タシュケントの博物館巡りでウズベキスタンを知る

かつてのシルクロードのド真ん中に位置し、世界遺産級の遺構が盛り沢山のウズベキスタン。
サマルカンド・ブハラ・ヒヴァといったシルクロードの風情たっぷりの街並みが残る名の知れた古都も多いのですが、本日は、それらの代表的観光都市を差し置いて、ソ連の都市計画に基づき築かれた無機質な町・タシュケントの観光スポットを紹介したいと思います。

人口250万人を超える大都市で、中央アジアの首都とも形容される近代的国際都市タシケント。ビジネスセンターとしての知名度こそあるものの観光資源には乏しく、基本的にはウズベキスタン各地への玄関口といった扱いで旅人の皆様にもスルーされがち。ただ、確かにシルクロードの歴史ロマンを感じられる名所や風光明媚な大自然はないのですが、首都だけあってやたらと博物館や美術館と言った類いの施設は多く、ウズベキスタンの観光地を巡る前の予習をする場所と考えればなかなか楽しめます。

ガイドブックに載ってない博物館も含めればタシュケント市内の博物館は10か所ほどになるのかな。国立のごっつい博物館からローカルヒーローに纏わる個人経営的な博物館まで規模も内容も様々な博物館がある中で、今回は、その中でも特に見応えの有りそうなアミール・ティムール博物館ウズベキスタン国立博物館ウズベキスタン国立応用美術館の三か所を見て回ってきました。

アミール・ティムール博物館

ウズベキスタンを語る上で絶対に欠かせないのがティムールおじさん。町のシンボルとなる中心広場には誇らしげな顔をしたティムールさんの騎馬像が建ってるくらいですし、日本での知名度はイマイチですがウズベキスタンでは英雄中の英雄。王と長嶋抜きに読売巨人軍の歴史を語れないくらい、ウズベキスタンを語る上では絶対に欠かせない人物です。

因みにアムールとはイスラム世界での称号で、アモーレ(愛人)とは関係ありません。


こちらが町の中心に誇らし気に建てられたティムールおじさんの騎馬像。もともとはマルクスの像だったのが、ソ連崩壊からの流れでウズベキスタン共和国が独立した後にマルクス爺はお役御免、あっさりとティムールおじさんの像に挿げ替えられたそうな。ウズベキスタンの地を基盤にユーラシア大陸の東西南千里にも渡る大帝国を築き上げた英傑ですから、ティムールおじさんこそが国家理念の普及を図るウズベク政府にとっては適任者だったのでしょう。

なんたってこのティムールおじさん、一代でこんな巨大帝国を作り上げちゃったくらいの豪傑ですからね。

作戦はガンガンいけいけ!没落貴族の子孫という身から成りあがったティムールはチンギスハンの築いた世界帝国の再現を夢見て外征を繰り返し、西は黒海から東はインダス川、北はアラル海に到るまでの大部分を支配下に置いちゃいました。一代、それも西暦1370年~1402年の僅か30年の間にです。歴代支配地面積ランキング個人の部では、チンギスハン・アレクサンドロス大王に次ぐ銅メダルクラス。ウズベキスタンの象徴として担ぎ上げられるのも当然でしょう。現代的な難易度的には、ウズベキスタンの地方出身者が一代で年商一兆円超で全世界を股にかけるような大企業を興すくらいムリゲー。



そんなウズベキスタンを代表する偉人なもんで、像を建てるだけじゃものたりない。ティムールの生誕660周年にあたる1996年にはティムール像の直ぐ近くにアムール・ティムール博物館が建てられました。

豪華爛漫な建物だが入場料は安い。入館料と撮影料として16,000コム(≒200円)を支払い薄暗い館内へ。

薄暗い館内を照らす豪華なシャンデリアが目を引く館内。霊廟かというくらいの厳かな雰囲気の中央ホールのその周囲にドヤ顔全開のティムールファミリーの絵画が並んでて、ティムールおじさんファンには堪らない博物館になってます。


お気に入りのティムールファミリーとのツーショットが取り放題ということで、女学生に人気のようでしたw



各地で活躍するティムールを描いた数々が展示品のメイン。ティムールの出現により中央アジアのオアシス地帯の住民は被支配民族としての立場から脱却し、広大な領域を持つ大正義ティムール帝国の支配民族としての立場を獲得。広大な帝国の中心地となった今日のウズベキスタン各地には世界の富が集中し、モンゴル人支配時の廃墟が嘘のような未曾有の繁栄が齎されていったと。英雄ティムールによる獅子奮迅の活躍が大絶賛されています。


