リスボンから日帰りでシントラとロカ岬へ2 シントラ王宮

ダンジョン感たっぷりだったレガレイラ宮殿での冒険を終え、お次は山の向こうに見える王宮を目指して山道を歩いていきます。


でもあれ、本当に王宮で間違いないかな?なんか老朽化した地方のアパート感あるけど…。レガレイラ宮殿から一緒に歩いたイギリス人夫妻なんかは、王宮はショボそうなのでスルーしてムーアの城壁までハイキングを楽しむと言っていたくらいだし。そう、王宮なのにどうもパットしないというか、シントラの観光スポットの中でも人気の序列でいうと再開なんですよね。
ペーナ宮殿≧ムーアの城壁>レガレイラ宮殿>王宮といった感じの扱いになっていて、シントラを訪れる旅人には軽視されがちというか。王宮なのに。


山道の途中でイギリス人夫妻と分かれて直ぐに視界が開け、広場の正面に真っ白な外壁と2本の円錐型の塔が特徴的な王宮が見えてきた。アパートとまでは言わないにせよ、ヨーロッパの宮殿にしては、確かに意外と地味というか質素な外観でした。

では、王宮王宮と言ってるけど、一体どの王朝時代に建てられたものなのか。
その歴史は古く、元々はイベリア半島を支配していたイスラム勢力のムーア人支配者が住居として建てたものらしい。それを12世紀にポルトガル王アフォンソ1世がイスラム勢力を駆逐した際に収用。13世紀にはディニス王が居城として整備、その後ジョアン1世やマヌエル1世が増改築を繰り返していったという歴史があるんですと。

歴代の王族がそれぞれの趣向に応じてアレンジを繰り返してきたため、イスラムのムーア様式をベースにゴシック、ルネッサンス、マヌエルといった様々な建築様式がごっちゃになった特徴ある建物になったのだと。

入場料は10ユーロ。早速中に入ってみましょう。部屋ごとにそれぞれ独自の世界観が表現されているみたいですよ。

白鳥の間:
ひだり みぎ
先ずはポルトガル王国アヴィス王朝の創始者であり、“大王”ことジョアン一世(在位:1385年 – 1433年)の時代に作られたという白鳥の間。宮廷舞踏会場として使用された大広間で、天井には首に王冠を付けた27羽の白鳥が描かれています。なぜに白鳥?それにはきっとジョアン一世なりの深い訳があったのでしょう。

あと、どうでも良いですが、ヨーロッパ特有の〇〇王という二つ名はポルトガル国王にもあったんですね。
ジョゼ1世=改革王、アフォンソ4世=勇敢王、ルイス1世=民衆王とか、王の成し遂げた偉業に相応しい威厳たっぷりの愛称が並ぶ中…

アフォンソ2世=肥満王。

肥満とか、身体的特徴やんけw まぁ世の中には禿頭王と呼ばれるやつもいるくらいだから。涙拭けよアフォンソ2世。

カササギの間:

ひだり みぎ
話が逸れてしまいましたが、続いても大王時代に作られた大部屋。壁にイスラム風のタイル装飾を施されたこの部屋はカササギの間という名前で、当然、天井にはカササギが元気よく舞っています。

カササギって縁起が良い鳥ですからね。
え?違う?

鵲のくちばしにはpot bem(善意で、という意味)と書かれた紅バラがくわえられている。これには逸話があり、ある時、ジョアン1世は女官にキスしているところを王妃フィリパ・デ・レンカストレに見つけられた。王は『善意でキスしたのだ。』と弁解し、フィリパは何も言わなかったが、噂が女官たちの間で広まってしまった。王は、「おしゃべり」という意味のある鳥である鵲を部屋の装飾に用い、かつまたフィリパの実家ランカスター家の紋章である紅バラを描かせた。

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/シントラ宮殿
ちょっと意味が分かりませんが、深い訳がありましたね。クリントンもこれくらい突拍子もない謎の打ち手を講じてくれれば良かったのに。

紋章の間:

ひだり みぎ
王宮の最上部にあるひときわ派手に彩られたこちらの部屋は、“幸運王”ことマヌエル一世(在位:1495年 – 1521年)の統治時代(1495年から1521年まで)に作られた紋章の間。ドーム天井にはポルトガル王侯貴族の紋章が描かれています。

ひだり みぎ
壁にも狩猟の光景を描いたアズレージョでびっしりと装飾されていて、ポルトガルならではの芸術が詰まった空間となっています。


ポルトガル王室が誇る偉大なる国王たちにより作られた華やかな広間の数々!…だけではないんですよね。当然、中には官位にそぐわぬダメダメな性格や能力の王様もいたわけで。その最たる人がアフォンソ6世。

いや、ね。実際お会いしたわけではないんですがね。現代に残された資料などによると、どうも情緒不安定で粗暴な人間で、ヌムール公女だった妻からは「この無能で不能なヤツ」とこき下ろされた挙句、実の弟により実権を奪われて島流しに遭ってしまうという。で、ようやく本土に戻れたと思ったら妻は実弟と結婚して子供産んでるし、結局は狭い部屋の中での幽閉生活が待ってるしわという。

で、この部屋こそがアフォンソ6世が50にして亡くなるまで軟禁されていたという座敷牢。冷の中でぐるぐると歩き回っていたのであろう、絨毯が擦り切れていたりするのが生々しかった…

涙拭けよ、アフォンソ6世!なんてネタにもできないくらの悲劇的な人生ですね。無能で不能は男として同情しますよ。合掌。

【シントラ王宮】

所在地:Largo Rainha Dona Amelia, 2710-616 Sintra.
電話:+351 21 923 7300

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