メインゲートの方まで来てみたけど、スケールのでっかい男ティムールおじさんの命で建てられただけあって滅茶苦茶でっかい。あまりにも大きすぎて、かなーり後ろに下がらないと全景をカメラに収められないくらいのヤバい規模。こんなごっつい建物を、現代のような工機や建築技術が無い時代に僅か5年という超突貫工事で完成させたというから驚きだ。
どのようにしてそこまでの短納期を実現できたのか。最新工機を投入したり革新的な建築技術を導入したりといった形での工期短縮は見込めないので、ひたすら人員をぶっこんで物理的に労力を上げていくしかない。ということで、征服した各都市から連行してきた労働者や象なんかを人海戦術で総動員。また、ティムール自らも現場に顔を出し、肉や宝石なんかの褒美を投下し続けるなど、ニンジンで現場を煽って煽って煽り続けることで工事のスピードアップを図ったらしい。
完成はティムールの没する前年の1404年。モスクのドーム部分は高さ40mと、当時はイスラム世界で最大のモスクだったそうだ。死期が近いことを悟って焦っていたのかな。独裁色の強い創業者が晩節汚しまくって最後に無茶なプロジェクトで会社全体を振り回すみたいな。
トップダウンの強烈な催促が今でいうおから工事・手抜き工事に繋がってしまったのでしょう。恐ろしいスピードで建てられたモスクは恐ろしいスピードで崩壊していったそうで…。現在も一部の建物では大規模な修復作業が行われているところだった。創業者が没した瞬間にどうでも良くなっちゃったんでしょうかね、プロジェクト自体。
なんでも揃うセントラルバザール
このティムールの愛妻への想い詰まった巨大なモスクの隣には、現地の人々が集うセントラルバザールがある。
色とりどりのスパイスや羊の生肉が独特の匂いを放ち、いかにも中央アジア主要都市のバザールといった雰囲気。ブハラには無い交易都市らしい活気が感じられます。
陽気でたくましい市場のオッサンたち。写真撮影を頼まれ撮ってあげたら納得の映り具合だったみたいで、トマト1個恵んでくれましたw
ここでは若い女性にもちょくちょく声をかけて頂けるのでモテ期キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!なんて勘違いしそうになるけれど、単純に日本に興味を持ってくれてる人が多いらしい。ワイみたいな普通のオッサンと写真を撮って何が嬉しいのかと思うけど、一緒に写真を撮ってください!なんてお願いをされることも多いっす。
こちらは温度7℃でソフトクリームの屋台を出すアイスのおじさん。観光地ど真ん中の出店でソフトクリーム1つ1,000ソム(≒14円)とかほんとグッジョブだけど、設備の償却費用とか自分の人件費まで単価に加味されてるのか?原価どんだけ安いんだ。
このセントラルマーケットはサマルカンド最大のバザールだけあって、現地民の為の日用品や食料以外にも、陶器なんかの土産物も充実してる。
ウズベキスタンの土産物といったらやっぱり色鮮やかなリシタン陶器てしょ。(店員さんの可愛さに負け)実家用の土産品として一枚US$3とかの安物の器を購入してしまった。
世界最悪の独裁者が眠る ハズラティ・ヒズル・モスク
セントラルバザールの北側の出口から通りに出ると、アフラシャブの丘の麓に建つ小さなお屋敷のような建物が視界に入った。
丘の上に建つ落ち着いた色合いのモスク。まさに文明の十字路というか、ペルシャっぽくもあれば中国っぽくもあり、東西の建築様式が融合したような独特の雰囲気が漂っている。
テラスからはサマルカンドが一望できてサンセットスポットにも良さそうだけど、参拝客が引っ切り無しに押し寄せ落ち着かない雰囲気。なんでもカリモフ前大統領の廟も兼ねている為に参拝客が多いらしい。カリモフ氏はティムールばりの強烈な強権体制を強いて世界最悪の独裁者なんて評価をされてる人物だけど、それでも墓参りに来る人も多いんすね。
美しすぎる廟 シャーヒ・ズィンダ廟群
墓といえば…続いて、レギスタン広場と並ぶ必見スポットであるシャーヒ・ズィンダ廟群へ。「シャーヒ・ズィンダ」とは「生ける王」との意味だそうで、ティムールの妻や親族を祀る霊廟の集合体だそう。廟なのにトリップアドバイザーのサマルカンド観光地ランキング1位なのが凄い。
