世界遺産ワット・プーの足元、メコン川沿いに広がる長閑なチャンパーサック(チャムパーサック)の町。その歴史は古く、5世紀頃にベトナム中部で栄えたチャム族のチャンパー王国がメコン川流域に勢力を伸ばしてこの地域に古代都市を築いたのが始まりとされる。今でこそ行政の中心は新たに建設されたパークセーに移されているが、1713年にはチャンパーサック王国がこの地を王都と定めるなど歴史的には南ラオスの中心地であり続け、インドシナ半島を席巻したクメール帝国の揺籃の地であるとも考えられている歴史ある古都である。
ワット・プーから見下ろすチャンパーサック平原。ワット―プー遺跡だけでなく、チャンパーサック平原の文化的景観全体がユネスコの世界遺産として登録されている。
地理上、パークセーからワット・プーに向かう間にチャンパーサックの町を経由することになる。今でこそラオス日本友好橋ができたので移動が楽になったが、以前はパークセーからメコン川の東に延びる国道13号線を南下し、渡し船でメコンを渡ってチャンパーサックに来なければならなかったようだ。是非ともこのメコン川沿いに栄えた古都チャンパーサックで一泊したかったのだが、時間が取れずに断念し、日暮前にバイクでパークセーまで戻ることにした。
舗装されたメインストリートを爆走していたら、脇道から巻きスカートなどの制服を着た学生たちが一斉に元気よく飛び出してきた。なんだかみんなこっちを不思議そうに見ながらも手を振ったりしてくれて可愛らしい。
小学生くらいだと思うが、一部の生徒は100ccのカブを二人乗三人乗りしたりしているぞ。
多分ここいらが町の中心なんだろうが…メインストリートの両側に民家や商店、ゲストハウスなどがちょいちょいと並んでいる程度。やっぱりラオス日本友好橋のせいでチャンパーサックに泊まる観光客は減っているのだろう、外国人の姿は全く見なかった。
長閑だなー。かつての王国の首都も今や長閑な田舎町、いや、田舎村。家の数よりラオスの国歌であるチャンパーの花の数の方が多いくらい。それにしても、もと居たチャンパ王国がクメール人に追いやられ、今やこのチャンパーサックはラオ族の土地となっているが、ラオス人のチャムパーの花を愛する心はチャム族からラオ族にしっかりと受け継がれたているようだ。
木造高床式住居。これだけ雨量があり川も近い地域なんだから殆どが高床式住居になっていると思ったが、メインストリート沿いでは高床式の家屋は余り見られなかった。
メコンは川と言ってもここいらでは川幅が広くてまるで海のよう。山がちなラオスにあってチャンパーサック省の大部分はメコン川の下流の土壌が肥沃な平原になっていて、雨量も豊かでなことから魚と米の名産地になっている。
母なる川・メコンから引いた水による美しい水田が一面に広がっている。
チャンパーサックの町を抜け、後はパークセーの町まで北上するのみ。街灯もなければ交通量もない道を真っ暗闇の中戻るのは簡便だ。それこそ暗がりから山賊が襲ってきてもおかしくないのではないか。外務省のホームページには「ラオス国内では,国道等の主要幹線道路であっても,集落から隔絶された山道になっている場所が多く,このような場所でいわゆる山賊による襲撃事件が発生しています。」なんて一文も載っていたぞ。
対向車線を走るバイクも前のめりで爆走中。私もアクセルを回す右手に力をこめ、ギアを一段上げる。
やばい、日が暮れてきた!まだ17時をちょっと回ったとこなのに!
コメント
…世界遺産ワット・プーの足元、メコン川沿いに広がる長閑なチャンパーサック(チャムパーサック)の町。その歴史は古く、5世紀頃にベトナム中部で栄えたチャム族のチャンパー王国がメコン川流域に勢力を伸ばしてこの地域に古代都市を築いたのが始まりとされています。