中世セルビア王国の修道院と要塞巡り

セルビア2日目は、セルビア中南部に点在する中世セルビア王国時代に建てられた修道院と要塞都市を見て回りたいと思います。

主なターゲットはジチャ修道院・マグリッチ城・ストゥデニツァ修道院。クラリェヴォという町を起点にバスとヒッチハイクで回ることもできるみたいですが、今回は移動効率を重視しベオグラードからプライベートツアーに参加することにしました。

この3か所を1日で回るツアーは意外と少なくて、あったとしても現地の旅行会社に頼むと料金は2-3万円と高め。それが半値近い価格を出してる中国系旅行会社(Strange World 無価之旅)を発見してしまいまして。番茄大叔(トマトおじさん)という創業者の方に微信で問い合わせてみたら即レスが来たし信用できそうな感じったので、この会社にお願いをすることにしました。

当日は6時発。親の仕事でセルビアに引っ越してきたという20代の中国人ドライバーがホテルまで迎えにきてくれて、ベオグラードから200km弱ほど南にある山岳地帯に向け走り出しました。

走り出してすぐ、今日は雪も降って天気が悪いので…と切り出す彼。
安全運転で行きますねと続くのかなと思ったら、ベオグラードに戻れなくなると困るので飛ばしていきますねとまさかの安全意識ゼロ宣言w 一体どうなることやら…

中国系企業が建てた高速道路を中華ポップスを聴きながら中国人ドライバーの運転でひたすら南下。ドライバー曰くセルビアには華人が少なくとも1万人以上いて、近年インフラ関係の仕事で更に大量の中国人が中欧に流入してきているのだそう。

最近では中国人警察までセルビアでパトロール業務にあたっているとか。表向きは観光客や華人の海外における利益の保護ということで流石に逮捕権とかはないみたいですが、実際は華人や海外に逃げてる不満分子を取り締まる目的で色々と闇が深いらしい。
インフラ開発なんかもバンバンやっててセルビア企業や行政を負債漬けにしてるみたいだし、気づいたら中国領セルビア民族自治区になってそうで怖い。

道中で見かける建機ももちろんほとんどが中国製。セルビアは歴史的に超アンチアメリカ・NATOだろうし、ファシストなロシアも内心毛嫌いしてるだろうし、こういう隙を突いて中国がしたたかに入ってきたんすね。とにかく中国の会社や中国人観光客が多いですし、なんでセルビアで中国人による中国人の為の秘境ツアーが催行されてるのかよく分かりました。

そんなこんなでセルビアでの生活話などを聞きながら2時間ほど雪の中を爆走。途中、橋が壊れてて先に進めないトラブルに見舞われたりするものの、ホテルを出て3時間ほどで最初の目的地に到着しました。

ジチャ修道院(Zica Monastery

ジチャ修道院は1206年に建設されたセルビア正教会の修道院。初代セルビア国王のステファン・ネマニッチと、その弟でありセルビア教会の初代教主聖サヴァによって建てられました。1217年にはステファン王の戴冠式も行われたセルビア民族の聖地的な存在です。

セルビア人は7世紀初め頃にバルカン西部に南下し、9世紀後半にはビザンツ帝国の影響下で正教会を受け入れ始めたそうです。1171年にはビザンツ帝国の衰退に乗じて、セルビア人レジェンドのステファン・ネマニャが“自称”国王として即位。
この時点ではあくまで自称国王でしたが、二代目ステファン・ネマニッチが1217年にローマ教皇から王冠を授与されたことでセルビア王国が国際的にも認められることとなりました。

こうして実質的なセルビア王国の建国者として歴史に名を残したステファン・ネマニャですが、その弟であるステファン・ラストコもセルビア史を代表する偉人です。彼は若くして世俗を捨てて東方教会の聖地ギリシャのアトス山で出家、修道僧サヴァとしてセルビア正教会の発展に人生を捧げた人物で、今なおセルビア民族の聖人として崇め奉られています。

ジチャ修道院の公式ホームページにアップされてた聖サヴァのイコン。まんまキリストやんけ!

