北マケドニアの首都・スコピエの町を歩いてみます。
凱旋門やパルテノン神殿など世界各国のランドマークを模したようなチープな建物が立ち並び、その町中を真っ赤なロンドンバスが走りぬける…
そんな摩訶不思議、奇想天外な町スコピエですが、意外や意外、東部ワールドスクエア的なエンタメ要素に溢れていて思ったより楽しめました。
アレクサンダー大王の騎馬像広場を中心にネオクラシカル風やギリシャ風の真新しい建築物や凱旋門風のゲートが建ち並び、通りでは馬車を真っ赤なダブルデッカーが追い抜かける
— ポンズ (@Worldtravelog) January 8, 2020
マケドニア人のアイデンティティは何処へやら。社会主義時代終焉後の迷走感が半端ないスコピエの街 pic.twitter.com/YsBPm53L29
くぅそ~。今日こそは日本時間合わせて早寝しようとした思ってたのに
— ポンズ (@Worldtravelog) January 7, 2020
夜のスコピエが思いのほか歩き応えあったの敢無く計画失敗に終わる pic.twitter.com/Ne00bwgr2M
ところでこの北マケドニア、なぜ「北」マケドニアとなっているのか。
1991年に旧ユーゴスラビアから独立した際にはマケドニア共和国を名乗っていたのですが、この国名に隣国ギリシャが激おこ。ギリシャに由来する誇り高きマケドニアの名をスラブ人が語るとは何事か!とアレクサンダー大王の一撃並みに強烈な横槍が入り、長年の交渉を経て北マケドニア共和国に国名を変更することで落ち着いたそうです。
そう。マケドニアとはアレクサンダー大王を生んだ古代のマケドニア王国に由来する地域名称。本来のマケドニア王国は現在のギリシア北部を中心として古代ギリシャ人によって建てられた国であり、ギリシャの民族的な誇りでもあり象徴。それを後からギリシャの北に入ってきたスラブ人が栄光あるマケドニアの名を語るとか言語道断ありえないでしょう、というのがギリシャ側の理屈です。
ついでに国名だけでなく国旗のデザインも変えさせられ、アレキサンダー大王空港もスコピエ国際空港に改名させられていますw
山がちな内陸国で自力で外にも出られない上に、西は1990年代まで鎖国してた国だし、北は紛争の火種が燻ってるし、東のブルガリアとは歴史的文化的禍根が残っているし…更に南の大国ギリシャからは煽られに煽られる…かなり詰んでますね。地図を眺めるだけで北マケドニアの苦悩が伝わってきますw
そんな北マケドニアの首都スコピエの街歩きの起点は、マケドニア広場にあるアレクサンドロス大王の巨大騎馬像から始まります。
ギリシャからガツンと言われてアレクサンドロス大王の名を空港名から降ろしたのに、銅像はそのままキープなんですねw ここだけは譲れねぇ!という北マケドニアの意地とプライドを感じずにはいられませんw
世界を征服した偉大なるアレクサンドロス大王が夢見たのは、東西文明が融合する大帝国。マケドニアの名を巡って争い続ける末裔を見て何を思うのでしょうか。
アレクサンドロス大王だけではありません。スコピエの町には町中至る所に偉人風な方々の銅像が建てられています。
それがまた凄くて、1つの通りに1体とか1つの公園に1体といったレベルではなく、町中どこにいても銅像が視界に入らない死角はないといったレベルの徹底ぶり。そこもあそこも銅像銅像と、まるでどこぞやの一風変わったB級テーマパークかのような街並みになっています。
立ってたり、座ってたり、天に拳を突き上げていたり、馬に乗っていたり。ソロだったり、複数人のチームでタッグを組んでたり。建国の父系、民族闘争の英雄系、インテリ系、芸術家系などなど、マケドニア王国まで遡れば悠久の歴史を誇る国だけに、自慢したくなる偉人もそれだけ多いのでしょう。
いや、でもよく見ると偉人っぽくもない像もありますし、そもそも人類にすら見えないような奇形の像もあったり。毛沢東ゴリ押し!とかならまだメッセージ性があって分かりやすいですが、ここスコピエはただの混沌。とりあえずできるだけ色々な物を詰め込んでみたって感じの奇想天外な町となっていますw
夜はライトアップされていて無駄に格好良かったり。ちょっとジョジョの世界っぽくもあってこれはこれで素敵かもw
