陝西歴史博物館

碑林博物館の拝観を終え、今度はバイタクに乗って陝西歴史博物館へ。

最初、8元と言われたんだが、反射神経的に値切り交渉を試みたら凄い剣幕で怒られ、結局ドライバーの言い値で走ってもらうことに。「60過ぎの老いぼれがはした金を値切ると思うか!?何たる非礼、この小僧め。」くらいの感じの事を湯気立てながら怒鳴りつけてきた強面のベテランドライバー、そのはした金を支払った際に見せた最高のホクホク顔が脳裏に強烈に焼き付き離れない。

風を切って真冬の西安を爆走するバイタク、くっそ寒くて涙が出るのを爺の背にしがみついてぐっと我慢。

途中、歩道橋を突破したりしたんで20分くらいかかっただろうか、南大門から続く大通りを東に曲がった先に屋根の瑠璃瓦が特徴の唐代宮殿建築様式で建てられた巨大建築物が見えてきた。

「陝西歴史博物館」と”省”の字が含まれていないのは、省を越えた国立クラスの総合歴史博物館であることを示していて、面積約60,000㎡、参観ルートの全長1,500メートルという中国でも最大級の歴史博物館となっている。

メインビルディングに入ると、いきなりブルドックみたいな顔した巨大な獅子像がお出迎えしてくれる。則天武后の母・楊氏の墓の前に守護像として置かれていた高さ3.1メートル・重量20トンの石像レプリカだそうで、銀行の前に置かれた獅子とは比べ物にならない程の威圧感で訪問客を睨みつけている。

華夏文明が誕生した地であり、その後も中国の歴史上最も隆盛を極めた秦・漢・唐など実に十三もの王朝が都として定めてきた歴史豊かな陝西省。こちらの博物館では、先史時代から周・秦・漢・唐を経て明の時代に至るまでの文物がメインで展示されていて、中国の五千年の歴史を一度に巡ることができる。


さぁ中国の古代文明を紐解くツアーの幕開けだ。ここから順路どおりにまわると時代順にみることができる分り易いレイアウトになっている。

古代といってもどの程度まで歴史を遡るのだろうと思ったら、まさかの原人からのスタートw。中国5,000年の歴史どころの話じゃありませんwww

1963~64年に発見された100万年も前の化石人類である藍田原人の復元頭像で、30歳前後の女性のものらしい。藍田原人は子孫を残さずに絶滅したホモ・エレクトスであり、厳密には現代を生きる我々人類の祖先ではないらしいんだが、こういう野性味あふれる顔の人って今日にも残ってますよね。ブッフォンとか。


普通にゴールマウス守ってそう。


こちらは陝西省北部で見つかった考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝である商代晩期の酒汲み道具。柄の先が羊の頭の形をし、柄の上には口を開けとびかかる様な姿勢の虎と耳を立て懸命に逃げるような格好の子羊が鋳造されていて、弱肉強食の世の習わしを表現しているようである。

ひだり みぎ
ひだり みぎ
続く周の時代には青銅器の鋳造技術が発達。容器は単なる酒器や食器ではなく宗教的儀礼のための祭器として扱われていたようだ。奇妙な人面具なんかも出土していて、当時の人々は宗教的な生活を送っていたことが推察される。


こちらは秦王朝時代の石鼓。発掘サイトからは全部で10の石鼓が見つかっていて、秦王室の狩猟活動に関する約700の詩が表面に刻まれていたが、現在では272文字しか残っていないようだ。それでも、中国の最初の石刻文字として漢字の遍歴を研究するための貴重な資料である。


出たー。西安といえばやはり兵馬俑。


こちらは秦丘陵の二号墓で発見された緑色の顔した彩絵跪射俑。唯一緑色をしている彼であるが、生気いっぱいの表情は凶悪なものではないので、顔料が足りなくなり止むを得ずこの色になったのではと専門家の間で推測されているそうだw
古代中国人「あっ、ヤバっ。ここ塗料足りねーよ。まぁ残った緑色で塗っときゃいいっしょwww」


秦始皇帝陵の7号墓からは前屈姿勢の陶製の人形が見つかっている。両足を前に伸ばして座り、右手の掌は下を向き軽く握り拳を作っているようだが、その表情と態度は落ち着いているように見受けられる。彼は一体どういった人物なのか、残念ながら人形の身分は明かされていないようだ。紀元前に栄えた秦朝の方なんだけど、重要プロジェクトに失敗でもしたのか痛く落胆する負け組の文官のようで、どこか親近感を感じずにいられない。

一階は秦の時代までの展示物で、二階は漢と唐の残した文化遺産の紹介になる。漢の時代になると経済面・文化面の水準がグッと向上していくことにり、漢王朝は当時の世界における最強の国家として中国歴史上の黄金時代に突入していくことになる。

