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ジャカルタ海洋博物館とコタのスラム街


客先との約束時間までの暇潰しとして、オランダ統治時代の面影が色濃く残るコタ一帯を探索してみようと思う。観光地化されたバタビア時代の建物が多く残るファタヒラ広場一帯を離れ、かつてバタビアの表玄関として栄えたスンダクラパ港の方面へと進んでいく。ヘドロで詰まった汚く臭い川を渡り、廃墟と化したバスターミナルの跡地を通り抜け北上、10分も歩けば大航海時代に先駆けて海の覇者となったオランダがアジアの拠点として築いたファタヒラ広場の美しい雰囲気は消え去ってしまい、ローカル色の強い怪しげな一帯に迷い込むことになる。


超高層ビルの立ち並ぶジャカルタの発展の歴史から取り残されたような古ぼかしい建物が並ぶ。道端に廃棄されたドラム缶から黒々としたオイルが垂れ流れる中を人々が普通に裸足で歩くような少し危ない匂いのする一角だ。


小さな小路が入り組んだ迷路へと入ってしまった。


成長著しい1,000万都市ジャカルタの中心部から程遠くない場所には、都市の発展と無縁な貧しいエリアが広がり、大雨はおろか強風が吹きつければ崩壊してしまうのではという脆い造りの家屋に人々が住んでいるのを目の当たりにする。


細く入り組んだ路地を使って鬼ごっこをしていた腕白そうな子供たち。近くに学校でもあるのか、非常に多くの幼児が元気に走り回っていて、寂れた感じのスラム街ながらも人間の活力を感じてくる。

ひだり みぎ
皆、純粋で幸せそう。でも、この後しっかりと撮影料を請求されましたww

ひだり みぎ
時刻は正午を過ぎていたので既に市は終わって照明は落とされ,薄暗く不気味な空間になっているが、魚市場だろう。鼻がもげる程の悪臭を漂わせている。


小さな路地を通り抜けると、バタビア時代に栄え、当時は交易品を満載した船で賑わったスンダ・クラバ港の真ん前に建つ哨楼へと辿り着いた。

ひだり みぎ
5,000ルピアを払い上まで登ると、心地よい風が吹く見張り台上部から素晴らしい景色を見渡せる。丁子貿易等で賑わっていた中世の街並みを想像しながら灌漑に耽る。

ひだり みぎ
一応、見張り台だけあって申し訳程度の年代物の艤装砲が2門、海を向いて設置されている。

ひだり みぎ
こちらは見張り台の上から見えたVOCガランガン・カフェ。東インド会社として使われていた建物を利用したカフェらしいが、オーナーが変わったのか、ただの中華料理レストランに成り下がってしまっているようだ。


続いて、見張り塔近くにある海洋博物館へと移る。銃眼のついた古い大きな兵舎のような建物だが、東インド会社がナツメグや胡椒、茶や絹織物、銅や錫などの交易品を保管していた倉庫が修繕され、今は海洋博物館として使われている。ただ、面積は広いがその割に展示物は少なく、埃を被ってしまっている。来館者もそう多くはなさそうで、苦しい博物館運営事情が直ぐに見て取れるお粗末な管理のされ方だ。

さて、入館するなり小錦の様な男がしつこく付きまとわれる。一方的に話終えた後でガイド料を請求してくる押し付けガイドであろう。地元民と話すいい機会だとは思うが、恐らくこちらの博物館の説明書きを読んで覚えた程度なのだろう、教科書に書いてあるような表面的な内容の説明ばかりで何の新鮮味のある情報も得られない。それであればこういった歴史有る建物の中では一人でゆっくり歩いて回って往時に思いを馳せていたいのに、何を言っても離れてくれず、付きまとってくる。他に来客があればいいのだが、どうやらこんな辺鄙な博物館まで足を延ばす物好きは私一人のようで、ガイドも唯一の獲物を逃さんと必死なのだろう。思いっきり笑顔で愛想を振る舞ってくる。

ひだり みぎ
博物館入口側にある倉庫と道路の間の高台にもうけられた回廊では、外部からの侵入を防ぐために守衛が巡回していたそうだ。

ひだり みぎ
このポスターは面白い。日本軍は1942年、石油などの資源確保の為にオランダ領東インド(現インドネシア)に侵攻、占領し、まもなく軍政下で日本式の学校教育を始めたとされる。大東亜共栄圏の担い手として日本式教育を受けた占領地の人々、特にインドネシアのイスラム教徒は天皇という現人神を祀り上げることに抵抗感は無かったのか、こんなことを聞くのはタブーかもしれないが、どうしても当時の人々の率直な感情を知りたく、勝手につきまとってくる小錦氏に伺うと、父の時代のことは良く分からないと言う。何の為のガイドだよ。

ひだり みぎ

ひだり みぎ
ヨーロッパに莫大な富をもたらした胡椒や香料クローブ、ナツメグ、メースなどの香料。オランダは、従来からのアジア商人による流通経路に割り込んだだけのポルトガルとは異なり、原住民に土地を割り当てて栽培に当たらせたりすることで香辛料の生産まで含めての独占を図ったそうだ。


時は過ぎ、大東亜戦争時代の旧日本軍。インドネシアには12世紀頃の国王ジョボヨヨの時代から伝わる「今に北方より黄色い強者が空から舞い降り、白い圧政者を駆逐してくれるだろう」という伝承がある。その後オランダ人の支配下に甘んじたインドネシアは日露戦争での日本の勝利を耳にし、伝承にある黄色い強者が日本軍の事だと信じるようになったという。そして30数年後、空の神兵と言われたパレンバン敵前上陸作戦で白い落下傘を身にまとった黄色人種である無数の日本軍兵士達がオランダ軍制圧のために空から降りて来て、わずか9日あまりの電撃戦でオランダ軍を追い払ってしまう。その後も駐留した日本軍はインドネシア人が自立できる環境を作り、インフラ整備と同時にインドネシアの工業発展に貢献。また、軍部教育を通じて後の独立戦争時に結成される軍事組織で中心的な役割を果たす祖国防衛義勇軍を結成させるなど、旧日本軍がインドネシア独立に多大なる影響を与えたという考えが根付いているとどこかで聞いたが、小錦氏はこの伝承の事は聞いたことが無いと言う。ただ、オランダ領東インドを攻略する蘭印作戦を指揮した今村均大将の事は知っていたようで、Imamu~ra~ Imamu~ra~と連呼していた。


手切れ金として20,000ルピアを渡すと恵比須顔になった小錦氏。この後バイクで中華街を案内すると言ってカフェ・バタヴィアまでバイクでついてこられた。安易に手切れ金など渡さなければ良かったと後悔。こんな感じで続いては中世バタビアの上流階級の優雅な生活ぶりを偲ぶことができるカフェ・バタビアへと潜入します。

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