孫中山記念堂~ 革命 いまだならず、同志なおすべからく努力すべし~

孫文といえば中国の政治家・革命家であり初代中華民国臨時大総統としてしられる中山市が生んだ偉人。辛亥革命を起こした人物で「中国革命の父」や国父、「近代革命先行者(近代革命の先人)」として近年「国父」と称される。孫文の生まれ故郷である中山市には孫分に因んだ名称を至る所で見ることができます。博愛路・孫文路・博愛病院・孫文路・中山公園etc…市内全体で孫文が崇め祭りたてられております。

こういったポスターもあちらこちらに見受けられます。辛亥革命100周年は去年のことなんですがね…
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『中山精神を発揚せよ!』

中山精神が発揚されるには孫文先生に関する理解を深めることが一番。と言わんばかりに市内では中山先生の生前の活躍を称える展示物などがあちこちに。特に孫中山記念堂では彼の生涯のメインイベントを時系列に説明してあり、民衆の中山精神を大いに駆り立てています。

孫文中路の孫中山記念堂公園内、市内中心地にあります。
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郭得勝さんという香港人が1000万香港ドル(1億1千万円)もの大金を寄付し、その元金を使って1983年に建立されました。

重厚な宮殿スタイルの建物。
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中は『①禁毒教育基地』『②香山華僑・辛亥革命100年展』『③孫文史展』の3部構成となっています。

中央ホールの孫文像。
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こんなにも似てない孫文像は初めて見た。何かの手違いで違う人の像を持ってきてしまったのではないかというくらい似ていない…

建物の構造としては一階中央ホール左に『禁毒教育基地』、2階に『香山華僑・辛亥革命100年展』及び『孫文史展』が位置している。真夏でも冷房が効いていないのがつらい。

近代革命の先駆者と評される孫文先生は今の中山市翠亨村で1866年11月12日に産声を上げました。 その頃の清国は1839年から始まったアヘン戦争に大敗し、列強諸国の食い物にされ、1950年からは太平天国の乱による内部動乱で混沌を極めた危機的状況でした。上層は守旧・怠慢で、下層は無知・蒙昧なために先を見通せる者は少ない。中華の文物・礼節が異民族に軽蔑され、主権さえも失い始めていた。
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このようなご時勢にあり、孫中山故居前の木の下で毎日のように太平天国の農民蜂起に参加した老人の話を聞いて育った孫文と友人たち。幼き頃から滅満興漢が芽生えていったのでしょう。12歳の時には兄を頼りにハワイに渡ります。独立国であったハワイへの華僑の大規模な移住は19世紀中葉から始まっていて、やがて現地人口の約4分の1を占めるに至ったそうです。孫文はイギリス国教会系の現地高校を卒業後、香港の医大を経て1892年の27歳の時にはマカオで西洋医師として開業します。

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1892年当時のマカオ鏡湖病院。患者はもちろん、革命同志も集合して時勢や革命論に関しての論議を重ねたそうです。

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香港時代の学友達と。左から楊鶴齢・孫文・陳少白・龍列。この4人組は四大寇(アウトローな四大ワル)と呼ばれていた。

1894年11月には『駆除韃虜、回復中華、創立合衆政府』をスローガンにハワイで近代中国初の革命政党である興中会を結成。夢を語るだけでなく実際に行動まで移せる実行力は見習わないといけない。
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この建屋が香山にあった興中会の主要活動拠点。ここで武装蜂起の謀議をめぐらせ、翌1895年には広州武装蜂起を起こすも失敗、楊氏は翌年香港にて清朝の刺客に暗殺されてしまう。孫文もこの件の後に清朝の御呼ばれ人とされてしまい、海外での亡命生活を余儀なくされることとなる。

ロンドン滞在時は大英図書館でイギリスの政経、法律体制に関しての猛勉に励み、後に提唱する三民思想などの基礎を築き上げていきます。
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1896年10月には清朝のロンドン公使館に囚われてしまうが、孫文の香港滞在時の教師であり良き理解者ジェームス・カントリー氏が奔走し、幽閉から12日後に釈放される。上の写真は清朝の駐英公使館。

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孫文を救ったカントリー氏。彼が時代を動かしたといっても過言ではありません。更に孫文の思想を世に広める為に本の出版を勧め、『Kidnapped in London(倫敦被難記)』と題された英書が刊行され、革命を支える無名の人々の層が厚くなっていった。

その後孫文は清朝の追及の手を逃れるために中国を脱出、折よく居合わせた神戸行きの日本船に乗って日本へと向かう。1905年には東京でこれまで革命活動を行ってきた興中会・華興会・光復会が結集し、中国同盟会を設立。孫文は総理となり、革命運動をさらに推進していきます。

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日本滞在時の孫文。

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前身の興中会のスローガンをアレンジし、『駆除韃虜、回復中華、創立民国、平均地権』を旗印に革命軍による武装蜂起を本格化させます。

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1907年5月の黄岡起義。一旦は現広東省潮州の黄岡城を占領するも、清朝軍に鎮圧される。

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16年間に11回もの失敗を重ねたものの、1911年、武昌での武装蜂起後にようやく長江以南の地域全体を支配下に置く事に成功。翌1912年1月1日に南金にて孫文が中華民国の成立を宣言します。

その後の国民党は中国全土の統一を目指して北伐に出る事になりますが、孫文は1925年に志半ばにして北京にて息を引き取ることになります。

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遺書に記されていた有名な一文『 革命 いまだならず、同志なおすべからく努力すべし』
『余は国民革命に尽くすこと凡そ四十年、その目的は中国の自由平等を求むるにあり、四十年の経験を積みて深く知りしことは、この目的に到達せんと欲せば、必ず民衆よよび世界を聯合し、平等をもって我を待つの民族とともに、共同奮闘する事を喚起すべきことなり。現在革命はなお未だ成功せず、およそ我が同志は須らく著す所の建国方略、建国大綱、三民主義および第一次全国代表大会宣言に衣照し、継続努力し、もって貫徹を求め、最近主張する国民議会の開会、および不平等条約の排除には、もっとも最短期間において、その実現を促すように努めよ。』

物心ついた時から最期まで、常に世を正すことを念頭に生きた孫文先生。母国の為に一生を捧げて自分の夢を成し遂げようとした生き様。思想や人生の夢は違えど、現代の我々も見習わなければなりません。

覚悟・使命感を持って人生を全うしろ!これが中山市政府が言う『中山精神』なのでしょうか。

孫中山記念堂
住所:广省中山市中山市区文中路190
電話:(0760)83320168
時間:08:30-17:30
定休日:中国祝日
料金:無料

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