非常に保存状態の良い円形瓦当。表面に文字が施されているが、西漢時代のは文字は3種類の内容に分けられるようで、建築物の名称や「長生無極」「富貴」といった縁起モノ、「漢併天下」のような何かをの記念した文字が残されている。建築材料としてでなく、統治者の業績と思想を発揚する宣伝品としての側面が強かったようだ。


漢の陶製人形は人仏像と衣服が一体で作られる塑衣式陶俑と、本物の絹や麻といった服飾品を身につけた着衣式陶俑の二種類に分けられる。裸になってしまっているのは、着衣式の陶俑の装飾品が朽ち果ててしまった為。

ひだり みぎ
肩の切断面の中に一個の窪みがある。どうやらその穴に木の腕をはめ込んだ可動式の腕を持つ人形も存在したようだ。


純度95%、直径5.6-6.5cm程の「金餅」。3表面には黄・張・馬・吉・貝などの苗字のスタンプがある。一般的に流通していた貨幣とは異なり、帝王の恩賞・贈答品もしくは多額の取引に用いられていたらしい。他にも金メッキが施された香炉なんかも展示されているし、流石に世界の漢だけあって展示品のグレードが一気に高まってきた。

時代は経て南北朝時代へ。
ひだり みぎ
立地条件的に陝西省には南北朝時代の南方・北方の両方の文化的特徴を示す文物が発見されていて、それらの特徴を兵馬俑の姿にも見ることができる。北朝の武士の容貌は冷ややかで豪快、体格がゴツくて力強いのに対し、南朝の土偶は典型的な漢族人の容貌で、繊細で精巧。ということで、上の写真の武官は北朝の物であるとされている。

ひだり みぎ
シルクロード交易が活性化する中で大活躍した駱駝。ヒトコブラクダとフタコブラクダの二種類あるが、彫塑作品の中で高くて大きいフタコブラクダが多く、体が小さく足が細いヒトコブラクダはやや少ないようだ。


これはやりすぎwラクダさんめっちゃ悲鳴を上げちゃってますやん。

戦乱が終わり隋唐時代に入ると中国は最盛期を迎え、長安城は世界で最も賑やかな国際的大都市として空前の大発展を遂げることになる。

ひだり みぎ
農畜産業も非常なる発達を見せ、政府の飼う馬だけでも70万頭にも及んだそうだ。必然的に馬が動物の中でも最も多く芸術化され、いきいきと表現された多くの馬の唐三彩が遺されている。


こいつは独角獣とあるからユニコーンのことだろうか。鎮墓獣は春秋時代から宋元までの古墳の中にある魔除けで、墓室に通じる道に置かれていたそうだ。言い伝えによると、その角が不正に法律を執行する人を突くことから、司法の公正を象徴する者ともされているそうだ。


こ、これは…。

ひだり みぎ

3千体近く出土した彩絵俑。騎兵が583人、歩兵が1965人、指揮車が1台という構成らしく、騎兵と歩兵はそろぞれ異なった穴に置かれていたので、当時の騎兵は既に独立した兵種として存在していたとされる。漢武帝はこれらの騎兵を頼りに匈奴に打ち勝った。世界史の歴史の舞台で農耕民族が初めて大規模に遊牧民族を打ち負かしたという偉業である。

ひだり みぎ
なんと、唐代の社会では女装が流行ファッションで、一部の王族や貴族の女性も男装姿が公の場に現れたそうだ。普通に女の像ってことで良いんじゃないのかとも思うのだが、女装ブームに纏わる石碑でも出てきたのかな。

半裸で拳を握りしめ、怒ったような目を丸くして何かの戦いを待っているような厳めしい男たちは金時代の相撲レスラーなんだと。

こちらの博物館の説明に拠ると、相撲の歴史は西周にまで遡ることができるのだと。当時では体を鍛える為の一種のスポーツで、唐の時代に相撲がスポーツ競技となり相撲と呼ばれ始め、日本書紀によると相撲は奈良時代に日本に伝わったとされている…らしい。自分の知識とは異なる相撲の歴史である。

いやー、実に面白い。陝西省を中心とした中国の歴史をサクッと学ぶに適した場所である。昨日の碑林博物館が玄人・マニア向けだったのに対し、こちらの博物館は高校世界史レベルの知識で十分に楽しめますので、西安観光前のレビューにでもサクッとお立ち寄りしてみては如何でしょう。

陝西歴史博物館

所在地 : 西安市南郊小寨東路91号
開館時間 : 8:30~17:30(冬季9:00~16:30)
電話:029-85254757


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