狭ーい通りの左右びっしりに並ぶ霊廟の数々。やはりウズベキスタン内でも有名なパワースポットのようで、現地の方々の参拝客も多かった。廟の参拝とはいっても厳かな雰囲気という訳ではなく、皆さん自撮りしまくりでハイテンションでしたw 現地の人の間では、インスタ映えパワースポットくらいの位置づけなんでしょうね。
ティムールの愛妻や妹、乳母などが眠る廟の数々。その色・形は様々、どの廟も美しい装飾が施されていて見応えは抜群。
似てるけど異なる模様に色使い。青の都!といっても深緑のような青や濃い目の紺、スカイブルーなど様々、お墓なのにどこを切り抜いて見てもとにかく鮮やかでカラフル。廟というよりは美術館に近い雰囲気です。
青、蒼、藍…眩暈がしそうになるくらいの青の洪水。青の都サマルカンドたる所以をまざまざと見せつけられます。無味乾燥的だった死の都ことブハラの廟群とは対照的だわ。
お廟の中を恐る恐るチラっ…
中も装飾が抜かりなし。見事なまでの装飾がなされた天井ドームに、薄暗~い廟の中にひっそりと佇む石棺、どこからともなく流れてくるコーランの調べ…異国情緒満点の雰囲気にただただ時が進むのを忘れていつまでも居座ってしまいます。
無限に広がる青一色の世界。他人の墓参りなんて何が楽しいの?と思っていましたが、美しい霊廟の建物が並ぶ様はただただ圧巻。美しすぎる廟…サマルカンドに来たらレギスタン広場とこの廟群だけは見逃せません。
サマルカンドの歴史が分かる アフラシャブ博物館
続いてアフラシャブの丘の中心地にある博物館へ。現在のアフラシャブの丘は生命感の無い土の塊となり果てていて当時の繁栄ぶりは覗い知れないが、モンゴル軍によって徹底的に町は壊滅し尽くされる前はシルクロード随一の交易地として栄えていたそうだ。
モンゴルが徹底的に破壊したサマルカンドの街。紀元前8世紀頃から都市が形成されはじめ、13世紀頃まで大いに栄えていたそうだが、今やただの生命観の無い丘陵。遠くに見える現在のサマルカンドの町が栄枯盛衰を感じさせる。
見渡す限りに続く荒れ果てた荒野を真っ直ぐ歩くこと10分超、これまた平凡な感じの博物館が見えてきた。
ここではアフラシャブの町の跡からの出土品を中心に展示されている。
ラクダ草くらいしか生えていない今の荒れ果てた丘の様子からは想像できないが、かつてのサマルカンドの町は4つの大きな門を持つ城壁で囲まれたシルクロード上の重要都市として栄えていた。発掘調査の結果、文化の痕跡が11層に積み重なっているのも確認できているそうだ。
7世紀のソグド人支配時の宮殿から見つかったフレスコ画の復元図なんかも展示されているが、見所はこれくらいのものかな。わざわざ町の外れの博物館まで歩いてくることはなかったなと若干後悔した。
ティムール一族の墓 グーリ・アミール廟
もう少し丘の先に行ったらウルグベク天文台もあるらしいが、ここで引き返して町の南端にあるグーリ・アミールへと移動。グーリ・アミールはタジク語で『支配者の墓』の意味で、ティムールや息子のシャー・ルフ、孫のウルグベクら、ティムール一族が眠る霊廟らしい。
凄い迫力。シャーヒ・ズィンダ廟群とは違って厳かで廟然とした雰囲気がある。
googleのストリートマップで中の雰囲気を堪能下され。
うわー、すげーと敷地内の雰囲気を堪能していたら、怪しげな男に「ショッピングショッピング!」と声をかけられ、地下へと続く秘密の階段の先へと連行された。これ、墓だと思ったら中は土産物屋になってるのなw
墓穴の中で充実の品揃えw しかもセントラルマーケットより安いw
サマルカンド産シルクとラクダの毛の混紡手編みストールが日本円で約800円。さりげなくサマルカンドの象徴でもあるレギスタン広場のマドラサやウズベキスタンの絨毯やスザニでよく見られる花の柄が織り込まれててお洒落だし、肌触りも抜群。これは良い買い物した。
結論:頑張れば一日でサマルカンドの見所も制覇できます。
【サマルカンド】
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