サマルカンドから鉄道でタシュケントに移動してから空港へ

いよいよ“今回”の旅行も終わりの時がやってきた。16:20タシュケント発のフライトに間に合わせる為に眠い目をこすりながら朝一で出発。06:37発の高速鉄道アフラシャブ号でサマルカンドを離れ、タシュケント⇒ノボシビルスク⇒ウラジオストク⇒成田と怒涛のS7航空3連発で帰路へと就く。
まぁ“今回”といっても既に1年弱も前の話なんですけどねw 社畜プレーの忙しさにかまけてブログ更新をさぼりすぎましたw

アフラシャブ号 サマルカンド⇒タシュケント



先ずはサマルカンド鉄道駅から約250km離れたタシュケントへ。その昔、商隊がラクダに乗って数日間かけて移動した厳しい旅路も、今では快適な車輛でたった2時間の鉄路の旅だ。朝一でサマルカンドを出れば午後のタシュケント発のフライトに間に合ってしまう。



お洒落な駅舎で最後まで楽しませてくれるサマルカンド。


サマルカンド補正が効いていて、なんだったらナン屋までオシャレに見えてくるから不思議。


そうこうしているうちに陽が昇り、超特急アフラシャブ号がやってきた。ウズベキスタン鉄道は安定の定時運行で時間が計算できるので、夕方のタシュケント発のフライトに乗り遅れるということもないでしょう…と思いつつも心配性な自分は不安なので、朝一の鉄道で時間に余裕をもって移動します。


今回の利用キャビンはビジネスクラス。客層はエコノミークラスと明らかに違い、白人観光客やお年を召した裕福そうな現地人メイン。

ひだり みぎ
シート配列も2-2のエコノミークラスに対し、ビジネスクラスはデブでも安心のゆとりあるスペースが嬉しい2-1配列。足元のスペースも広々としてます。


外気温7℃と凍える寒さだが、列車内は暖房が効いてて快適そのもの。どんどんどんどん速度を上げて絹の道のド真ん中を突っ切っていきます。

ひだり みぎ

建物一つ建っていないような、長閑な景色が延々と続く。

ひだり みぎ
農村部にも資本主義の波が押し寄せ、山肌に広告がびっしりw しかもこんなウズベキスタンの田舎にZTEが広告をw 現地の販社が勝手にやったことなんだろうけど、広告費とかいくらくらいかかるもんなんだろう。


窓の外の広告を楽しみながら、ここでお楽しみの炊き出し配給タイム。コーヒー要りますか?なんて聞かれて、日本の新幹線よりサービス充実してるやんけ!と思ってイエスと回答したら白湯を渡された。


ひだり みぎ
自分でコーヒーの粉末をかき混ぜて作れということだったらしい。


粉末をかきかき掻き混ぜコーヒーを飲みながら車窓の外の景色を楽しんでいると、あっという間に終点タシュケントに到着した。(失礼ながら)中央アジアらしからぬ、定時出発・定時到着、素晴らしい安定感である。

タシュケント鉄道駅⇒国際空港


タシュケント鉄道駅からタシュケント国際空港への移動は路線バスで。37番のバスが鉄道駅から空港の第三ターミナルに行くらしい。英語表記が一切ない案内板の中でも、Aeroportだけは解読できた。

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30分ほどまって来た。空港とは反対方面行きだったら嫌なので、周囲にいる方にエアロポルト行き?と確認してから飛び乗るように乗車。成田と羽田みたいに二つの空港があるわけでもないので、これでまぁ間違いなくタシュケント国際空港に着くでしょう。


ここで降りろと言われて降りたら国内線ターミナル。こっから仕方なくタクって国際線ターミナルまで向かいました。

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こちらは国際線ターミナルに乗り入れる公共バス。37番はこの案内図に書かれていないので、37番は国内線ターミナルにしか行かないということなんですかね。

結局、06:37発の鉄道でサマルカンドを出て、タシュケント国際空港に着いたのは09:20。遅延リスクの低いウズベキスタン鉄道だけど遅れたらどうしようと若干心配してたけど、逆に早すぎるくらい早く着き過ぎました。ウズベキスタン出発のフライトが午後の場合、当時早朝にサマルカンドを出ても十分に間に合いますし、なんだったらタシュケントでちょっと観光できるくらいの余裕もあったりします。


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サマルカンドの見所を一日で周ってみる

東西文化が混ざり合うシルクロードの十字路・サマルカンドにやってきた。

これがまた、地図で見た感じよりも実際は遥かに大きな都市で…
ブハラと比べると町の規模が大きく、見所も広範に散らばっているようだが、果たして僅か1日で町の見所を全て見て回れるのか。老体に鞭打ち朝から晩までぶっ通しで頑張って歩き倒してきました。

