歴史博物館でベトナム近代史に入るまでの流れを学んだ後は、ホーチミン作戦博物館で現代史の学習です。場所はサイゴン動植物園の門から道を一本渡った先の右手、徒歩1分のところにあります。
館内には1975年3月から始まった軍事攻勢~サイゴン陥落に至る最終軍事作戦の図解や展示物が並べられているそうだ。軍事攻勢の流れとしては、75年3月からベトナム人民軍・南ベトナム解放民族戦線軍によって矢継ぎ早に下記4回の軍事作戦が取られ、サイゴン陥落に至りました。改めて思うが、ベトナム戦争がたった40年前弱の出来事というのが信じられない。
①Highland Campaign
②Hue・Danang Campaign
③Ho Chi Minh Campaign
④The high command of Ho Chi Minh Campaign
⇒サイゴン陥落
博物館の敷地内にはホーチミン作戦実施の際に用いられた北ベトナム軍の軍事車両や戦車なども展示されています。これらは建物外にあり、無料で見物することができます。
戦車T4-848号。1975年4月30日午前10:30、当時の南ベトナムの大統領官邸に突入し、サイゴンを陥落させました。
A37戦闘機。1975年4月28日に5機の編隊を組んでタンソンニャット空港を爆撃。そうなんです、現在ホーチミンの国際空港であるタンソンニャット空港は南ベトナム空軍/米国空軍の重要な軍事施設だったのです。
その他、各種戦車砲(57mm/ 76mm/ 105mm/ 130mm) が並べられていたので、軍事マニアの方にはたまらない貴重な展示物かと思います。
博物館の建物は南ベトナム陸軍の高級将校の宿舎であったものが改装されたものが使用されています。外にいても暑いので中に入ります。涼しげなクリーム系の色の建物です。
…が、エアコン無し…シーリングファンのみ、猛暑の中での見物となってしまいました。
中に入ると定番の…
ホーチミンおじさん!これほどまでに自国民から愛されている人物は世界中探しても稀だと思う。ベトナム全土、どこにいってもホーチミンスマイルが目に留まる。
さて、ホーチミンおじさん率いるベトコンですが、先ずはHighland=高原狙います。高原を制するものは全土を制する。日露戦争の旅順攻略でも爾霊山の陣取り合戦の結果が勝負を分けたように、高地狙いは陸地戦の鉄則です。
ラオスとカンボジアに接するベトナムの西側の高原地帯を制し、ホーチミンルートと呼ばれる陸路の支援経路を確保します。そこから東へ向かって主要都市のフエ・ダナン、そしてサイゴンを攻略することで南ベトナム軍の支援ルートを断つ事を狙いとしました。
短期決戦を狙う米軍の目論見は外れ、局地戦はゲリラ戦化してしまいました。
武器や食料などの物資は押し車や自転車などで運ばれ、重要書面や命令伝達書はHONDAのスーパーカブで運ばれました。流石にこの時代は伝書鳩ではありません。
一番印象に残った写真。戦争の悲惨さや、戦地に駆り出される兵士たちの心情が伝わってきて、胸にこみ上げるものがあった。
これは米国軍を苦しめたクチトンネルの様子。壕内には食堂や医務室、会議室などがあり、地下に潜みながら対米軍抗戦を続けていました。このトンネルは今やホーチミンを代表する観光地となっており、タクシーに乗る度にクチトンネルまで連れて行かされそうになります。運転手曰く『It’s very good for you, my friend』だそう。何がどう良いのかは不明。
土木工兵の大隊用のボート。ボートにとって致命的な穴が所々ありましたが、冠水しなかったのでしょうか。
この撮影機器は中国からの輸入物。北ベトナムは中国とロシアという二大共産国の援助を受け、南ベトナムは資本主義代表であるアメリカの傀儡政権でした。そう、ベトナム戦争は言ってみれば共産主義国vs資本主義国の代理戦争だったのです。
そして、1975年4月30日11:30に、南ベトナム最後の大統領となったDuong Van Minhが無条件降伏の声明を国営テレビとラジオで読み上げて、ベトナム戦争は終結を迎えたのであった。繰り返しになるが、こんな大規模な戦争が75年まで続いていたというのが本当に信じられない。
こちらの博物館では比較的客観的な史実のみを説明していたが、ここからタクシーで10分程のところにある戦争証跡博物館では戦争の負の側面をもっと全面的に押し出した展示物や写真が並べられているというので、戦争証跡博物館足までタクシーで向かうことにする。
ホーチミン作戦博物館 | |
住所: | Bao Tang Chien Dich Ho Chi Minh |
電話: | 8-822-9387 |
時間: | 7:30~11:00/13:30~16:30 |
料金: | VND 15,000 (≒60円) |
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