ジブリの中の桃源郷 ドゥブロヴニクの町を歩き倒す

モスタルの次に訪問するのはクロアチアのドゥブロヴニク。
魔女の宅急便の“海の見える町”を彷彿とさせる、まるでジブリ世界の中の理想郷かのように画趣に富んだ美しい古都です。

スルジ山

街歩きの始めに、ドゥブロヴニクの町を俯瞰できる高台のビューポイントへ。ドブロブニク旧市街の背後にこんもりと広がるスルジ山(標高412メートル)の頂を目指します。

晴れわたるアドリア海の青い空、見渡す限りに広がる紺碧の海、陽光を浴び貴石のように輝く異国情緒たっぷりの街並み、爽やかに吹き付ける風。まさにこの世の楽園といった絶景が目の前に広がります。

まるでジブリの世界からそのまま切り出してきたかのようにメルヘンチックなドゥブロヴニク旧市街。
こうしてみると小さくて可愛らしい町ではあるんですが、ビザンツ帝国、ヴェネツィア共和国、ハンガリー王国、オスマン帝国と、この地を支配する宗主国が次々と変わりゆく中でも自治と自由を守り抜いてきた歴史を持つゴリゴリの海洋都市国家でした。
特に16世紀のオスマントルコ最盛期にはバルカン半島全体がイスラム圏に組み込まれる中、ここドゥブロヴニクだけはオスマントルコと条約を結ぶことで自治を維持。キリスト教世界とイスラム教世界とを結ぶコスモポリタンな海洋国家として遠くアメリカ大陸やインドにまで名を馳せたそうです。

旧市街

山頂まで登り切り、下りはロープウェイを使ってチート。
ロープウェイを降りてから人の流れに沿って歩いていると、旧市街地の城門(ピレ門)に行きあたりました。陽の光を浴びて輝く城壁は、長年に渡って街の独立を守り抜いてきたドゥブロヴニクの誇りの象徴。クロアチアの国旗も掲げられ、威風堂々たる佇まいで城内の町を包み込んでいます。

場内に入るとオノフリオの噴水が視界に入ります。
噴水といっても水が噴き出ているわけではなく、外周部分に取り付けられた蛇口から天然水を汲みだす為の給水施設。城内の水源確保のために1438年に建設された古い設備で、いかにもローマ文明圏の公共施設だなーと思ったらやっぱり設計はイタリア人とのこと。
造られてから600年弱が経過した今でも普通にペットボトルに水を入れて飲んでる人がいるんだから驚きです。

愛おし過ぎるこのセンスにも脱帽。

噴水広場の奥には、淡いベージュ色をした石造りの街並みが見渡す限りに広がっています。何百年の年月をかけ人の手で石が切り出され、加工され、積み上げられ造られてきたドゥブロヴニクの町。硬くて無機質な石で築かれた街であるにもかかわらず柔らかな暖かさに包まれたように感じられるのは、長い歴史を持つ街の風格が成せる業なのでしょうか。

石の街並みを東端に抜けると、風情ある港が見えてきました。
中世の東地中海交易の中心地といえばヴェネチアですが、ヴェネチアと東地中海とを結ぶ航路上に位置するドゥブロヴニクも大いに栄えたといいます。
コンスタンティノープルなど東地中海からヴェネチアを目指す舟にとってはアドリア海に入って最初に行きつくカトリック文化圏の都市であり、反対にアドリア海から遠方に出る商船にとってはここがラテン語が通じる西側世界最後の寄港地。ヴェネチアから来てドゥブロヴニクを過ぎると宗教的には正教圏もしくはイスラム圏に入るし、言葉もギリシャ語やアラビア語に変わってくる。二つの異なる異文化の境界地点という立地条件から、当時のドゥブロヴニクが港としていかに重要だったか容易に想像できます。

港町の雰囲気って素敵ですよね。
ドゥブロヴニクの黄金期は15-16世紀。1418年にドゥブロヴニク共和国として独立すると、鉱物や業界類の交易などで大いに繁栄。ドゥブロヴニクの商館は黒海や地中海の諸都市50か所以上に設置され、16世紀には地中海で最大の船舶数となる約180隻のドゥブロヴニク船籍の船が地中海に帆をはためかせていたといいます。

ラテン語圏のフロンティアだけあって、修道院や大聖堂も立派。ドゥブロヴニクより北側はヴェネチア共和国の領土となる為、オスマントルコとしてもドゥブロヴニクという防波堤を設けることで、ヴェネチアの脅威を弱めつつ西側を監視しようとした狙いがあるそうです。

バルカン半島がオスマントルコ一色に染まる中でも自治を維持し続けたドゥブロヴニクのしたたかさw
強力な軍隊もろくに持たない海洋交易国家が強大なイスラム国家の占領を免れ独立を維持できた要因は、時代の潮流を先読みする先見性の高さと巧みな外交戦略にあったと考えられているそうです。オスマン帝国がビザンチン帝国を滅ぼしイキりだす60年も前からオスマンの強大化を予期して外交的な手段を講じ、オスマントルコに献納金を支払う見返りにバルカン半島での自由な商業活動を認めてもらう条約を取り付けていたそうな。

そんな奇跡の海洋都市国家ドゥブロヴニク。城壁が遊歩道になっていて街を一周できるみたいなので、ぐるりと城壁を一周してきたいと思います。この城壁こそがドゥブロヴニクをドゥブロヴニクたらしめている存在ですから、ここまで来て城壁ウォークをしないなんてありえません。

どのアングルから見ても隙の無い美しさ。

因みにオスマントルコへの年貢ですが、1808年にナポレオン軍により占領されドゥブロヴニク共和国が崩壊するまで欠かすことなく納め続けたそうです。
規模的にはこんなに小さな町で、周囲を強国に囲まれながらも長きに渡って自治を維持し続けたドゥブロヴニク。要塞の門には、「Non bene pro toto libertas venditur auro(自由は世界中の黄金との引換であっても売り渡してはならない)」というラテン語の碑銘が残されていますが、長いものに巻かれたように見せかけながら決して巻き取られずに自治を保ち続けたしたたかさに驚かされます。

真っ青なアドリア海に挑むように突き出した稜堡。こうしてみるとドゥブロヴニクの町が本当に岩塊の上に築かれていることが分かります。

どこを切り取っても絵になるし、どこもかしこも絶景ポイント。2分毎くらいに立ち止まってじっくりと景色を堪能したくなるので全然先に進めなくて困りますw

東欧の異国情緒とイタリアらしい陽気が混ざり合ったような居心地の良い港町。吹き付ける風も心地よく、ついついいつまでも絶景に酔いしれてしまいます。

空飛ぶ箒に乗った魔女が飛んできそうなこの雰囲気。自分も魔女の宅急便を幼少期に見たド真ん中なので、自動的に松任谷由実の音楽が脳内再生されてきてテンションが上がってしまいます。

1,980メートルの城壁をじっくり2時間かけて一周しましたが、絶景の連続に最後まで飽きることなく楽しめました。旧市街の雰囲気を聞きしに勝る優雅なものだったので、今度は旧市街内の民宿に泊まってみたいっすね。

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