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一日でブハラの観光スポットを全制覇できるか


29℃と残暑厳しかったタシュケントとは打って変わって、まるでロシアに舞い戻ってきたかのように冷え込む本日のブハラ。最低気温は3℃と凍てつく寒さの中、一日かけて町ごと世界遺産に登録されているブハラの旧市街地を歩き倒してみようと思う。町の規模自体は小さそうだし、一日あればブハラ観光も余裕っしょ!お腹周りに溜め込んだ吾輩のミートテックと社畜ドサマワリプレーで鍛えた健脚が役に立つ時がきましたね(ニッコリ

ブハラの歴史

観光に必要な最低限度の知識として、ざっくりとブハラの町の歴史をおさらいしておきましょう。
昔々:シルクロード上の要衝として栄え、ソグド人が町を作る
8世紀:イスラム勢力の台頭によりイスラム化。イラン系のサーマーン朝の下で発展
13世紀:モンゴル軍の襲来により町全体が廃墟に
17世紀:ウズベク人のシャイバーニー朝がブハラを首都に。宗教都市として再び繁栄
19世紀:おそロシアことロシア帝国が中央アジアの地に降臨。敢え無く植民地として組み込まれる
1924年:ウズベク・ソビエト社会主義共和国に編入
1991年:ソ連崩壊、ウズベキスタン共和国が独立
1993年:ブハラ旧市街地がユネスコ世界遺産に登録

ざっくり過ぎるくらいざっくりと町の歴史を時系列で見てみるとこんな感じ。モンゴル軍はガンガンに街を破壊したけど、帝政ロシアの入植者は旧市街地は放置して自分たちで新市街地を造って住んでたので、旧市街地の方は昔のままの姿を残すことができたんだと。なので、今あるブハラの旧市街地は13世紀以降に築かれた宗教都市がベースになっているので、モスクやメドレセ(イスラム神学校)といった宗教施設が盛り沢山。そういうことらしい。

地図を見てもモスクやメドレセだらけ。細々とした遺構の一つ一つまで立ち寄ってたら数日あっても足りないだろうけど、メジャーな見所に絞って効率的に周れば一日あれば十分っしょ。

ということでブハラ一日観光を開始。先ずは宿泊先近くの観光スポット“チョル・ミナル”を目指して歩く。

ひだり みぎ
羊肉を吊るした肉屋の前で将棋のようなゲームに興じる地元のおやっさん達を横目に路地裏路地裏へと入っていく。これ、私有地じゃね?入って大丈夫?と不安にさせられる奥の細道を前へ前へ。ソ連臭の強すぎるタシュケントと同じ国の町とはとても思えないイスラムチックな街並みが冒険心を掻き立てます。

チョイ・ミナル 世界一美しい人工巣塔


砂埃舞い散る荒廃感たっぷりの街並を歩いていると、開いた視界の先に青いタイルで装飾された美しい四本の塔を持つ煉瓦の城が姿を現した。チョル・ミナルとは、4本の塔という意味で、元々は大富豪が建てた神学校の門番小屋。ソ連時代に壊されたのかメインの神学校が先に逝き、おまけ程度の門番小屋だけが生きながらえるというね。

ひだり みぎ
お国が建てた“国立”メドレセなんかと比べると随分とこじんまりとしてるけど、それが逆にまた良い味を出している。
で、よく見るとゴン太の塔の天辺に謎の鳥カゴが設置されているではないか。これは、昔からこの建物が渡り鳥の人工巣塔的役割を果たしてきたかららしいw だからって鳥かごと偽の鳥のおもちゃを天辺に設置しますかねw


敷地中に掲示されてた昔の写真を見たら、四本の塔それぞれにがっつりしたバスケットケースみたいな巣が乗っててワロタw なんかもうこうなったら塔のてっぺんの青い装飾も、鳥を惹き付ける為の装飾だと思えてきたわ。世界一美しい人工巣塔として認定致します。