やっぱりサマルカンドといえばレギスタン広場。ということでレギスタン広場から街歩きを開始。


レギスタン広場からビビハニムモスクセントラルバザールハズラティ・ヒズル・モスクシャーヒ・ズィンダ廟群アフラシャブ博物館グーリ・アミール廟と周っていきます。

愛妃へのプレゼント・ビビハニムモスク

レギスタン広場からサマルカンド発祥の地であるアフラシャブの丘を目指して北へ北へと歩いていると、いきなりエキゾチシズム全開なイスラム建築が目の前に現れた。建築当時は中央アジア最大のモスクとされたビビハニムモスクらしい。


14世紀末から15世紀初頭にかけ、ティムールおじさんが愛妃を記念して建てたらしい。超好戦的でキチ外じみた軍事指導者みたいな人といったイメージで刷り込まれてたんだけど、意外にもこんな愛妻家的な一面もあったんすね、ティムールおじさん。愛妃の為にタージマハルを建てたムガル帝国のシャージャハーンもティムールの末裔らしいし、こいつらは愛妃に建物を建てなきゃ気が済まん習性なんすかね。現代で言えば、金持ちが記念館をばーんって建てるみたいな感覚なんだろうけど、愛する妻の為の記念館とか建物ってなかなか凄い。

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メインゲートの方まで来てみたけど、スケールのでっかい男ティムールおじさんの命で建てられただけあって滅茶苦茶でっかい。あまりにも大きすぎて、かなーり後ろに下がらないと全景をカメラに収められないくらいのヤバい規模。こんなごっつい建物を、現代のような工機や建築技術が無い時代に僅か5年という超突貫工事で完成させたというから驚きだ。

どのようにしてそこまでの短納期を実現できたのか。最新工機を投入したり革新的な建築技術を導入したりといった形での工期短縮は見込めないので、ひたすら人員をぶっこんで物理的に労力を上げていくしかない。ということで、征服した各都市から連行してきた労働者や象なんかを人海戦術で総動員。また、ティムール自らも現場に顔を出し、肉や宝石なんかの褒美を投下し続けるなど、ニンジンで現場を煽って煽って煽り続けることで工事のスピードアップを図ったらしい。
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完成はティムールの没する前年の1404年。モスクのドーム部分は高さ40mと、当時はイスラム世界で最大のモスクだったそうだ。死期が近いことを悟って焦っていたのかな。独裁色の強い創業者が晩節汚しまくって最後に無茶なプロジェクトで会社全体を振り回すみたいな。


トップダウンの強烈な催促が今でいうおから工事・手抜き工事に繋がってしまったのでしょう。恐ろしいスピードで建てられたモスクは恐ろしいスピードで崩壊していったそうで…。現在も一部の建物では大規模な修復作業が行われているところだった。創業者が没した瞬間にどうでも良くなっちゃったんでしょうかね、プロジェクト自体。

なんでも揃うセントラルバザール

このティムールの愛妻への想い詰まった巨大なモスクの隣には、現地の人々が集うセントラルバザールがある。

色とりどりのスパイスや羊の生肉が独特の匂いを放ち、いかにも中央アジア主要都市のバザールといった雰囲気。ブハラには無い交易都市らしい活気が感じられます。


陽気でたくましい市場のオッサンたち。写真撮影を頼まれ撮ってあげたら納得の映り具合だったみたいで、トマト1個恵んでくれましたw
ここでは若い女性にもちょくちょく声をかけて頂けるのでモテ期キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!なんて勘違いしそうになるけれど、単純に日本に興味を持ってくれてる人が多いらしい。ワイみたいな普通のオッサンと写真を撮って何が嬉しいのかと思うけど、一緒に写真を撮ってください!なんてお願いをされることも多いっす。


こちらは温度7℃でソフトクリームの屋台を出すアイスのおじさん。観光地ど真ん中の出店でソフトクリーム1つ1,000ソム(≒14円)とかほんとグッジョブだけど、設備の償却費用とか自分の人件費まで単価に加味されてるのか?原価どんだけ安いんだ。

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このセントラルマーケットはサマルカンド最大のバザールだけあって、現地民の為の日用品や食料以外にも、陶器なんかの土産物も充実してる。

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ウズベキスタンの土産物といったらやっぱり色鮮やかなリシタン陶器てしょ。(店員さんの可愛さに負け)実家用の土産品として一枚US$3とかの安物の器を購入してしまった。

世界最悪の独裁者が眠る ハズラティ・ヒズル・モスク

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セントラルバザールの北側の出口から通りに出ると、アフラシャブの丘の麓に建つ小さなお屋敷のような建物が視界に入った。


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丘の上に建つ落ち着いた色合いのモスク。まさに文明の十字路というか、ペルシャっぽくもあれば中国っぽくもあり、東西の建築様式が融合したような独特の雰囲気が漂っている。


