ベイルートからバールベックへの日帰り旅行

レバノン2日目はシリアのパルミラ遺跡・ヨルダンのペトラ遺跡と並んで中東三大遺産と呼ばれるバールベック遺跡へ日帰りで行ってみることにした。

場所はレバノン山脈とシリア国境の間のベカー高原、ベイルートから渋滞が無ければ車で片道2時間程のところにある。肥沃な土壌を持つベカー高原一帯は紀元前からフェニキア人の信仰の地として栄えていたのだが、紀元前1世紀頃に大正義・ローマ帝国の支配下に。バールベックの遺跡もレバノンにあるけどフェニキア人の遺跡ではなく、ローマ帝国により1世紀頃に建てられた神殿跡になるらしい。
同じく世界でも最大規模のローマ神殿跡とされていたシリアのパルミラ遺跡はイスラム過激派による暴挙で逝ってしまったし、バールベックだけは行ける時に行っておかねば!ということでベイルートから日帰りで行って参りました。

ただ、やっぱり場所がちょっとね…地図を見ると、だいぶ近くにダマスカスって文字が見えるのですが…


治安マップが真っ赤っかに燃え上がる“悪の枢軸国”シリアとの国境まで直線距離で10km。中東の情勢によっては自粛しようと思っていたけど、レバノンに入ってから最新状況を確認してみたら外務省が定める治安の危険レベルが2に引き下げられているではないか。この好機は逃さまいと、早速、フェニキアホテルのコンシェルジュお勧めのツアー会社Lebanon Tours and Travelsにコンタクトし、Private Day Tour from Beirut Anjar, Baalbek & Ksaraというベイルートからの日帰りプライベートツアーに申し込むことに。

ツアー当日は朝08:00にフェニキアホテルを出発。濃霧・暴風雨というあいにくの悪天候の中レバノン山脈を越えていく。
ひだり みぎ
「峠では牧歌的で美しい景色が楽しめるんですよねー、晴れてれば。」とは運転手談。景色が良ければ見えていたのであろう美しい風景は残念ながら霧と曇った窓ガラスの二重ブロックにより全然見えませんw


ベイルート市内の渋滞と濃霧による鈍行運転で思った以上に時間がかかり、フェニキアホテルを出て3時間弱ほどかかってバールベックの街に到着した。

バールベックの巨石 南方の石

着いたぞ、と言って降ろされたのは住宅街の一角に設けられた小さな公園のような場所。確かに遺跡よろしく古そうな石やらが無造作に散らばっているが、これが世界最大規模のローマ遺跡と名高いバールベック遺跡?


思ったよりショボいし、観光客も他に誰もいないようで、遺跡脇に土産屋を構えて遺跡周りを代々清掃してきたという一族の男がワイ一人に対して全力で営業トークをしかけてくる。運転手まで「この一族は偉大。バールベック遺跡がここまで注目を集めるようになったのも彼らの貢献によるところが大きい。(だからなんか買ってやれ)」とか加勢してくるしw ちょ、おまwww 味方だと思った運転手に後ろから刺されて、しょうもないメダルを購入する羽目に。


ショボいと言ったが、野ざらしで横倒しになった一枚物の巨石の存在感は半端ない。メダルが売れてゴキゲンな土産屋店主に拠ると、この巨石のサイズは高さ約4m、幅約5mで、重量は2,000トンにもなるという。いやいやいや、それは流石に盛ってるでしょおやっさん!鼻毛がもっさーって出てて実に胡散臭いし!と思ってググってみたら、この石は確かに有名な巨石でらしい。オカルト話が好きな一部の好事家の間では有名なオーパーツで、神殿の南にあることから、「南方の石」と呼ばれているそうな。

ひだり みぎ
紀元前3000年頃にレバノンの先住民だったセム族により切り出された物であると推測されているらしいが、今から5,000年も前にどうやってこの巨石を切り出せたのか。そしてどのようにここまで運搬してきたのか?もしかして現代人の我々が知らない高度なロストテクノロジーが古代文明にあったのか!?もしくはとんでもない巨人が存在してたのでは!?なんて話らしい。

バールベック遺跡

巨石から北に1km、今度こそバールベック遺跡に辿り着いた。

駐車場脇に遺るのがヴィーナス神殿らしいのだが、ベイルートのローマ浴場跡と同じく考古学的に非常に貴重な遺跡が普通に現代人の生活圏に埋もれた感じで遺されているのが面白い。

