客家人の土楼囲村@荃灣

以前、香港歴史博物館で客家人や囲村に関しての展示物に触れた。客家人は漢民族の一支流。原郷の中原から移住を繰り返し、古くは唐の時代から南方へと移住してきたとされる。独立心に富み団結力が強く、土着民と融和をしないどころか、しばしば紛争を起こしたりする問題児。移住先では常に『よそ者』扱いされてきたことから、客家とは招かざる客招かざる異邦人との誹謗的意味合いが含まれているそうだ。 流浪の民として全世界に散らばったユダヤ人と同じで古くから移住を繰り返し、子孫への教育熱が高い勤勉な民族性であることから、『中国のユダヤ人』とも称される。実際、移住先である南の地にあっても、幾百年経るうちにみるみると頭角を表し、 孫文や鄧小平、シンガポールの李光燿など、時代を動した風雲児を数多く輩出してきている。 因みに小生勤務先お抱えの白タクドライバーも客家人を自称するが、悲しいかな、非常に残念なお頭をしているので、客家人が100%インテリというわけではないようだ。 書籍などで調べていると、『東洋のユダヤ人』『中国の内なる異邦人』『最強の華僑集団』など、彼らの特殊性を前面に押し出した語が踊り、私の興味心を刺激する。そして、調べてくと彼らの土楼囲村をモチーフにした博物館が新界の荃灣にあるようなので、この地味観光スポットに早速向ってみることに。尖沙咀からMTRに乗ること約30分、MTR荃灣線の北の終点駅・荃灣に到着。中原を追われ、どこに定住するでもなく、新しく国を作るでもない流浪の民・客家への深まる興味を抑えきれません!

ひだり みぎ
うおおぉ。駅を降りた瞬間に驚かされる。新界の片田舎を想像していた荃灣だが、MTRの開通で都心部へのアクセスが改善されたことからベットタウンとしての開発が進んでいるようで、四方八方ににょきにょきと高層ビルが林立している。周囲を高層建築物群に囲まれ、真上にしか空を見上げることができないという、これぞ香港という光景だ。 少し老朽化が進んだ高層マンションの間をぬって5分ほど歩いただろうか。緑豊かな小高い丘を発見。濃い緑に包まれた ゆったりとした敷地内の坂を登ると、前方左手に白い土壁が現われた。
ひだり みぎ
この高層マンションと緑に埋もれるようにして建つのが客家人の囲村を復元してできた三棟屋博物館。オリジナルの建築物はMTRの延線工事のために解体されたものが復元されたものなので、実際の囲村ではないらしい。気合を入れて早出してしまったので、この時点で未だ09:00。開館は10:00からとのことで門が閉ざされており、仕方なく駅方面に引き返し腹ごしらえをすることに。
ひだり みぎ
駅周辺を歩いていると、駅から直結した駅ビルの一角に、御誂え向きの老舗レストランを発見。点心の匂いに惹かれて小龍包を頼んでみることに。
オーダーから1分で蒸篭に入った小龍包がやってくるという迅速さもセッカチな香港人に人気の秘訣か。小龍包の本場でジュワーっとこぼれるアツアツの肉汁を包んだ包子をハフハフいいながら頬張る瞬間は、もう至福の時。口内火傷するギリギリの熱さだが、これだけ美味ければ猫舌の私でも多少無理して箸をすすめざるを得ない。荃灣で思わぬ幸せに出くわした。 さて、初夏の香港で大量の汗を流しながらアツアツの小龍包を楽しんだ後、重くなった胃を引きずって再び三棟屋博物館に向かう。
きっかり10:00丁度に開館。本日最初の入館者として手厚い挨拶を受けるも、広東語なのでからっきし理解できず。職員さんとの間に漂う気まずい雰囲気を笑顔で断ち切り奥へ進む。 この三棟屋、元々は福建省の寧化という地から広東省に移った客家人の陳姓一族が清朝時代の1786年に建造した建物を指します。1981年に香港政庁が法廷古蹟に指定して修復作業が行われ、1987年に博物館として民間開放されました。

戦乱から逃げるように南へ南へ生活の拠点を移した客家人の陳一族は、各地で独特の要塞兼住居の集落を形成。客家人のが住まわった塞のような集落は『囲村』や『客家土楼』と呼ばれ、香港だけでなく中国南方地区の多くの都市で観光の目玉となっています。中国にある 一少数民族程度かと思いきや、日本の人口の3分の1強にあたる4,500万人もの客家人が世界中で活躍しているそうです。
ひだり みぎ
三棟屋の航空写真とフロアマップ。客家土楼は大きく円楼と方楼(長方形)に区分されるが、こちらは見事なまでに整然と造られた長方形。如何に計画的に建築設計されたかが見て取れるだろう。 玄関口に入ると、ちょうど真正面に喜び事の祭事を催す中ホール、そしてその奥には先祖崇拝の為の祠があり、この線を軸にして線対称となる造りとなっていて、住居部分が2000㎡の碁盤の目状に配置されている。囲村は単に住居・要塞として雨露をしのぎ外敵を防御するという役目を果たすばかりでなく、氏族間の連帯感を高め、血縁と文化的伝統を保ち続ける役割を果たすという意味において、客家精神が凝集されているといっても過言ではない。そりゃあよそ者として蔑まれ、身内で凝り固まっていたら客家人同士の絆は自然と強まるわ。

