ウバールとルブアルハリ砂漠でオマーンをマンキツw

オマーンのサラーラ国際空港にて現地のツアー会社に手配頂いた運転手のSuhail氏と合流し、ホテルに寄る時間も惜しんでウバールへと直行する。

AD300年頃に乳香の交易ルート上の要衝地として繁栄していたとされる古代都市ウバール。コーランやアラビアンナイトといったアラビア世界の古書でもウバールに関する言及が確認できるようなのだが、その場所は数千年間に渡って不明のままで、一説には市民の間で神の教えに背く悪徳が蔓延った為に神アラーにより破壊された伝説上の都市だとも考えられてきた。それが…1990年代に入って米航空宇宙局NASA主導による最先端技術を駆使した調査が進められた結果、ルブアルハリ砂漠の人を寄せ付けぬ秘境に川床の跡や古代アラビア時代のキャラバンルートが発見されたのだ。そこからウバールの位置が解明され、実際に発掘してみたらビンゴ!砂に埋もれた古代都市が掘り起こされ、古文書の中にのみ存在する伝説上の古代都市の存在が証明されたのだ。もうまさに砂漠のアトランティスですわ。公共交通機関の無い砂漠地帯にあってすっごいアクセスの悪い場所にあるんですが、こりゃあ車をチャーターしてでも行くっきゃないっとオマーン初日に行って参りました。

このロマンの塊のようなウバールは、サラーラから北に約180キロの砂漠地帯の中にある。

サラーラから車で2時間半。ぺんぺん草の一本も生えていないであろう荒涼とした大地をサウジアラビア方面に向けて2時間半ほど突っ走る。


空港から一路北へ。

砂漠というとどうしても猛暑の砂丘をラクダのキャラバンが行く的なイメージを想像しがちだが、空港付近は寧ろ土漠といった雰囲気で、瓦礫と土と岩山を切り拓いて作った切通しのような道が続く。辺り一面徹底した茶色一色一辺倒な風景がワイルドアラブな雰囲気で気持ちが自然と盛り上がってくる。
ひだり みぎ

オマーン南部のドファール地方と呼ばれるエリア一帯の地形は非常に変化に富んでいて、白浜の美しい海岸線から内陸部に向かって山岳地帯が広がり、山の先からサウジアラビア方面に向け巨大なルブアルハリ砂漠が続いていくので、海から山から砂漠まで、実に様々な自然の表情が楽しめる。

ひだり みぎ

山を越えるといよいよ砂漠らしくなってきて、ワイルドなオフロード有り、旅情を掻き立てるアメリカンな一本道有り、車窓から眺めるラクダの群れ有り、蜃気楼有りと、なんともアラビアンな世界が続いていく。

ひだり みぎ
途中、Thumraytという小さな辺境の町で物資を買い込んでから北上を再開。スーパーマーケットならぬコマーシャルマーケットでは農作物や果物が豊富に取り揃えられていたのが驚きだった。あと、小麦粉とか穀物一般類は麻袋に入って売られてたんだが、砂糖もまさかの麻袋売り。砂糖20kg単位とかMOQおかしいだろ。


ひだり みぎ
Thumraytから先は右を見ても左を見ても本当に何もない平坦な砂利道が延々と続くのだが…


ふと眼前に青々とした緑地が現われた。なんでも不毛に見えるここら一帯は実は地下水が豊富らしく、意外にも牧草栽培やピボット灌漑が盛んなんだと。確かに地下水を水源としているのであろう反動回転式スプリンクラーを多数そろえた緑地が並んでいるし、スイカやトマトや各種野菜等も普通に採れるのだと。更に驚くのはモンスーンの季節まであって、7-9月の雨季には砂の大地一面が自然の緑に覆われるんだと。漁業も盛んだし、オイル以外にも豊かな国なんですわオマーンは。

ウバールとシスル

途中、幹線道路を西のイエメン方向へと折れ1時間ほど未整備の砂利道を走ると、シスルという小さな小さな村落の中にウバールの発掘調査現場が見えてきた。

車を降りるとありえない数のハエに囲まれ戸惑いながらも運転手について歩いていく。すると管理人らしきアラブヒゲの男が出てきて運転手とがっちり固い握手。そして戸惑うワイを後目に握手したまま何やらニコニコと現地語で話し出す。

