ベトナムの象徴であるホーチミン廟と一柱寺

世界旅行は3の法則で支配されていると世界旅行者は考え続けてきた。

世界三大河川といえば当然アマゾン、ナイル、ミシシッピ
世界三大仏教遺跡はアンコール・ワット、ボロブドゥール、バガン
世界三大がっかりはマーライオン、人魚姫の像、小便小僧

そして、「世界三大保存遺体」というのがある。
それが、毛沢東紀念館の毛沢東、レーニン廟のレーニン、そして栄えある3つ目がホーチミン廟のホーチミンだ。

ということは、ベトナムへ来たら、ホーチミン廟へいかなければならない。ベターではなくマストである。
しかし、注意しておきたいが、ホーチミン廟はホーチミン市に行っても拝むことはできない。南部のホーチミンシティは、もともとはサイゴンという名前で、ベトナム南北統一が果たされた時に、ホーおじさんを記念してホーチミン市という名前になっただけで、ホーおじさんのご遺体はそこにはない。紛らわしいがホーおじさんはハノイで眠っているわけだ。

軍事歴史博物館からディエンビエンフー通りを歩くこと10分くらいだろうか、ベトナム共産党の本部、国会議事堂、外務省などが集積するハノイの官庁街に突如として現れた、だだっ広いながらもよく整備された広場に出た。
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ひだり みぎ
これが1945年9月2日にホーおじさんが、ベトナム独立宣言を読み上げたバーディン広場だ。誇らしげに巨大なベトナム国旗が翻っている。

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広場の奥にある総大理石造りの建物がベトナム国家の威信をかけて建造した噂のホーチミン廟だ。米テレビ局傘下のウェブサイトが選ぶ『世界で最も醜い建物・トップ10』の栄えある第6位にランクインしているホーチミン廟、ここに防腐処理を施されたホーおじさんの御遺体が眠っている。44年も前に亡くなった人間の遺体が、今もまるで亡くなった直後のような状態で保存され続けて人びとの目に晒され続けるというのは、ちょっと考えると気持ちが悪い。しかもホーおじさん本人は生前、自分の遺体が保存されることを強く拒んだというではないか。世界三大保存ご遺体である毛さんやレーニンさんなど、共産主義の偉人というのは死んだ後も政治的な理由で神聖化される必要が有りシンボルとして利用されてしまう宿命にあるんでしょうが、やっぱり何だか違和感がある。

以下、ホーおじさんの遺書の抜粋を挙げる。
「戦時中に負傷兵となった者、殉職した者の父母や妻子で困っている者に生計の道を立てられるようにして、彼らが飢えたり、凍えるままに放置してはならぬ。戦争に勝ったら農業税を1年間免除すること。私の遺体は火葬にし、遺灰を3つに分けて、北部、中部、南部の人たちの為にそれぞれの地域の丘陵に埋めてほしい。丘陵には石碑、銅像などは建てず、訪れた人たちが休むことができるよう、簡潔で、広く、堅固で、涼しい建物を建て、丘陵の上には記念に植樹ができるようにしてもらいたい。月日が経てば、森林となり、景観もも良くなり農業にも役立つだろう。管理は古老たちに委ねてほしい。」
極度の物資不足で貧困に窮しながらもあらゆる犠牲に耐え続け抗戦するベトナム国民を残してこの世を去ることに対する無念の気持ちを表す一方で、自らの偶像化には否定的な思いを表していたのです。

そもそも遺体に恒久的保存を目的とした防腐処理を施すようになったのは、ソ連を率いたレーニンが最初らしい。1924年、ロシア革命を成功させた国家的英雄・レーニンが死去された際、後継者であったスターリンは彼の遺体を保存して霊廟に安置することを決定する。そこにはレーニンの偉業を称えるという表向きの理由と、レーニンの遺体というシンボルを借りることで国民の党に対する忠誠心を確かなものにしたいという政治的な思惑があった。ロシア民衆の聖遺物を崇拝する伝統を利用したのだ。それから、世界各地の社会主義国の指導者が死ぬと、その遺体をソ連の技術によって防腐処理し、霊廟に保存することが慣習化していった。モンゴルのチョイバルサン、チェコスロバキアのゴットワルト、アンゴラのネト、北朝鮮の金日成。1953年には、発案者スターリン自身も防腐薬液の中に身を浸されることになった。そして、1969年にはベトナム戦争の最中に亡くなったホーチミンも、ソ連から派遣された遺体保存チームによって防腐処理が施された。兵士達の士気を高め、戦争を戦い抜くために、ベトナムの精神的支柱であったホーおじさんは死後も生き続けることを強要されたのだ。ベトナム戦争が終わった後も、ホーおじさんの生前の願いとは裏腹に、埋葬されることはなかった。15年にも及んだ本土戦がベトナムに残した傷は、あまりにも深かった。300万という夥しい数の人間が犠牲になり、緑豊かな国土は爆撃で焼かれた。ベトナム人は自分達の手で何とか立ち直らなくてはいけなかった。その為にはホーチミンというシンボルが必要だったのだ。

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中に入れるのは月金を除いた午前中の08:00~11:00のみとのことで今日は内部には入ることができなかった。流石に警備も厳重で、入り口横に立つ衛兵は厳めしい顔して微動だにしないので、服を着たカカシだかマネキンかとも思ったが、うっすらと地面に描かれた白線から私が廟側に一歩でも踏み入れようものなら汽笛を発した上で慌てて近づいてきて『Go Far!』とか言ってくる。で、云い終わったら慌ただしく所定の位置まで戻り、また不動の体勢を取る。凄い。ロボットのようだ。でもそんなに厳重にするなら線を濃く描いたり『白線の内側までお下がりください』的な看板を立てかけとくべきだろう。急に注意されてビビったわ!