銅像だけでは終わらないあたりもスコピエの凄いところで、町中には世界各国のランドマークのオマージュ作品かのようなチープな建造物も満載。銅像の大群に混じって文化財のフリをしたランドマークが乱立していて、スコピエ一箇所でヨーロッパ各国を旅行したようなお得な気分にさせてくれますw
古代ギリシャ神殿ばりのネオクラシカルな建物まで…
国立考古学博物館
因みにこのパルテノン神殿風の建物は国立考古学博物館になっていまして、まるで古代マケドニア文明の正当な後継者は我々だと主張しているかのよう。
展示内容は石器時代からアルカイック期、ヘレニズム時代からオスマン帝国時代まで幅広くカバーしていますが、ちょっと国立博物館にしては物足りない内容でした。建物は大きいのに中身はスカスカ。
このパルテノン神殿の建つ川沿いは東欧の町を意識したかのような街並み。なんかぱっと見は重厚そうで遠景では映えるんですが、近くで見たら張りぼて感が否めないし、人工的過ぎて不気味なんですよね。人通りもほとんどないし…
外を歩く人の数より銅像の数の方が遥かに多いくらいということもあって、町全体が異様な空気感に包まれています。
川の北岸には歴史と人々の生活の息吹を感じられる旧市街の街並みが広がっています。
ここら一帯は12世紀頃から栄えていて、スタラ・チャルシヤと呼ばれるバルカン半島最大のバザールを中心に、30を超えるモスクや公衆浴場、神学校などが多数立ち並ぶイスラム圏の中堅都市だったそう。
マケドニアはコソボ紛争でアルバニア人の難民が大量に流入したことなどからムスリムの人口も多くて、マジョリティであるマケドニア人でも全人口の54%を占める程度だとか。
他の旧ユーゴ諸国と違って平和裏にしれーっと独立を果たしたり、ギリシャから怒られて国名や国旗デザインを変更したり、町中は世界各国のパロディ建築で埋め尽くされていたり、なんだか知れば知るほど興味が湧いてくる味わい深い国ですね。
国立美術館
旧市街の入り口に建つこちらのイスラム建築はトルコ式公衆浴場跡。今は国立美術館として一般開放されていました。
建物自体が巨大なアート作品といった感じで、展示品はあくまでオマケと言わんばかりに床に散乱していたりますw 扱いが雑w
一切解説が無いので分かりませんが、東ローマ帝国マケドニア王朝時代あたりの木板画っぽいのから、中世のイコン、ユーゴ時代の社会主義的前衛アート、コンテンポラリーなトルコあたりの油絵まで。収蔵点数は少ないものの、厳選されたエキゾチックな作品が並んでいます。
オフリドの聖クレメント教会
トルコ風の街並みの見学を終え川の西岸のマケドニア人街へと歩いていくと、またも奇抜な外観の建物に遭遇しました。
マケドニア正教最大の教会らしい。ドーム屋根はドーム屋根でもロシア正教玉ねぎ頭ではなく、イスタンブールのビザンティン様式で建てられた大聖堂ともちょい違う。もっとモスクの色形に寄せたような特徴的な外観をしています。
ギリシャ正教でもなくセルビア正教でもないマケドニア正教。イスラム人口が国の3割を占める国だけあってこのようなキリスト・イスラム折衷主義的な形に落ち着いたのでしょうか。
中は東方正教会らしく美しいフレスコ画とイコンでびっしり。歴史の浅い新しい教会ではありますが、厳かさは十分で、なんだかジーザスに見守られているような気持ちになりました。
マザーテレサ記念館
スコピエと言えばマザーテレサの生誕地としても知られます。アルバニア人とルーマニア人の両親のもとに生まれたテレサは18歳までスコピエ(当時のオスマン帝国コソボ州)で過ごしたそうで、彼女の生家跡の近くにはマザーテレサ記念館がひっそりと建てられていました。
人口の9割がイスラム教徒のコソボでも不自然に巨大なマザーテレサ大聖堂が建てられていましたし、アルバニアのティラナにも町の中心にマザーテレサ広場がありました。平和と慈愛の象徴としてノーベル平和賞を受賞した彼女もまた、アレクサンドロス大王と同様に国家間の奪い合いの的になっているのでしょう。
複雑な歴史と風変りな街並みが独特のスコピエの町。何もない退屈な地方都市なのでスルー奨励と言われがちですが、奇抜な建物や銅像を眺めながら歩いているだけでも結構楽しめるものです。
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