これまた鼻毛ボーボーな管理人にUS$10の入場料を払って敷地内へ。運転手は運転手であってガイドではないので、一旦ここで別れることに。


ギリシャ人からヘリオポリス(太陽の都)と呼ばれていた栄光の地・バールベック。紀元前64年にローマ帝国の属州に組み込まれて以降、歴代ローマ皇帝が200年以上の長い年月を費やしこの地に神殿を建造していったそうだ。バールベックを含むシリア属州は五賢帝時代のローマ帝国がイケイケガンガンだった頃の最東端。強国パルティアの領土と東に接していることもあり、ある程度重要な位置づけの場所だったんかな。


エントランスに立てかけられていた復元図によると、当時はこんな感じで「ジュピター神殿」「ヴィーナス神殿」「バッカス神殿」の三部構成だったそうだ。ローマ帝国というとキリスト教というイメージが強いけど、バールベックが築かれ始めた頃はペイガニズムに基づく信仰の場として人々が礼拝する為の神殿が建てられていった時期っすからね。

エントランスの階段を上った先にはもう遺跡感全開。
ひだり みぎ
ひだり みぎ
悪天候ということもあるんだろうけど、何が凄いって他に誰もいないんすよ観光客。世界遺産なのに。

ひだり みぎ

ひだり みぎ

レバノンで楽しむローマの香り。確かにローマっぽくなってきた。

ひだり みぎ
祭壇と思しき一室はローマ帝国の本丸ローマに建てられたパンテオン神殿と同じ天井に穴が開いた丸屋根構造。


メインの建物以外は無造作に瓦礫がゴロゴロと転がっているような感じなんですが、柵もないし完全にお触りし放題という素晴らしいサービス精神。世界遺産なのにw

ひだり みぎ
いやー、凄いっすねこの規模感。世界に現存するローマ神殿の中でも最大規模らしいっす。

ひだり みぎ
瓦礫の大きさも半端ない。列柱の基礎だけでも私の背より高いとか。


修復中で足組に隠れちゃってるけど、ジュピター神殿を構成していた6本の列柱。規模でいうと、今でこそ列柱が遺るだけの状態になってしまっているが、中央の高台の上に立つジュピター神殿が最大の物だったそうだ。高さ20m、直径2.5mという大きさの柱からして当時の神殿の大きさが伝わってくる。


これで終わりじゃない。高台から横に目をやると、パルテノン神殿かのような建造物が視界に入った。こちらがバッカス神殿らしい。

コリント式の柱が神殿の内陣を取り囲むパルテノン神殿のような作りのバッカス神殿。高さ28m、幅34m、奥行き69mとスケールだけで言うとパルテノンを遥かに上回るし、現存するローマ神殿の中で最も保存状態の優れた遺跡ともいわれるだけあってほぼほぼ完全な神殿の形が遺っている。


屋根のみ欠落しているものの、神殿前面の階段からエントランス、内陣に回廊まで見事に残っている。日本では弥生時代で石器じゃ青銅器じゃとやってる頃にこんな建物を造っちゃうローマ帝国最強っすわ。




ひだり みぎ
壁民に浮き彫られた神話上の人物や植物も残っているし、神殿内部まで見応え十分。ローマ帝国でキリスト教が国教と定められた後は神殿の破壊が進んだそうだが、高台に建てられたジュピター神殿とは違い、バッカス神殿は発掘されるまで土に埋もれていた為に風化を免れたそうだ。


バッカス神のレリーフ。日本ではジュピターやヴィーナスと比べると知名度が低いが、ギリシャ神話に出てくる酒神・萄酒と享楽の神ディオニュソスのローマ神話版で、「豊穣と酒と狂乱の神」らしい。確かにリゾート地でウェイウェイしてそうな感じで描かれててぐう裏山。


ひだり みぎ
遺跡を見終わった後は、保存状態が良く価値の高いレリーフなどが展示された博物館を見て…と思ったんだけど…博物館内で待機してた運転手が「もう出発しないと最後のワイナリーに寄る時間が無くなるぞー」なんて脅してきたので博物館内は駆け足で。

広いとは言っても3-4時間ほどあれば十分に楽しめるので、バールベック遺跡だけを見るのであればベイルートから公共交通機関を使っての日帰り旅行も余裕そうっすね。

自分はこの後アンジャールの遺跡へと移動していきます。

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