ラストエンペラーの舞台 偽満州国皇宮博物館

満州国の理想郷として緻密な都市計画に基づき建設された長春の町。
歴史が浅いこともあって観光的にはイマイチぱっとしない町なんですが、そんな長春にあって唯一といっていいくらいの観光地が偽満州国皇宮博物館。

皇宮ということで溥儀さんが旧満州国皇帝として執政していた宮廷府なんですが、宮廷内の建築群が一般開放されているだけでなく、中国共産党目線で溥儀の生涯が解説された博物館も併設されています。

2歳10ヶ月で皇帝に即位し、革命で退位させられたと思ったら今度は新興国家の皇帝に担ぎあげられ、皇帝の座に返り咲いたと思ったら国家滅亡でソ連に抑留され、更には戦犯として中国で思想教育を受けさせられ、最後は平民としてひっそりと人生の幕を閉じるという。
激動の時代に激動のアジアで超絶ハードモードの人生をプレーされた溥儀さんですからね。博物館もネタには困らないはずです。

ということで偽満州国皇宮博物館へ。
偽というのは、中国共産党が正式な国家として認めていないから。中国では満州のことは偽満州とか偽満とか呼ばれています。

案内には若干怪レいクオいティながらも日本語が併記されており、中国語が分からなくても一安心。“ビジターセノター”で入場券を購入します。

同徳殿

色々と建物がある中で最も目を引くのが黄瑠璃覆頂の同徳殿。陰陽五行で中心の色であり皇帝の色とされる黄色の屋根瓦が特徴的で、まさに皇宮といった威厳ある造りとなっています。

同徳殿のエントランスを入ると、映画ラストエンペラーのロケにも使われた豪華絢爛な大広間が目の前に。純金が用いられ1つ1トンにも及ぶ豪華なシャンデリアが4つも垂れ下がっていていきなり度肝を抜かれます。

寝るための部屋だったり、映画を見るための部屋だったり、ピアノを弾くための部屋だったり。〇〇の間と名付けられた部屋が沢山。

「溥儀がここで宮廷の中の学生とビリヤードをやって時間を潰し、やる度に学生たちがわざと負けを認め、溥儀の機嫌を取るようにした」
ビリヤード好き溥儀さん。連戦連勝で得意気になるも、相手の学生による接待プレーのお陰で勝ってただけだったということまでバラされてしまうw そんな小物臭たっぷりの裸の王様エピソードを暴露しなくても…w

こちらは皇后の婉容の寝室として設けられた部屋。正室である婉容ではなく第四夫人の李玉琴に使わせていたそうで、“各時代の礼儀から見て不可能だ”との説明書きが添えられています。
だいたいこういった説明書きって中立的・客観的な立場からファクトのみが書かれることが多いと思うのですが、ここでは微妙に溥儀をディスりたい思惑が隠しきれてなくてジワりますw

貴重な書籍や書画などの所蔵品も多数。これらも溥儀が紫禁城から「盗み出した」と解説されていました。
皇帝だった溥儀にしてみれば家から本を持って出たくらいの感覚で盗んだ意識は全くないわけでw でもここを偽の皇宮と呼び、溥儀を偽の皇帝とする中国共産党の立場からすると国宝を盗んだという解釈になるのでしょう。中国共産党の死体蹴り感が半端ありません。

皇帝から公民へ

ドストレートなタイトルの展示コーナー。こちらでは、溥儀の一生涯が毒っ気たっぷりで解説されています。

愛新覚羅溥儀は中国における封建時代の末代の皇帝であり、清王朝の最後の皇帝でもある。
彼は清王朝の最後の皇帝、復辟皇帝、更に傀儡皇帝として3度も皇帝に即位したが、3度とも退位し、その一生の中で、中国近代社会の変動期を体験した。5回も結婚し、また囚人ともなり、最後は公民になった。特に偽満州国の皇帝であった時、日本の関東軍に操られ、民族の権益を売り渡し、数千にも上る反動的法令を広布し、日本軍国主義者と仲間になり、東北地方で血なまぐさい植民地支配を行って、東北地方の人民に深刻な災難をもたらし、民族の罪人になった。

中国政府と中国共産党は、この民族を裏切った犯罪人を、死刑にせず、罪悪を悔いて行いを新たにし、身も心もすっかり入れ替えるように改造し、処罰と寛容、労働改造と思想教育とを結合する政策を取った。そのため、その生涯の後半は国家と人民に役立つものとなった。
これは今までの世界史にない唯一の実例である。周恩来前総理は、「われわれは末代の皇帝を良い人に改造した。これは世界的奇跡だ」と評価している。
愛新覚羅溥儀の生涯に近づき、その風麗にさらされた人生をしることは、現代の私たちにとって、得難い教訓を得て、大いに啓発されるところである。

要約:
東北地方の主権を売り渡し、関東軍の操り人形となって民族を裏切り貶めた重罪者。戦後の共産党による慈悲深き再教育を通じて善良な一小市民としての人生を取り戻した。共産党万歳、と。

良い人に改造…展示内容の説明にちょっとしたディスりモードは感じてましたが、ここで一気にアクセルベタ踏みの全力批判モードに切り替えてきました。

1908年、3歳で清王朝第十代の皇帝として即位。1911年の辛亥革命で清王朝は転覆したが、清室優待条件により変わらず紫禁城内での帝王生活を送っていた。そして帝師たちの教育と宮内環境の影響のもとで、溥儀が次第に頑固な封建帝王思想の持ち主となった。

“関東軍の操り人形”。オブラートに包む気一切なしの容赦ない解説ばかりが続きます。

最後は公民として良い人に改造され、一市民としてその数奇な人生に幕を下ろしたよ、と。

共産党の成果を強調する為にフルボッコにされる溥儀。波乱万丈の人生を終えてもなお政治の道具とされててほんと不憫っす。
多少は不備も関東軍も厳しいこと書かれるんだろうなーって予想はしていましたが…常に予想の右斜め上を行ってくれる中国さんに改めて脱帽です。

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