タンロン遺跡を見て回った後も北を目指して歩いていると、タイ湖(西湖)へとぶち当たった。湖が多いハノイの中でも最も美しい湖として庶民に愛されている湖だ。市街地にあるホアンキエム湖と比べて人やバイクが圧倒的に少ないので、都会の喧騒を忘れてゆっくりとリラックスをすることができる。周りを見てもベンチに座っておしゃべりをする者あり、散歩を楽しむ人の姿あり、釣りをしながら転寝をするお父ちゃんあり、仲間と集まって囲碁に勤しむご老人ありと、何とも長閑な空気が流れている。
オープンエアーのローカルカフェや土産物屋が並んでいて探索にはちょうどいい。湖畔には西洋風建物も立ち並び、まるでリゾート地かのような雰囲気すらでていて、高級住宅地になっているようだ。
土産物屋ではハノイ名物の水上人形劇グッズやお面などの木の彫り物が売られています。何ともアジがある民芸品ではないか。
しばし探索を続けていると、クアンタン通りとタンニエン通りの交わる交差点傍に何やら白い門が建っているのを発見。
11世紀の李朝時代、ハノイ(当時はタントンと呼ばれていた)の王都を四方から来る悪霊から守護する為に東西南北の4ヶ所に建てられた『タンロン四鎮』のなかの北の祠・鎮武観らしい。解説に拠ると、どこぞやの王子がで悟りを得て玄天上帝となった後にベトナムの地に来て、命と引き換えに西湖に棲む妖怪・九尾狐を退治してくれたので、玄天上帝に感謝し崇拝する為に鎮武観を建てたとあります。
蓮の花や線香売りの物売り攻撃をかわして白塗りの門を入ると、境内の奥に社殿が見えます。ホーチミンの家などは観光客でごった返していますが、こちらはどうも人気が無いようだ。どちらかと言うと観光客ではなく地元のお年寄りが多く参拝していて、庶民の生活に密着した寺院である事が伺い取れます。
社殿まで進むと道教寺院特有の朱色で目が痛い。正面祭壇の奥には八本の槍が並んでいて、その奧には二羽の鶴だかキジが向きあっている。そういや孔子を祀る文廟でも見た覚えがあるが、一体これは何を象徴しているのだろうか。
本堂には11世紀の李朝時代王を助けベトナムの北の国境を守った英雄とされる玄天鎮武神像が祀られている。顔はぐう平凡であるが、大きさは何と高さ4m、重さ4tと超巨大で中々の迫力だ。今日のハノイの北方には周辺諸国を脅かす中華帝国があるが、この守り神が国防を任せられているのであれば軍拡を進める中国も跳ね返すことができるだろう。
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