天然の泉・Ayn Razatと予言者ヨブの墓

漁村タカの見所を周った後、西にあるイエメン国境方面へと車を走らせる。先ずは運転手が言うところの“馬鹿げた観光地”こと預言者ヨブの廟(Prophet job’s Tomb)を目指すことに。馬鹿げた観光地と運転手が言ったのは、アラーこそが唯一まことの神であり信仰の対象となるべきで、預言者へ祈りを捧げる奴らは馬鹿げてるという彼なりの考えがあるからしい。まぁこの辺りの話はあんま深く突っ込んでも車の中が変な空気になるだけだろうと判断してサラーっと聞き流したけど。

ただ、その途中にあるAyn Razatという美しい天然の泉にも立ち寄ってもらえるという話になった。


サラーラへと続く国道49号線を走り一路西へ。

広大な土地に広がるベドウィンの国営公共住宅的な集合家屋を発見。近年、遊牧範囲の縮小と人口増加からベドウィン部族の一部は伝統的遊牧生活を捨てて中東の都市部に住みつくようになったそうだ。これもう遊牧民じゃないじゃん。

でも都市部に住んでてもやっぱりオマーン人の生活全般に未だ根強く部族社会の伝統的意識や慣習が残っているので、こうして部族ごとに分かれて住んでいるそうだ。家族・親族の間の付き合いはオマーン人の生活の中で、最も重要且つ不可欠なものだし、やっぱり婚姻についても部族内の結婚が大半なんだと。まぁアラブ系はどこの部族も閉鎖的集団で外部からの侵入者に対する警戒心が強いらしいもんな。ちょっとずつ変わってはきているらしいが。

Ayn Razat

ひだり みぎ
Taqahの町から40分程で到着したAyn Razat。非常に綺麗に整備された公園で確かに美しい泉がある。サラーラ周辺に数多ある泉の中でも最大規模のもので、ここの水がサラーラの町の水源の一部にもなっているそうだ。

「どうだ?綺麗だろう。休日にもなると大勢こぞってピクニックに押し寄せるんだ」と運転手。確かに砂漠の国に住まう人にとっては泉は特別に重要な意味を持つのだろうが、日本人の私にとっては見慣れた景色である。もちろん「イエス高須クリニック、綺麗っすわ。」と答えましたが。

山肌には洞窟も形成されている。山羊やピクニックに来るインド人用の日陰スポットらしい。

ひだり みぎ
洞窟まで登ってみると、確かにインド人っぽいのが日陰で休憩してたw


洞窟からの景色。確かによく整備された公園ではあるが、日本人にとっては特別感動を覚えるような場所ではないかな。

さて、ここからはジャバルカラの山の中にある預言者ヨブの墓へ。
ヨブとは旧約聖書の『ヨブ記』の主人公で、多くの苦しみの中でも全能なる神への信仰を貫いた忍耐強き人物である。「え、ヨブってオマーン人だったの!?」て先ず驚くところ。



預言者ヨブに関する説明を聞きながら山間部の道路を西へ西へと走る。

Prophet Job Tomb

ヨブの廟に近づいたのだろう、運転手がヨブについて語りだす。「ヨブは信仰篤い男でね。財産と名誉を手にしても悪とは無縁の高潔な日々を送っていた立派な奴だったそうだ。それが理不尽にも神の数々の試練により財産を奪われ、家畜・下僕・更には子までを失い、自分自身も皮膚と骨だけのやつれきった状態となり…それでも神を信じ続けた忍耐の男なんだ。」と。

我々は知らず知らずのうちに応報思想に浸食されているというか、信心深く良い子にしてるんで、その見返りにご利益期待してまっせ的な蓋し打算的な考えに陥りがち。でも、災いも幸いも結局のところ善人悪人問わずランダムに降りかかってくるのであり、因果応報があてはまらないと思える事例は世界中に溢れている。凶悪な殺人魔が、血の涙を流し苦しみ続ける遺族を尻目に妻子と温かな家庭を築いて楽勝モードで人生を謳歌しているなんてこともあるでしょう。でもこういう場合に神様なんて居なかったねとニヒルに呟いたって何の解決にもならんのじゃよ。自分の利益を期待して神を信ずるのは、ただの利己主義。自分に利益がもたらされないヨブのような不幸な状況下に於いても神を信じることこそが世を行き抜く秘訣なんじゃ…みたいなこと?ヨブ可哀想すぎw
ひだり みぎ
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のそれぞれに登場する預言者の廟にしては非常にこじんまりとした造り。

ひだり みぎ
入り口近くには悲し気な乳木がポツリとサラーラ平原に向かって生えている。


嘆きの壁的な。


これはヨブの足跡がかたどられた聖なる石らしいんだが、40センチも50センチもありそうな勢いでイエティよりデカい。ガリバーかよ。


周りのオマーン人・インド人と共に全員裸足になって神妙な面持ちで建物に入ると、たった一つ、中央に人型のお墓があってスッポリと布に覆われていて、その周りを歩きながら皆さんお祈りを捧げてる。人々が抱くヨブの偉大さがここまで大きなお墓と足跡にさせたのだろう。


ここからは海岸線まで下ってから更に西のビーチ沿いに広がるマグセイル(Mughsail)の町へと移動する。
途中、海岸線の直ぐ手前に建設途中の大型建築物が視界に入った。無税で輸入した原料を加工して輸出できる関税フリーゾーンと呼ばれるエリアらしい。
ひだり みぎ

セメントや小麦粉の工場や発電所は既に稼働している様子だった。オマーンでは物産が発電所の建設から保守・運営までを担うプロジェクトを受注してた筈。単純な発電所建築だけでプロジェクトを終わらせずに売電契約まで結んで運営までトータルで引き受けてたので、ここら近くでも物産の日本人が活躍しているのかもしれない。


フリーゾーンを過ぎると貨物バースやコンテナターミナルが見えてきた。サラーラはヨーロッパと東アジアを結ぶ航路に面して東アフリカやインドへも近いので、世界のコンテナ船航路の重要なハブ港湾の一つとなりつつあるようだ。港湾施設の写真撮影は注意した方が良いかもしれないと運転手から忠告を受けたので港近くでの写真撮影は控えたが、確かに外国籍の小生も多く寄港しているようだった。

今から目指すマグセイルはフリーゾーンから30キロほど西にある。


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