古代南アラビア地方の貿易港・ホールルーリのサムフラム遺跡

サラーラ二日目も一日目と同じ運転手にチャーターをお願いしてサラーラ近郊を見所を周ってもらうことになったものの、計画は流動的にということで…。とりあえず「行ってみたいところリスト」にイエメンとの国境線を加えてみた。運転手には「何故そんな何も無い所にわざわざ遠出するんだ!WHY?WHY?WHY?」と反応されること必至だが、距離や治安的なことを理由に拒否られなければ行くだけ行ってこようと思う。

因みに外務省発表によるイエメンの治安状況はこんな感じ。

イエメン全土が見事にまっ赤っ赤w 危険レベルマックスで退避勧告が出ているので、まぁ無理に近づく必要もないというか、本来近づいたらいけないっすからね。運転手曰くオマーンとの国境線上は特にテンションがあるわけでもないとのことではあるが。

…約束の時間から30分遅れで現れた運転手と出発前に打合せ。イエメン国境は遠いので時間があれば向かうこととなり、先ずはサラーラの東側にある運転手お勧めスポットを幾つか巡ってもらうことに。
ひだり みぎ
南国リゾート風に整備されたサラーラの町を走っていく。白とベージュの低層ながらも高級そうな伝統家屋が建ち並ぶ住宅街を抜けると、海の幸がいっぱいのコバルトブルーの海に沿うようにヤシやバナナの木々が群生する地上の楽園風景色が見えてくる。他にもレモン・スイカ・イチゴにオレンジと様々な果物がサラーラ周辺に実るのだとご当地出身の運転手が誇らしげに語ってくれた。

ひだり みぎ
第一の目的地を目指し、右手にアラビア海を見ながら東へ東へと走る。モスクの外で人を待たせたり二日連続で遅刻してきたりと時間にルーズなのかと思いきや運転は滅茶苦茶せっかちで時速120キロ出したり無理に追い越したりして不思議な運転手である。

ひだり みぎ
タカというイワシ漁で栄える漁村を過ぎてから右折して暫くすると、世界遺産のマークを掲げるエントランスに突き当たった。


営業時間外ぽかったが運転手のオマーンパワーで開園させることに成功w なんかここらへん緩~いというか、結構思わぬところで融通利いたりするよなこの国w


本日一発目の目玉、ホールルーリ(Khor Rouri)という町にあるサムフラム(Sumhuram)遺跡に到着した。BC3世紀~AD5世紀に栄えたとされる古代都市サムフラムは乳香の交易ルートの中心にあったそうで、 「サラーラのアルバリード遺跡」「シスルのウバール考古遺跡」「ワジダウカの乳香公園」と合わせて「乳香の土地」として文化遺産にも登録されている。


入り口に掲示された当時の交易マップに拠ると、アラビア半島はもとより、ローマ・紅海・ペルシャ湾・アフリカ東海岸や今日のマダガスカルや南アフリカ・インド・ミャンマー、そして果てには遠く中国まで乳香の交易ルートを確立していたらしい。このドファール地方は古来より乳香で知られる地だったので、アラビア海に面した積出港であるサムフラムに集積された乳香が海へ内陸へと運ばれていったのであろう。



ひだり みぎ
あー、やっぱり閉まってるじゃん!と顔を見合わせる私と運転手。しかし、男だったらそんなことで狼狽えるなとばかりに強引に施錠された門を突破し、率先して遺跡に中に入っていく運転手。心強いw どれくらい心強いかというとドラクエのハッサンくらい心強い。ちょっと装備品が弱いけど、たぶんモンスターが不意に出現しても「せいけんづき」で一発で倒してくれるだろう。

ひだり みぎ
さて、この遺跡であるが、入り口には門の木を固定する為の穴が煉瓦に穿ってあり、入り口から「第一のゲート」「第二のゲート」「第三のゲート」といった具合に三層の大きな木造ゲートがあったことが解明されている。旧約聖書に登場する絶世の美女・シヴァの女王の宮殿が存在していたとも考えられていて、当時のサムフラム城は強固な守りで固められていたそうだ。


どれだけ堅牢な要塞だったかというとこれくらい。高い塀で囲われた内部は迷路のように入り組んでいる。

1つ目のゲートを過ぎたところには紀元前に刻まれたとされる古代南アラビア文字の碑文があり、アクリルボードで護られている。確かに現代のアラビア文字でもないようだし、もちろんローマ字やギリシャ文字でもないようだ。特に碑文周辺に解説は無かったが、運転手曰く、この碑文や調度品により、この要塞都市が「サムハラム」と呼ばれていたことや、乳香の利権を抑えたハドラマウト王国により築かれたことが解き明かされたらしい。石自体が新しくてとても2,000年も前の碑文には見えないが…わざわざ保護してるけどレプリカってことはないのかな。

運転手に碑文についての具体的な内容を伺ってみると、暫し壁に刻まれた文字を眺めながら遠い目をして…「うーん、古代文字なんで読めない」と。まぁそりゃそうだよな。「オマーンのことなら、ガイド暦24年のこの私に何でも聞いてくれ」と言われてたんで調子乗って無茶振りしてしまったよ。失敬失敬。


城壁内部は神殿・乳香の貯蔵庫・洗面所や寝室のある居住エリア等々と区分けして造られていたようだが、石積みは色相からしてどれも比較的新しそうで、殆どは積み直され復元されたもののように見受けられる。見つかったオリジナルの基礎部分に積み上げていったのかな。先に見たウバールの遺跡よりは遥かに良く往時の姿が取り戻されている。

ひだり みぎ
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神殿はハドラマウト王国の宗主国であるサバア王国宗教の神殿ということになろうか。同王国では月の神を頂点とする天体信仰が主流であり、月の神アルマカフを祀る神殿が建てられていたとされているそうだ。

一本だけポツンと残る乳香の木が遺跡の物悲しい雰囲気を醸し出している。幹から出る樹液を乾燥させてお香として使ったり水に溶かして万能薬として飲んだりしたそうで、かつては金と同じ重さで取引されるほど高価でかつ神聖視された品だったらしい。

ここサラーラ周辺のドファール地方一帯には、この金の生る木こと乳香の採れるフランキンセンスの樹木が約8平方キロにわたって群生していたのだと。それが今や…この一本の乳香が諸行無常の世の常を実によく表している。


入り口とは反対側の一番奥に勝手口のような小さなゲートを発見。

勝手口から出ると直ぐ眼下にアラビア海が広がっていた。かつては背後の山から幾筋もの川が流れてアラビア海へと注いでいたそうで、立地的にはまさにここが絶好の積出港だったんだと。
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紀元前からずっとこのような景色だったのだろう。見事なターコイズブルーの海水をたたえる青々としたアラビア海とごつごつした武骨な岩山との対比が実に美しい。


アラビア海の入江に面した高台に建つサムフラムの城。入江の港には多数のダウ船が行き交っていたとされる。


そんな交易の要地として賑わったホールルーリの地であるが、今は非常に静かな動物たちのオアシスとなっているようで…運転手はファルコンや水浴するスワンの親子、フラミンゴ、ヘラサギといった水辺の野鳥を望遠鏡で観察してはしゃいでいた。「ミスターポンズ!ファルコンが飛び立ったぞ!」って。あんたが望遠鏡を占拠しちゃってて肉眼じゃ見えんわw

【サムフラム遺跡】



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