真っ赤赤なビエンチャンのラオス国立博物館

最終日、バンコクへと戻るフライトの出発時刻まで時間があったので、最後にラオス人民による革命の軌跡を知るためラオス国立博物館を見ておくことに。社会主義国の博物館ってプロパガンダまみれで結構好きなんですw。


宿泊先から歩くこと5分程、中学生の図工作品かのようなジャール平原の石壺の画が門に飾られた安っぽいラオス国立博物館に到着した。


かつてフランス総督の居館であった白亜の宮殿風建物がラオスの国立博物館。


ガイドブックには写真撮影不可とあったが、規則が変更となったのだろうか。カメラの使用については特に制限がないそうだ。

いざ入館。鎌と槌の赤い旗が首都の町中にたなびくラオスはもちろん社会主義国で、この博物館も社会主義革命を中心としたラオスの歴史がメインテーマで構成されている。

エアコンは効いておらず、天上でファンが空しく回転するのみで、展示内容も建物の管理も疎かにされている。全体的な印象としては博物館というよりも地方の資料館だな。木の床なんか今にも抜けそうなくらいに建物が老朽化してるし。

展示物は時系列順に並んでいて、最初に来るのは恐竜たちが闊歩していた新生代以前に関する展示物。
ひだり みぎ
時代遡り過ぎだろ!と突っ込みたくなる以前に、昭和初期の漫画から抜け出してきたかのような古臭く手作り感満載なイラストに思わずズッコケそうになる。


石器時代の人々の生活の様子だってさ、他の国の国立博物館だと忠実に再現されたジオラマや等身大フィギュアが駆使されてるところ、ここラオスでは紙一枚。しかも、イラストありゃ一目瞭然とでも言いたいのか、説明書きも一切無し。

ひだり みぎ
古代モン・クメール族によって1,500~2,000年前に使用されたと考えられているジャール平原の石壺。


やがて、伝説的な名君ファー・グムによりラーンサーン王国が成立。同国が現在のラオス領一体の領域を支配していたことから、ラオス人にとってはアイデンティティーの支柱ともされる歴史的王朝らしい。

ラーンサーンとは百万頭の象の王国との意味で、歴代の国王は象を巧みに操ったそう。
ひだり みぎ
象の王国は成長を続け、絶頂期を迎えた16世紀には版図をラオスのみならず東北タイにまで広げていった。しかし、どんな強大な国もいつかは滅びてしまうもの。18世紀には王位を巡る争いから王国がビエンチャン・ルアンパバン・チャンパサックの3王国に分裂。さらに内紛や互いの足の引っ張り合い等により弱体化が進み、18世紀後半には3国ともシャムの支配下または朝貢国に成り下がった。

これら隣国シャムに対する屈辱の時代の展示物は殆どなく、時代は一気に飛んで19世紀帝国主義時代へ。1893年、タイ王国との間でラオスをめぐり仏泰戦争が勃発、フランスが勝利した流れからラオスはフランス領インドシナ連邦の一部として帝国主義の軍門に下ることに。
ひだり みぎ
フレンチコロニストによるラオス人民の搾取が続く。


そこに、プロレタリア独裁論者レーニン大先生登場。ラオスの国立博物館なのに他国の革命指導者がラオスの歴代主席なんかよりも大々的に扱われてて草はえるw。

ひだり みぎ
レーニン氏の指導の様子と、氏の著書。ここらへんから社会主義マンセー的な展示内容へと変わってくる。

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カール・マルクスとレーニン同志の肖像画にベトナム共産党の指導者ホーチミン像。なんかもう真っ赤赤過ぎて潔い展示内容だ。

ひだり みぎ
立ちあがる群衆。万国の労働者よ、銃を持ち団結せよ!卑劣な帝国主義者共を不屈の革命的精神で打ちのめせ!

ホーチミンと接見する初代ラオス人民民主共和国主席及び最高人民議会議長スパーヌウォン。有史以来、大変だったけど共産党の導きにより立派な社会主義国として独立を果たしましたよ、と。
ひだり みぎ
このように革命的な展示品の数々を見ることができ、ブルジョワどもに搾取される我々日本人民に革命的勇気を与えてくれる展示内容だw。

ひだり みぎ
そして最後はお約束の土産物コーナー。

展示の流れは大まかな時系列になってはいるけど、フランス植民地時代以降、帝国主義に抵抗し独立を目指す革命勢力の活躍に関する展示物に重点が置かれていて、現在の政権の歴史観を知るためには良いのではないか。逆に、ラオスの文化紹介には殆ど展示スペースが割かれていないので悪しからず。
【ラオス国立博物館】

住所:Rue Samsenthai, Vientiane, ラオス
電話:+856 21 212 460
開館時間:8:00〜12:00 13:00〜16:00



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