リャビ ハウズ ただの池

続いて、ブハラの観光スポットが周囲に密集するラビハウズなる場所に移動。ガイドブックにも名前があったので期待してたけど、ラビハウズ自体はただの人口の池で見応え無し。

この池、17世紀シャイバーニー朝の大臣ナディール・ディヴァンベギ氏が作ったものなんだと。なんでも…当時、ここに住んでいた住民から土地を買い取って公共事業として池(今でいうところのダム?)を作ろうとしたところ交渉失敗。絶対に池を作りたい大臣vs絶対に立ち退かない住民みたいな構図になり、最後は大臣が武力行使。この土地の下に運河を通して家を流してしまったのだと…
やくざさんもびっくりの悪質な地上げ屋っすねw


立ち退きを拒否し続ける住民の家の周りを掘って城攻めにした中国共産党の手法が思い出されますw


主席ポスターならぬシャイバーニー朝ハンポスターで防御できてれば悪徳大臣も追い払えていたのかもしれないんですけどね。

ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ 人の顔が描かれた神学校

そんなナディール大臣であるが、最終的にリャビハウズを作ることに成功しただけでなく、池の東西には自らの名前を冠した公共施設も残している。

先ずは、リャビハウズの直ぐ東に建てられたナディール・ディヴァンベキ・メドレセ。1622年建立。メドレセとは神学校という意味なので、ナディール・ディバンベキ神学校。今で言うところの小沢一郎政治塾みたいな?

特徴的なのはファサードの模様。偶像崇拝を厳しく禁じるイスラム教ではあるが、思いっきり鳳凰や人間の顔が描かれてしまっている。人間の手による創作物である像を拝むなど、万物をお作りになられた神に対する大変な冒涜行為だ!


この厳しい指摘に大臣はどう抗弁したか。
「鳳凰は伝説上の生き物だし、人の顔に見えるのは顔のある太陽を描いたもの。実在しない生き物の絵は良いっしょ」的な都合の良い解釈で乗り切ったらしい。どうですかこのご都合主義丸出しの主張と、自らの名前を残したいという自己顕示欲の強さ。政治家ってどこの時代のどこの王朝でも似たようなもんなんですねw

ナディール・ディヴァンベキ・ハナカ 悪徳大臣(?)が建てた巡礼宿


ラビハウズの直ぐ西側には、ナディール・ディヴァンベキ・ハナカという巡礼宿も建てられている。公共施設の建設でばら撒いてばら撒いて。大型公共施設を建てまくって人気を取る箱物行政が横行していたのかな。

マゴキアッタリモスク  地中に埋もれていたモスク


大臣の建てた巡礼宿の少し西側には一際古めかしいマゴキアッタリモスクがある。こいつは中々貴重な遺構でして、13世紀に史上最強の破壊者チンギスハンが攻め入った際に破壊防止策として人々が地中深くに埋めたため、破壊を免れたらしい。掘り起こされて発見されたのは20世紀になってから。他にも地下深くに埋められた遺跡があるのではと思うとロマンを感じずにはいられません。

タキバザール  ドーム屋根付き土産物市

マゴキアッタリモスクから北に歩いていくと、天空を突き刺すお椀形の美乳かのようなドーム型建築の数々が見えてきた。これらは丸屋根を持つバザールで、タキバザールと呼ばれるものらしい。天井の突起物は乳首にインスパイヤされ設けられたものではなく、風抜きの為のよう。
ひだり みぎ

かつてブハラ市内には5箇所のタキ・バザールがあったそうですが、現存するのは3か所のみ。いずれもシルクロード商人の熱気が感じられる土産物市みたくなっている。


ここら一帯では歩いてたら何度も声をかけられるし、日本人という理由だけで写真撮影頼まれたり飯誘われたりもする。
「レストランを経営する妻が今から料理するんだ!近いから来てよ」といきなり声をかけられ、断ると今度は「シスターが絨毯を織っている」そして更には「ブラザーが伝統的ナイフを」と…。多芸多才な家系出身の方も中にはいらっしゃった。