会話に入りたくても入れない私に対して発せられた言葉は、「ここがウバールだから、まぁゆっくり見ていってくれよ」と。ということで放置プレーで遺跡を楽しませてもらうことに。

乳香貿易で栄えた古代のキャラバンオアシスの遺跡。砂漠のど真ん中にある小さな敷地に城壁などの遺構がかろうじて遺っているようだ。


高台にポツリと建つ監視塔のような建物。当時の再現にしては立派すぎる建物なので、発掘現場で働く方達の為の建物だろうか。

ウバール遺跡の発掘調査にあたったオマーン/米合同調査団の報告に拠れば、3m程の高さの城壁に囲まれた八角形の砦や8つの高い塔が発掘されたそうだ。
ひだり みぎ
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古来よりキャラバンや動物たちの喉を潤してきたのであろう井戸跡なんかも見られる。乳香も炊かれたオアシスの町で、過酷な旅の途中にひと時の安らぎを楽しむキャラバン隊員の姿が頭に思い浮かんでくる。


これでも発掘されているのはまだまだほんの一角のみだそうだ。ただ、残念ながら発掘作業が進んでいるようには見受けられんので、暫くはこのままなのかな。

当時の街並みの復元図。大きな城壁で囲まれた中はキャラバン隊の隊商達で賑わってる。こんなんが数千年に渡って砂の中に埋もれてきたんだからロマンあるよなー。

コーランには「高い柱に囲まれた都」「砂に埋もれて滅んだ」との記述があるらしい。聳え立つ高い建物に囲まれ過ごすAdと呼ばれる人々はアラーの教えに背いた為に七日七晩の砂嵐により襲わることとなり、Adの都は存在していなかったかのように砂漠の中に消え忘れ去られてしまったのだ、と。確かに発掘された遺跡から推測される再現図を見ると高い柱に囲まれた都だわ。


砂岩の香炉など、乳香の生産を示す遺物や交易により運ばれてきた他所の名産品等も発見されたそう。でも大体が10世紀以降の物じゃんね。それ以前の物は発見されてないのかな。

ひだり みぎ
塔の先の部分に回り込んでみると、地盤が崩れて大きな裂け目が生じてた。よくよく穴の奥の方まで目を凝らして見て見ると、巨大な洞窟のようになっている。どうも中からは水が湧き出ているそうだ。繁栄を極めたウバールの市民は強欲で不道徳な生活を改めなかった為に神の怒りにふれアラーによって滅ぼされたという伝説があるが、実際のところは地下水脈の影響による地盤沈下により陥没したとも推測されているらしい。発掘が進むにつれ、また新たな真実がわかる日がくるのかもわからんね。発掘チームはやる気なさそうだけど。


裂け目の底にはコンクリートの階段が設けられていて、地下に向かってパイプが伸びている。この下が湧き水の水源になっているのだろう。

数千年間発見されないまま砂漠の中に埋もれていた伝説の都市が最新テクノロジーで発掘された。 探せば地球上にはまだまだ超古代文明の痕跡が眠っているんじゃね??

そんなロマンを胸にウバールの地を後にする。運転手からそろそろ行こうと催促されたんでw
ひだり みぎ
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車に乗り込み、このまま来た道を戻るのかなぁと思いきや急にハンドルを右に切る運転手。まさかのオフロード突入だ。

ルブアルハリ砂漠

この先には縦東西1000km・南北500kmという途方もない大きさでオマーン・イエメン・サウジアラビア南部・UAEに跨って広がるルブアルハリ砂漠が広がっている。ルブアルハリ…なんとも情緒ある響きの言葉であるが、アラビア語の原意は『何も無い場所』ということらしい。
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思いっきり砂埃を舞い上げながらダートロードを直進していくと、次第に砂がモフモフしてきて起伏も激しくなってきた。但し、まだ電柱が続いているのでこの先に村落があるのか、それともベドウィンの住まいがあるのか…なんて思ってたら本当に見渡す限り何もなくなった。道らしい道すらない。

で、なにも無いところでいきなりジープを止める運転手。お祈りタイムだから待っていてくれと灼熱の砂漠の真ん中で降ろされる。こんなところでっすかw
ひだり みぎ
ワイを置いてお祈りスポットを探しに歩き去る運転手w こんなんありっすかwww RPGとかだと砂漠ステージってモンスターのエンカウント率高かったりするじゃん。毒サソリとか出てきたら勇者でもないワイ一人じゃ倒せんぞ!