今回は入れなかったが、廟内の警備もしっかりしているようで、ドレスコード有り、セキュリティーチェック有り、手荷物は持ち込み禁止、私語厳禁、立ち止まり厳禁とのことで、見学者は皆さん無言で粛々と順路を歩いていくそうで、遺体の前でも立ち止まることはできず、列をなして通り過ぎなくてはならないそうだ。列を乱したり声を出したりすると武装した守衛によって警告されるので要注意。国父が眠るホーチミン廟は神聖な場所であり、ホーチミンの前で、不敬は許されないのである。

続いて、廟の北側に隣接した『ホーチミンの家』を見学。ほーおじさんはこちらに1954年からお亡くなりになられる1969年までの激動の15年間をこちらで過ごしたそうです。
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ハウス54と呼ばれる住宅。、ホーおじさんが実際に住んでいた住居兼執務室で、1954年から1958年までこの建物で暮らしました。当時は迎賓館だった大統領府に住むのを断り、職員の住居であったこの場所を選んで住み始めたそうです。

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湖畔に面した竹林の中にある1958年に建てられた木造高床式住居。決して華美ではないが、素朴で庶民的だった故人の飾らない質実な人柄を偲ばせます。実際、日常生活も実に簡素だったそうだ。食堂ではいつもみんな一緒でセルフサービス、下着も自分で洗うほどに自分のことは自分でやるおじさんだったそうだ。書斎や寝室に展示されている日用品や調度品も当時のベトナムの最高権力者の物とは思えないほど質素そのもの。志の高さはこういったストイックな生活の中で育まれたのだろう。初心忘れるべからず。偉くなって権力に溺れてしまう現代の政治家にも見習って頂きたい。

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ホーチミンの家の手前にあるこのクリーム色の立派な洋館は大統領府だそうだ。

ホーチミンの家の見学を終え、人の流れに沿って歩いて行くと、四角い蓮池の中に一本の柱が立っていて、その上に建つ一風変わった小さな仏堂が見えた。
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その寺の名を一柱寺と言い、その池を霊沼池と言うそうだ。ハノイの地がまだ昇龍(タンロン)と呼ばれていた11世紀、なかなか子宝に恵まれなかった李朝の第二代皇帝・李太宗(在位:1028~1054)が子供を抱いた観音菩薩様が蓮の上に座して手招きしている姿を夢に見たとのことで、その夢を実現する為にお堂が建立されたのが始まりだそうです。なので、咲き誇る蓮の花をイメージして造られたそうだ。
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狭い階段を20段ほど登ったさきにある3㎡程度の御堂には蓮花台と書かれた扁額が架けられ、その手前には八本手の黄金色に輝く観音像が安置されています。近くのお詣り場所では多くのベトナム人が三々五々お祈りをしていました。御利益は子宝だそうです。

続いて一柱寺横にある近現代的な建物へと足を運ぶ。
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こちらはホーおじさんの偉大な業績に対する栄誉を讃え、1990年5月19日のホーチミン生誕100年記念に落成されたホーチミン博物館。ホーチミンの生家が蓮の咲く村にあったことと、蓮がホーチミンの高潔な人格を象徴することから、こちらも蓮の花をデザインした建物になっています。


人民服をまとい、サンダル履き、右手を上げて呼びかけるような姿のホーチミン像。天井には蓮の花束の照明に照らされています。内部はホーチミンが生きた時代のベトナム国内の人々の暮らしや戦争などのシーンを再現する国内セクション、ホーチミンが率いた独立運動に関する文書や書簡、新聞、写真などが展示されるホーチミンの歩みセクション、ベトナムの独立に影響を与えた世界の出来事を抽象的なアートで表現する世界セクションに分けられています。

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ピカソの絵「ゲルニカ」のオブジェなど、展示内容は非常に個性的なのですが、「この展示って必要なの?」という所も見受けられ、施設を通じて何を伝えたいかの焦点が、はっきり定まっていない様にも感じられました。

彼のもっとも有名な演説は、亡くなる3年前、米国が北ベトナムに爆撃を開始したときのものです。「戦争は10年20年、あるいはそれ以上長く続くかもしれません。ハノイ、ハイフォン、その他の都市や企業も破壊されるでしょう。しかしベトナム人は断じて恐れません。独立と自由ほど尊いものはないのです。勝利の日が来たら、我が人民は我が国土をもっと素晴らしいものにするでしょう。(中略)ベトナム人民は必ず勝利します。」勝利を見ずに亡くなったホーチミンですが、その言葉は語り継がれ、死後もなお人々の心の中に生き続けています。ベトナムの祭日である建国記念日の9月2日には、朝から参拝する人の長蛇の列ができ、ホーチミン廟の前にある香炉には無数の線香が立てられています。

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