ウズベキスタンでは日本人なら無条件でモテると聞いてたのに、いかにも怪し気な野郎からしか声がかからない自分涙目w

土産物自体は多種多様で、意外と見ていて楽しめる。
ひだり みぎ
やっぱり一番目を引くのは陶器。タシュケントやサマルカンドよりカラーとデザインのバリエーションが豊富。

ひだり みぎ
木工品に金細工。特に木工品は品質がピンキリ。似たような物も多いけど、しっかりした物を選りすぐって買う必要がある。


カーペットも定番っすな。これもピンからキリまで。高いのだとUS$4,000とか言われたわ。


そんな高級なモノ今は現金が無いので買えない?国際クレジットカードが使用できるのでご心配なく。
かさばるから今は買いたくない?日本までの配達サービスもあるのでご心配なく。
興味ある素振りを少しでも見せてしまうと、強気一辺倒の承認達は手練手管を弄して攻めの営業をしてきますからね。押して押してダメでも押す!買う気がないのであれば付け入られぬよう気を付けてください。


青果市場も充実。アプリコット、ネクタリン、プラム、イチジク、、メロン、リンゴ、レモン、葡萄、甘柿にザクロ。南国とはまた異なるラインナップのフルーツで市場が溢れてる。シルクロードの地にあるだけあって、宝石のように美しいザクロとグレープは安くて美味い。

アルク城 ブハラ発祥の地に建つ歴代君主の居城


旧市街地を西へと進んでいると、万里の長城かのような立派な城壁が見えてきた。歴代君主の居城・アルク城のようだ。この城は少なくとも紀元前4世紀頃から存在していたことが最新の発掘調査により分かっており、ここが古代ブハラ発祥の地と考えられているそうだ。

ひだり みぎ
幾多の民族が栄枯盛衰を繰り返したシルクロードの歴史舞台に立ち、外敵に破壊されては立て直されという破壊と創造のサイクルを続けてきたアルク城。現在の城は18世紀の物がベースとなっているそうだ。


ふーん。まぁ入ってみるかと思い入城すると、城門を入った直ぐ先がいきなり牢獄。歴代のハンは反対勢力を城門前の広場で容赦なく見せしめのための残忍な方法で罪人を公開処刑していたそうだ。ご丁寧に、当時の雰囲気を出すために気味の悪い蝋人形が置かれている。

ひだり みぎ
こちらは19世紀後半のウズベキスタン人の典型的お住まい。おっさん、こたつで茶飲んでてちょっと親近感わく。ピンク基調で全体的に可愛らしいムードなのは奥様の趣味かな。

ひだり みぎ
これはシルクロード砂漠の中のオアシス都市ですわ。キャラバン隊が往来していた当時の様子が思い浮かんでくる。

ボロハウズモスク 君主専用モスク

続いて、アルク城の真向かいにある君主専用だったというモスクへと進む。


素木を見るとなんだかほっとする。並び立つ胡桃の木の列柱が圧巻です。

ひだり みぎ
そして、外と中のギャップね。正面にはド派手な装飾がなされた龕があり、その上には黄金のシャンデリアが垂れ下がっているという成金趣味。

イスマイール・サマニ廟  中央アジア最古のイスラム建築


更に西へと進んでいくと、中央アジアで最古のイスラム建築とされるサーマーン朝の王族の霊廟に行き当たった。日干し煉瓦を積み上げ造られた四角形の土台に大小のドームが乗るという独特の構造で、外壁にびっしり施された美しい幾何学模様も相まって、その造形美に暫しうっとりと見とれてしまう。

ひだり みぎ
四角と三角のレンガだけで敷き詰められたレンガが作り出す美しい幾何学模様。この建物も、モンゴル軍襲来時に砂漠の砂に埋もれていたことから破壊を免れたそうだ。とても1200年前に造られたとは思えない完成度の高さである。

