カムペーンペット遺跡公園のトリを飾るのはスコータイ朝後期に建てられた仏教寺院ワット・プラ・ノーン(タイ語で涅槃仏寺の意味)。こんなネーミンなんだから、きっと涅槃仏が祀られているのだろう。
立ってたり、座ってたり、寝てたり、歩いてたりと仏像には様々な姿態があるが、中でも涅槃仏は私のお気に入り。なんだろうな、優雅に横たわる涅槃仏の御姿を想像するだけで居てもたっても居られないような気持ちに駆り立てられてしまうのだ。右脇を下に横臥されているのだろうか、それともまさかの仰向けであろうか…。そんな他愛ないことに思いを馳せるだけで楽しみになってくる。
そんな涅槃仏寺を正面東側入口から眺めてみると、背の高い樹木に覆われた中にひっそりと残る基壇が見える。何やら木々に混じってラテライトの柱も乱立しているようで、なんかランボーが立て籠もってそうな独特の雰囲気を醸しだしている。
ラテライトのブロックを八角柱に積み上げた後で漆喰を塗って造られた武骨な感じの列柱が並ぶ。他の寺院と比べて骨太で迫力がある。
石柱の林立する広間跡の中に入り彼方此方を探し回ってみるものの、右も左もブロックの残骸だらけで、肝心の涅槃仏を思わせるような遺仏は何処にも見当たらない。
本堂跡の奥にはクメール建築のようにスリットを設けた壁が見える。壁面のスリットから中を覗き込むと大広間らしき空間が広がっているのが見えるので、どうやらここがかつて涅槃仏が安置されていた礼拝堂であるようだ。
御堂内部には直径1メートルはあろうかという周囲の木より遥かに太い柱が残っている。柱の上部には梁を組み込んだ臍穴や凹みなんかも確認できるが、一体どのような建築物だったのだろうか。
しかしながら、やはり涅槃仏の御姿は見ることができない。全くもって涅槃仏の原型を留めてないが、壁に面して残るブロックの山がもしかして…。無造作に積まれたブロックの残骸でしかないのだが、他に涅槃仏の跡と思えるようなものもないし、残念ながら仏像は何世紀も経てブロックの残骸に成り果ててしまったのだろう。
御堂の奥には八角形の基壇が積み重ねられた上に釣鐘部がのっかる重厚なチェディーが聳え立つ。
うーん…。ガイドブックに載っているのと、涅槃寺という名前に期待してしまうと肩透かしを食らうだろう。涅槃寺なのに肝心の涅槃仏が不在で、焼肉屋に来て肉が無かったというか店主不在で肉が食えず仕舞いに終わったというか…。ちょっと消化不良で終わってしまった。
【2016年スコータイ・ピサヌローク旅行記】
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