世界帝国となったティムール朝の都・サマルカンドには征服した各地から連れてきた職人や芸術家により様々な施設が建設された。「チンギスハンは破壊し、ティムールは建設した」と言われる所以である。ティムールだって略奪しまくりのキワモノだったらしいですけどね。

大部分はレプリカみたいですが、他にも鉄兜やら剣やら、ティムール朝の成立からの歴史にまつわる展示品が数多く集められています。1時間半もあれば十分に見て回れるくらいの規模感でしょうか。決して訪問必須な博物館という訳ではないかと思います。正直、ティムールおじさんに関するインプットを増やしたところで、今後の人生でどうアウトプットすれば良いのか分からんし。この博物館で得た知識なんて、5年も経てばすっかり記憶から消去されてるんじゃないでしょうかw

【アムール・ティムール博物館】

開館時間: 10:00-18:00
定休日:月曜日
入館料:6,000コム、撮影料:10,000コム

ナヴォイオペラ劇場

続いて国立歴史博物館を目指して歩いていると、一際立派な建物が視界に入った。

地上3階、地下一階建て、1,400席を備えたナヴォイオペラ劇場という現役のオペラ劇場らしい。旧ソ連時代ではモスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)、キエフのオペラハウスと並んで四大劇場の一つとされていたという立派な劇場らしい。

「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」との記載がある。レーニンによる政権樹立30周年にあたる1947年11月までに劇場を建設するようソ連からの厳命が下っていたこともあり、納期を守るために建築に適した工兵が派遣されてきたようだ。また、建設部隊以外にもシベリアから万単位の日本人がウズベキスタンに移送されたこともあり、タシケントには日本人墓地なんかもあったりする。

タシケントの街中が壊滅的な被害を被った1966年の地震の際もナヴォイ劇場だけは無傷のままだったそうで、今なお日本人の技術の高さや勤勉さ象徴する話として語り継がれているそうだ。

当時の作業内容についてはwikipediaに具体的すぎるくらい具体的に記されてある。08:00-15:00の8時間労働で毎日1,800-2,200カロリー分の食事が出るって、ここだけ切り取ってみれば意外と普通な労働環境。でも実態は理不尽過ぎるパワハラの温床、質素な飯だけで重労働させられる超絶ブラックな環境だったのでしょう。

劇場建設の仕事は班ごとに別れて行われた。仕事内容は、土木作業、床工事と床張り、測量、高所作業(とび職)、レンガ積み(外壁作り)、電気工事、鉄筋と鉄骨組み立て、ウインチ、足場大工、大工に左官工事、板金、建物が出来上がって来たら電気配線工事、溶接、指物、壁などの彫刻など20種類くらいの職種ごとの班に別れて、効率的に作業をすすめた。
労働時間は規則正しく8時から12時、1時間の昼食をはさんで13時から17時までの8時間労働。休日は日曜、元日、メーデー、革命記念日。食料は1日一人当たりの配給量が決まっていたが、馬鈴薯は腐っている所が多いなど十分な量ではなかったが、3食規則正しく出された。1日1800から2200キロカロリー位の摂取量だった。

出典:wikipedia:ナヴォイ劇場

先人たちの妥協なき作業が今日のウズベキスタンの親日ぶりにも繋がっているのでしょう。そう考えると胸に込み上げてくるものがありますね。できれば郊外にある日本人墓地にも足を運んでみたかった。

【ナヴォイ劇場】

所在地: Moustafa Kamoul Atatürk 28, Bukhara Street, Tashkent 100029

ウズベキスタン国立歴史博物館


ナヴォイ劇場から西に150m程歩くと、これまたソ連風の厳つい佇まいをしたウズベキスタン国立歴史博物館が見えてきた。


ウズベキスタンの有史以前からマケドニア・ペルシャ・蒙古・ソ連による侵略を経てウズベキスタン共和国として独立を果たすまでの長-い歴史や、ゾロアスター教・仏教からイスラム教が布教するまでの宗教の変遷などについて学べる国立歴史博物館。二階では古代から近世までのウズベキスタンの歴史に関する展示会が並び、三階では現代のウズベキスタンが如何に素晴らしい国であるかということが誇示されている。


太古より様々な文明が交差したシルクロードの要所に位置するウズベキスタン。紀元前4世紀には西のアケメネス朝ペルシャの影響でゾロアスター教文化が流入。オッスアリと呼ばれるソグド人特有の素焼きの納骨器が各地で出土している。この写真は、オッスアリを安置する建物の復元模型だそうだ。各展示物の説明は不十分なので、正直あまり情報が入ってこない。