預言者ヨブの泉 水不足問題に対するソリューション

廟の近くにはもう一つ、ユニークな建物が建っている。預言者ヨブの泉というらしい。

ブハラの町が慢性的な水不足に悩まされていた時代、ヨブが杖で地面を叩くと聖なる水が湧きだしたという故事の場所だそうだ。人類の水問題に対するソリューションとしてのヨブじいさん。今ではアラル海の90%が消滅するに至って様々な環境問題が併発しているそうだが、ヨブさんまたひょっこり現れてくれませんかね。でも逆に言うとあれか。ヨブじいさんが出てきたら、日本の水インフラ技術の価値が下がってしまいますね。

ひだり みぎ
そんなヨブさんの泉の近くには場末感たっぷりの遊園地が。


先日引退発表されたマクレガーさんじゃないっすかw

ビシュケクでも町中にポツンと置かれたパンチングマシーンを見かけたが、旧ソ連圏ではパンチングマシーンが人気なのでしょうか?

ここまでで町の西側の見所をあらかた見終えたと思うので、最後に旧市街地の中心で見逃した観光スポットを見て回る。

ミルアラブメドレセ  現役のイスラム神学校

ひだり みぎ
ウズベキスタンにある大半のメドレセ(イスラム教神学校)の殆どは既に神学校の役目を終え、内部を土産物屋にしたような観光地になってしまっているのだが、ここだけは現役バリバリの神学校として未だに機能しているそう。しかも、宗教が否定されたソ連時代に於いてもウズベキスタンで唯一開校を許されたという名門校らしい。それ故にセキュリティもばっちりで、残念ながら内部に入ることは許されていない。


とても学校の校舎には思えないっすw 住み込みで学習する生徒もいる寄宿学校のようだけど、どんな授業してるんだろう。

カラーンモスク  インスタ映えするモスク

ミルアラブメドレセの正面には、これまたインスタ映えする造りのカラーンモスクがある。
ひだり みぎ
最大一万人もの信者が同時に礼拝出来るという巨大な回廊型モスク。この地には古来よりモスクが建てられていたそうだが、こちらもモンゴル軍がメタメタに破壊しきってしまったので、現在残っているのは16世紀のシャイバーニ朝の時代に建てられたものだという。

カラーンミナレット 玄人受けする独創的ミナレット

そんな巨大なカラーンモスクはミナレットも巨大で、高さは45.6mとブハラのミナレットでは最大となる。アザーンの音を町中に響かせるだけでなく、見張り台としての役割もあったそうだ。


カラフルなタイルで彩られたサマルカンドのミナレットと比べると、サンドベージュ色の日干し煉瓦のみで建てられたカラーンミナレットは一見すると随分と地味め。それでもよくよく目を凝らして観察してみれば、煉瓦の組み方を変えることで14層もの繊細な幾何学文様を創りだすという凝った意匠になっています。超独創的で玄人受けするようなミナレット。これにはさすがのチンギスハンも深い感銘を受けたようで、この党だけは破壊をしないよう部下に命じたそうだ。ただ、帝政ロシア時代に塔が崩壊してしまった為、今ある塔はその後に復旧されたもの。


レンガとタイルで築かれたエキゾチックな神学校跡、廟、モスクが盛り沢山のブハラ。首都タシュケントとは違い。ロシアの影響が及ぶ前の本来の中央アジアの姿が保存・再現されていてすっごく楽しめます。

また、規模的にもちょうど良い。サマルカンドに比べると1km四方ほどと観光エリアが狭い範囲に固まっているので、頑張れば一日で観光することもできちゃいます。

ということでブハラの旧市街地観光は終わり。明日はブハラ郊外にあるブハラ王の宮殿と“死者の町”ことチョルバクルを訪問、その後に高速鉄道でサマルカンドへと移動する予定。



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