ひだり みぎ
入口右手の博物館解説ルームから更に奥に進むと、真っ白い城壁のような壁に囲まれてた路地が続きます。瓦屋根に白塗りの壁はどことなく日本のお城を彷彿とさせるものがある。

こちらは1962年2月、客家住民の立ち退き完了後の囲村。いくら博物館とはいえ、古めかしさは全くもって感じられず、ちょっと小奇麗にし過ぎな印象を受けます。 真っ白な壁に囲まれた細道をくねくねと歩き、中央部の居室に辿り着く。

ひだり みぎ
居室は合計4部屋。室中では当時の調度品が展示され、客家人の生活ぶりを再現されています。かなり質素な暮らしぶりが伺える。椅子が低すぎるのには何か特別意味があるのかは知らないが、座り心地だけで判断すると、ヘルニアを誘発するような酷い設計と言わざるを得ない。


ゴザ・紙うちわ・蚊帳という夏の寝室3大セットを完備し、リアルな生活感を漂わす。今なお客家おばちゃんがここで生活していると言われたら信じて疑わないレベルだ。

ひだり みぎ
無造作にお面やら先祖の肖像画(?)が置かれているのは不気味である。

ひだり みぎ
部屋は高さは無いがロフト付きの二層住戸となっている。縦空間を設け、スペースを最大限活かした機能的な造りである。ロフトの隠れ家・秘密基地的な雰囲気が好きな小生にはたまらない設計だ。但し、窓が無い為に、現代では採光・換気の面で建築基準法に引っかかってしまうのではないか。 続いては先祖崇拝の為の祠。

ひだり みぎ
白塗りの壁に黒い瓦屋根というモノトーンの建物の中で唯一鮮やかな色彩を放つのがこの祠。祖先崇拝を大事にする客家人のシンボル的なもので、土楼の中心に位置している。 更に細い路地を奥に向かって進むと、展覧室に突き当る。ここでは『荃灣今昔』をテーマに荃灣の過去100年に渡る発展の歴史が展示されている。


今でこそ香港が誇る一大ベットタウンである荃灣だが、1931年までは人口わずか6,000人足らずの農漁村であった。


集落がポツンポツンと存在する程度の過疎地。

ひだり みぎ
住民は主に米に野菜、パイナップル、水産物で自給自足の生活を営み、木材や牧草等を切り売りして生計を立てていた。


物凄く原始的な生活のように見えるが、高層ビルが立ち並ぶ現在の僅か80年前のことである。 荃灣の歴史は戦後の中国大陸からの移民流入時から大きく動き出す。1931年に6,000人足らずだった人口は1961年に85,000弱、1966年には200,000人超へと爆発的に増加、主要産業も農漁業から紡績業や金属工業などへとシフトした。


1950年代の中心街。1960年代からは香港政庁のサテライト都市計画が策定され、街にはタダ同然の土地を求めて近代的工場が立ち並ぶようになり、世界を席巻した”Made in Hongkong”を牽引する屋台骨にまで発展を遂げる。 特に紡績業の成長が著しく、1964年には144の工場で26,069人の雇用を生んだ。

ひだり みぎ
小学生の社会科授業で観た『あゝ野麦峠』を偲ばせる写真に思わず涙ぐむ。

ひだり みぎ
人口増加に伴い、人々の価値観も多様化。数十年前には片田舎の漁村であった荃灣の社会は複雑化していきます。


1989年には早くも高層住宅が乱立。もはやシムシティーの世界である。


今日ではシムシティーの上級プレイヤーでも舌を巻く程の繁栄を見せています。荃灣の歴史展示室では客家の方々には触れられていなかったのですが、客家の人たちも今では高層マンション住まいなんだろうか…

香港には他にも囲い村が残されているが、客家人の暮らしぶりを知るには三棟屋博物館が一番。規模的には1時間もあれば十分な大きさですし、MTRの駅からのアクセスも良いので荃灣に来たついでに寄るにはちょうど良い博物館です。

開館時間:10:00 – 18:00 (*火曜日は定休日で、Xマスイブと旧正月イブは17:00に閉館) 入場料:無料

報告する

関連記事一覧

コメント

  1. ポンズ ポンズ

    今川様
    コメント頂きありがとうございます。
    この福々しいユニークなお面、大頭佛というのですね。中華圏の祝祭でよく見かける割には名前が分からなかったので、勉強になりました。ありがとうございます。
    荃灣の土楼囲村は確かに昔を知る方からしましたら、博物館化は残念と感じられてしまうことかと思います。あくまで、大衆向けに客家人の暮らしを分かり易く解説するための展示物であり、実際にこの建物で客家人が生活をしている訳ではないですからね…歴史や生活感は全く無かったです。弊社のドライバーの一人が自称客家人で、彼の故郷である福建には大小問わず結構な数の現役の囲村があると聞いています。現職に就いている間に観光地化されていない“生”の囲村に行ってみたいものです。

コメントするためには、 ログイン してください。