中東のパリことベイルートの町を歩く

ノリでやってきたレバノン。

レバノン=中東のスイス、ベイルート=中東のパリなんて呼ばれて風光明媚な観光都市くらいのイメージのブランディングがされているようだが、吾輩がレバノンと聞いて思い浮かべるのはもっぱらダークサイド系。レバノン内戦、イスラエルによる空爆、シリア・パレスチナ難民、ヒズボラ、テロ、そしてここにきてのカルロスゴーンw
あとは、中東なのに砂漠が無くて自然が豊かだったり人口の4割がキリスト教徒だったりするし、中東の国というよりは、中東の中の欧州への海の玄関口的なイメージ。南欧と中東を混ぜ混ぜしたような。それくらい大雑把なイメージしか持ち合わせてない未知の場所なんですが、果たして首都ベイルートはどんな街なのでしょうか。


実際、宿泊先の前の通りは南欧のリゾート感があって中東感は皆無。女性がヒシャブではなくスーツパンツやノースリーブのシャツを着てたりするし、人々もノリが開放的で南欧っぽい。

ひだり みぎ
そして、くっそ大都会。長く続いた内戦で首都ベイルートのダウンタウンも瓦礫の山と化したらしいですが、中東のビジネス・金融センターとして栄えていた頃の栄華を取り戻すべく再開発が進んでいて、建設途中の高層ビルもバンバン建っている。

ひだり みぎ
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中東のパリことベイルートの優雅な町並み。ダウンタウンはパリっとしたスーツを着こなしてカフェでミーティングする若いビジネスマンや買い物を楽しむイケイケお姉さんさん達で溢れていて、やっぱり想像してたレバノンとちょっと違った。アラブのイスラム圏では殆ど公にないアルコールも気軽に飲めたりするし、印パ・アフリカ系出稼ぎ労働者は皆無。湾岸諸国とは全くもって雰囲気が異なります。

Place de l’Etoile(エトワール広場)

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ベイルートの中心広場には誇らしげにエトワール凱旋門のオマージュ的ロレックスの時計台が建つ。時計塔を中心に通りが放射状に広がっていて、建物ものパリ風でおしゃれなカフェやブティックが軒を連ねているのだが、時折流れてくるアザーンやアラブ語の放送が当地が中東であることを思い出させてくれる。

ベイルートスーク

エトワール広場近くにスークと書かれた場所を地図上に発見。ただ、中東の伝統的なバザールではなく、普通にオシャレでハイエンドな西洋風ショッピングモールで期待を裏切られた。屋台で売られるのはケバブではなくクレープだし、スーク内の匂いも香辛料じゃなくて品の良いパフュームで、聞こえるのも物売りの掛け声ではなくポップな洋楽。
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おしゃれレストラン、おしゃれブティック、おしゃれ映画館が並び、明らかに中東のスークではない。俺らはヨーロッパに近い存在なんだ!というメッセージをこめて西洋風に再開発されたんですかね。

まぁ元々がアラブ人の町ではなくフェニキア人により開かれた町で、ローマ人が発展させた町っすからね。ベイルートスークから徒歩数分、市街地のド真ん中にローマ遺跡があるくらいだし。
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今やどこからどう見ても瓦礫の山にしか見えないけど、町のド中心に建つ現代建築と共存する形で古代ローマ時代の神殿やら浴場跡なんかが保存されている。ただただ放置されているだけのようにしか見えないけど、この中東の地にローマ帝国が存在したことを証明するようなローマ列柱が並んでいて実に感慨深い。

ローマ浴場跡

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ベイルート市街地の中で数ある考古学的発掘地の中でも最大の物がローマ浴場跡。中東のこの場所が確かに古代ローマの一部だったという歴史ロマンを感じさせてくれる。


日本で言うと丸の内のド真ん中みたいな場所のビルの谷間に忽然と本格的な遺跡がさらっと現れるんですからね。え?内戦による廃墟じゃなくて?と突っ込みたくなるけれど、ローマ帝国時代の建造物の廃墟らしい。

Mohammad Al-Amin Mosque

ローマ浴場跡から東に100m程の場所にも実にレバノンらしい場所がある。

並び立つセント・ジョージ教会とモハメッド アル アミン モスク。イスラム教徒が6割、キリスト教徒が4割という人口構成のレバノンの首都ベイルートではイスラム教徒地区の西ベイルートとキリスト教徒地区の東ベイルートに居住区が二分されるそうですが、ここでは両者が隣り合って共存してます。これも他のアラブ諸国ではなかなか見れない光景でしょう。


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ラピスラズリ色をした丸屋根と四本のミナレットが特徴的なモハメッド アル アミン モスク。マムルーク朝、オスマントルコ、レバノンの独自スタイルを混ぜ合わせた独自の建築様式で建てられているそうだ。


モスク前は武装した治安維持部隊が目を光らせているなど、ここら一帯だけ少しだけ物々しい雰囲気。なんでも、内戦時はこのモスクの前が東西の境界線になっていたそうで、今でもモスク前の広場では政治的な集会が開かれたりするそうな。

Place des Martyrs(殉教者広場)

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なんたって、モスク前の広場は殉教者広場なんて名付けられてるくらいですからね。広場の中央に建てられた殉教者の銅像は腕が欠けてるし、体中に銃創が生々しく残ってるし。ここだけちょっと物々しい雰囲気でした。

教会群

東ベイルートにはモスクもあるけれど、やっぱり多いのは教会の方。ローマカトリック、ギリシャ正教会、アルメニア教会など、様々な宗派の教会が並び立っていて、イスラム原理主義者激おこ必至な街並みになっている。

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ステンドグラスが美しいセントルイス・ローマカトリック教会。



こちらはアルメニアン正教会のCathedrale Armenienne Catholique St. Gregoire – St. Elie。

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そしてギリシャ正教会の聖ゲオルギオス大聖堂 。


中央分離帯ブロックにも日本で言うところの道祖神や地蔵的な感覚でマリア様などの像が祀られていたり…

教会とモスクが隣り合って建ってたり、内戦時にできた銃創が残った像や古い廃墟のような建物やローマ遺跡が気高い洗練された洋風の街並みに同化するように残っていたり。治安自体は安定していると感じたけど、歴史的にも文化的にも複雑だし、地政学的にも難しい国なんすね。
地域大国に囲まれた歴史ある中東の小国レバノン。現在の小康期の先に待つのは、経済的繁栄の復活か、はたまた宗教的政治的混迷による治安悪化の再来なのか…観光的には世界遺産級の遺跡も多いので、イラクやシリアコースを辿らなければ良いですが。

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コメント

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