そんな由緒正しきジチャ聖堂は見た目からして特徴的で、壁が王家の象徴である赤で塗られています。赤は犠牲を表す色でもあり、王は神により地上の権限を託され、民のために国を正しく治めねばならぬという建国当時の思想が反映されているそうです。

歴史の荒波の中で17回破壊され、その度に復興してきたジチャ聖堂と修道院。セルビアの文化的象徴であり、未だにセルビア民族の心の拠り所とされているだけあって非常に厳かな雰囲気でした。

マグリッチ城塞(Maglic Fort)

ジチャの見学を終え、続いてはマグリッチ城塞を探検しに行きます。

クラリェヴォの町を過ぎたあたりから、いよいよ本格的に雪深くなってきましたが、ドライバーはお構いなしに大爆走。スピードを緩める気は一切ないようですw

ジチャから1時間ほど走ったでしょうか。小高い丘の頂上にマグリッチの遺跡が姿を現しました。この城塞都市はジチャ修道院と同じく13世紀頃に建てられたと考えられているようですが、誰が何のために建てたものなのか分かっていないそうです。

くっそ寒くて心が折れそうになりますが、せっかくなので丘の頂上までのハイキングを楽しんできたいと思います。

橋とか思いっきり傾いてるし、この先に入っていって良いのかすら疑わしいw

30分ほど上るとこの絶景。思えば遠くに来たもんだ。

人も住み着かない荒れた渓谷の中に埋もれるように打ち捨てられた13世紀の城塞都市。セルビアで最も保存状態が良い中世の城塞都市とされていますが、管理もされていない手付かずの廃墟のために入場無料っす。

城の敷地は長さが約100メートルで、幅は最大で40メートル。厚さ2メートルの城壁に7つの塔が設けられていて、城館や兵舎と思しき遺構も確認できる。聖なるジチャ修道院やストゥデニツァ修道院を保護する為に建てられたとか、トルコやモンゴルからの侵略に備えるために建てられたとか、由来に関しては諸説あるものの、どれも決定的な裏付けを得られておらず謎に包まれた状態なのだと。

城の中には説明書きなどは一切なく知識を得られるようなことは何もありませんが、却って色々と想像に興じることができるので、妄想族にとっては中世ロマンに浸りながら楽しめる素敵な場所だと思います。

マグリッチ城塞での見学を終え、ここから最後の目的地を目指して更に山の奥へと入っていきます。

ストゥデニツァ修道院(Studenica Monastery)

本日最後の目的地はストゥデニツァ修道院。ここは自称国王としてネマニッチ王朝を建国したステファン・ネマニャが1190年に創設した修道院。数あるセルビアの修道院の中でも最大規模かつ最重要であることが認められ、1986年には世界遺産にも登録されています。

聖サヴァとなった三男を子に持つステファン・ネマニャさんですが、彼自身も正教会に対する信仰心が厚かったそうで、1196年には王位から退き妻と共に出家。一介の修道士シメオンと名乗りここストゥデニツァ修道院で修行した後、ギリシアの聖山であるアトス山に移って聖サヴァと共に修道院の建設にあたり、同地で1199年に亡くなられました。

幽玄なる白銀の山岳地帯にひっそりと威厳をもって佇む修道院。中世セルビア王国の世界にタイムスリップしてきたかのような雰囲気です。

教会内の壁は美しいフレスコ画でびっしりと埋め尽くされています。天災や民族抗争に見舞われながらも約800年に渡って守られ続け、今も当時の美しい芸術作品が楽しめるというのは奇跡的なことです。
地下聖堂にはアトス山から運ばれてきたステファン王の御遺体が安置されているということもあって、絶対に物音を立てられないくらいの非常に非情に厳粛な空気が張りつめていました。

正教会はセルビア人にとって単なる宗教ではなく、国家の歴史と民族意識を象徴するものだという意味が少しだけ分かった気がします。

ということでセルビア中南部の見所巡りツアーはここで終了。見所3か所回って夜9時前には無事にベオグラードのホテルに戻ることができました。

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