1-3世紀にかけては南のガンダーラ地方を中心に興ったクシャーナ朝から仏教が伝播。アレクサンドロス大王の遠征後に残されたヘレニズム文化と融合して独特のガンダーラ美術が生まれていった。

ウズベキスタン南部の街テルメズでは三尊仏が出土している。この小さな仏像から始まり、シルクロードを経由して東へ東へと仏教が伝播、752年に奈良の東大寺で高さ16メートルの大仏が造られるに至ったと思うとなんだか妙に嬉しくなる。

8世紀にはアラブ人の到来でイスラム化。以降、トゥルク系国家の台頭、チンギスハン等によるモンゴル支配時代を経て大正義ティムール朝時代へと続いていく。
ひだり みぎ
大正義ティムールおじさんはモンゴル軍により破壊しつくされた中央アジアに大帝国を築き、帝都サマルカンドを中心にしてトルコ・イスラム文化が広がっていく。

ひだり みぎ
その後はソ連による支配時代に関する紹介がちょこちょこっとあり…最後は自国産業に関す自慢が延々と。

ひだり みぎ
飛行機だって飛ぶし、高速鉄道だって走る。家電だって乗用車だってウズベキスタン国産だ!国外からの直接投資だってガンガン入ってきてて、我が国は絶賛発展中っすわ!

ロシアだけでなく、今や中国様の後ろ盾だったあるんだからな!
ひだり みぎ
ロシアは警察官、中国は銀行員。経済面での中国との結びつきは強まる一方で、ついに中国との貿易額がロシアとの貿易額を抜いたそう。現代版シルクロードこと一帯一路を復興させる上で重要な位置にあるので、今後も中国からのウズベク投資が増加していきそうな予感。悪徳銀行員に食い物にされなきゃいいですがね。

【ウズベキスタン国立歴史博物館】

開館時間:09:00-18:00
定休日:月曜日
入館料:10,000コム、撮影料:30,000コム

ウズベキスタン工芸博物館(ウズベキスタン国立応用美術館)

最後にやってきたのはウズベキスタン工芸博物館。

こちらの博物館はその名の通り、ウズベキスタンの伝統工芸品を収蔵した博物館になる。絨毯や、刺繍物の伝統衣装、木彫り彫刻などなど、ウズベキスタンの伝統技術により生まれた工芸品の数々を間近に楽しむことができる。

ひだり みぎ

1907年に建てられたロシア高官の私邸がそのまま博物館になっているそうで、見事なタイルで装飾された建物自体が展示品かのよう。

ひだり みぎ
天井の装飾も抜かりなし。

数あるウズベキスタンの工芸品の中でも代表的な物は、伝統の刺繍が施された装飾用の布地・スザニ。

ブハラのものは白地だったりサマルカンドのものは黒地だったりと、地域地域で配色やデザインが異なるそうだ。大きなカーペットからお手頃サイズのテーブルクロスやクッションカバーといった小物まで揃っていて、土産物として購入することもできる。


刺繍技術を活かしたドッピというムスリムハットもオシャレで芸術的価値も高そう。先がとがった物や丸い物、底深い物や浅い物…これも、地域や被る人の年齢によって、模様や形状、素材が異なるそうだ。同じイスラム圏でも中央アジアのムスリムハットはお洒落でカラフルな物が多いっすね。

ひだり みぎ
天然釉の爽やかなコバルトブルーと細密文様が特長のリシタン陶器、深い黄色地や緑地をベースにしたギジュドゥヴァン陶器など、陶器も種類が様々。


細密画が施された小箱なんかも土産物に良いんじゃないかな。素材も柄も寸法も様々あり、値段もピンキリ。この博物館でも質の良い各種工芸品の土産物を調達することができます。


ワイの一押しは螺鈿細工。RPGに出てくる宝箱のようでもあり、男の遊び心にもグサッと突き刺さる。


何気ない銅のお盆にも細工がこの通り。

素晴らしい芸術品の数々を至近距離から鑑賞でき、目の保養になりますね。

【ウズベキスタン国立応用美術館】

開館時間:09:00-18:00
入館料:10,000コム、撮影料:6,000コム

帰りは道中で見つけたスーパーマーケットKorzinkaへ立ち寄ってみる。

ひだり みぎ
品揃え豊富な店内の中でも、やっぱりソーセージと乳製品がやたらと豊富。ここらへんは中央アジアのスタン諸国共通なんでしょう。


これだけ買って26,220ソム(≒340円)という物価感。

こんな感じっすね。博物館巡りして、旧ソ連時代に開業した地下鉄乗って、バザール行ってくらいしかやることないので、タシュケントでの観光は一日~二日あれば充分っす。



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