マドハンドに仲間呼ばれまくって囲まれるという昔の悪夢の再現は勘弁だぞ!

ひだり みぎ
中々戻ってこないので不安になって足跡を辿っていったら、やっぱり大砂漠のど真ん中で一心不乱に頭を垂れお祈りしていた。方向感覚を失うような何も無い大砂漠の中でもお義務を忘れぬムスリムの鏡。後々、なんでメッカの方角分かるのか伺ったら「分かるに決まってるんじゃん」とかサラッと返されたんだわ。時計と太陽の位置を見てパッと方角を確認したりしてるだろうか。


お祈りを終え気力充実の運転手、今度はランクルパワーを見せつけ砂丘の上を目指すと力強く語ってくれた。


ということで更に砂漠の奥深くへと車を進めると前方に200m級の小高い砂丘を発見、アクセル全開で突っ込んでいく。


おおー、すげー、というか危ねー!と思ったら案の定、丘の中腹で諦めて、ここから歩いて砂丘の頂上を目指しましょうってw うん、危ないからそれが賢明な考えと思いますよw


ひだり みぎ
ということで風紋美しい砂丘をハイキング。靴に入っても気にならない程サラサラした砂で、ちょっと体重をかけただけで崩れるので普通に歩くのも思ったより全然ハード。風が強くて砂嵐が全身に吹き付けてくるし!

ひだり みぎ
ただ、登り切ったところからの周囲360度に広がる砂漠の景色は圧巻。ただただ見渡す限りに広がる砂の海。吹き寄せる風により、音のない海の波のように、静寂の中でひたすらに形を変える幻想的な砂模様。小並感的感想になってしまうが、この時の感動は一生忘れないであろう。

ひだり みぎ
まあでも足場が悪いなか200メートル程の砂丘に上って吹き荒れる砂塵を全身に受けながらドライバーが用意してくれた茶を一杯飲んで帰るだけっていったらちょっと滑稽な気持ちになりますがw

この後は一路サラーラへ。途中、Thumraytの町のローカルレストランでチキンカレーとナンを食べたのだが、箸やスプーンは無く素手で食べることに。マジかよカレーのルーとか液体系も素手なのかよと思いながら食べたら思いっきりシャツにルーをこぼしちゃうし、運転手は運転手でまたしてもお努めの時間だからと一人でモスクに行っちゃうし…前日に香港を発ってから30時間近くロクに寝てないので少しでも早くホテルで休みたかったのだが、こればっかしは彼のムスリムとしての義務なので仕方ない。

レストランの外の席で通行人を観察していると、通りかかった若者が「ジャッキーチェン!」とカンフーポーズをしながら声をかけてくれたので身振り手振りを交えて遊んでみる。すると、奥さんが名古屋の人間だという怪しそうな男と連れの3人組が「日本人ですねー。お茶を奢らせてくださいー。オマーン人、外国人には優しいです。」と現れ声をかけてきた。日本とオマーンを毎月仕事で往復する石油業界のビジネスマンでオマールと名乗るこの男…ちょっと裏の有りそうな笑顔だったし泊まってるホテルとかまで聞いてきて怪しさ満点だったので奢られるのを断りつつも適当な会話で無難にやり過ごそうとしていたところに運転手が戻ってきた。するとそそくさと何も言わずに急に退散して車で離れていく3人組。怪しい…運転手曰く、奴等は確実にオマーン人ではなく、十中八九パキスタン人だろう、あの似非イスラム達はオマーンで港湾整備とかの現場作業者で難民が如くいっぱいオマーンに雪崩れ込んできてるんだわとのことだったw

と、まあ最後は話が逸れてしまったが、初日からアメージングオマーンを満喫したのであった。


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