テラスからはサマルカンドが一望できてサンセットスポットにも良さそうだけど、参拝客が引っ切り無しに押し寄せ落ち着かない雰囲気。なんでもカリモフ前大統領の廟も兼ねている為に参拝客が多いらしい。カリモフ氏はティムールばりの強烈な強権体制を強いて世界最悪の独裁者なんて評価をされてる人物だけど、それでも墓参りに来る人も多いんすね。

美しすぎる廟 シャーヒ・ズィンダ廟群

墓といえば…続いて、レギスタン広場と並ぶ必見スポットであるシャーヒ・ズィンダ廟群へ。「シャーヒ・ズィンダ」とは「生ける王」との意味だそうで、ティムールの妻や親族を祀る霊廟の集合体だそう。廟なのにトリップアドバイザーのサマルカンド観光地ランキング1位なのが凄い。

狭ーい通りの左右びっしりに並ぶ霊廟の数々。やはりウズベキスタン内でも有名なパワースポットのようで、現地の方々の参拝客も多かった。廟の参拝とはいっても厳かな雰囲気という訳ではなく、皆さん自撮りしまくりでハイテンションでしたw 現地の人の間では、インスタ映えパワースポットくらいの位置づけなんでしょうね。


ティムールの愛妻や妹、乳母などが眠る廟の数々。その色・形は様々、どの廟も美しい装飾が施されていて見応えは抜群。

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似てるけど異なる模様に色使い。青の都!といっても深緑のような青や濃い目の紺、スカイブルーなど様々、お墓なのにどこを切り抜いて見てもとにかく鮮やかでカラフル。廟というよりは美術館に近い雰囲気です。

ひだり みぎ
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青、蒼、藍…眩暈がしそうになるくらいの青の洪水。青の都サマルカンドたる所以をまざまざと見せつけられます。無味乾燥的だった死の都ことブハラの廟群とは対照的だわ。

お廟の中を恐る恐るチラっ…

中も装飾が抜かりなし。見事なまでの装飾がなされた天井ドームに、薄暗~い廟の中にひっそりと佇む石棺、どこからともなく流れてくるコーランの調べ…異国情緒満点の雰囲気にただただ時が進むのを忘れていつまでも居座ってしまいます。

ひだり みぎ
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無限に広がる青一色の世界。他人の墓参りなんて何が楽しいの?と思っていましたが、美しい霊廟の建物が並ぶ様はただただ圧巻。美しすぎる廟…サマルカンドに来たらレギスタン広場とこの廟群だけは見逃せません。

サマルカンドの歴史が分かる アフラシャブ博物館

続いてアフラシャブの丘の中心地にある博物館へ。現在のアフラシャブの丘は生命感の無い土の塊となり果てていて当時の繁栄ぶりは覗い知れないが、モンゴル軍によって徹底的に町は壊滅し尽くされる前はシルクロード随一の交易地として栄えていたそうだ。

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モンゴルが徹底的に破壊したサマルカンドの街。紀元前8世紀頃から都市が形成されはじめ、13世紀頃まで大いに栄えていたそうだが、今やただの生命観の無い丘陵。遠くに見える現在のサマルカンドの町が栄枯盛衰を感じさせる。


見渡す限りに続く荒れ果てた荒野を真っ直ぐ歩くこと10分超、これまた平凡な感じの博物館が見えてきた。

ここではアフラシャブの町の跡からの出土品を中心に展示されている。
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ラクダ草くらいしか生えていない今の荒れ果てた丘の様子からは想像できないが、かつてのサマルカンドの町は4つの大きな門を持つ城壁で囲まれたシルクロード上の重要都市として栄えていた。発掘調査の結果、文化の痕跡が11層に積み重なっているのも確認できているそうだ。

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7世紀のソグド人支配時の宮殿から見つかったフレスコ画の復元図なんかも展示されているが、見所はこれくらいのものかな。わざわざ町の外れの博物館まで歩いてくることはなかったなと若干後悔した。

ティムール一族の墓 グーリ・アミール廟

もう少し丘の先に行ったらウルグベク天文台もあるらしいが、ここで引き返して町の南端にあるグーリ・アミールへと移動。グーリ・アミールはタジク語で『支配者の墓』の意味で、ティムールや息子のシャー・ルフ、孫のウルグベクら、ティムール一族が眠る霊廟らしい。
ひだり みぎ
凄い迫力。シャーヒ・ズィンダ廟群とは違って厳かで廟然とした雰囲気がある。

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中も凄くで、ゴールドがまばゆいザ・王族的な造り。


googleのストリートマップで中の雰囲気を堪能下され。

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うわー、すげーと敷地内の雰囲気を堪能していたら、怪しげな男に「ショッピングショッピング!」と声をかけられ、地下へと続く秘密の階段の先へと連行された。これ、墓だと思ったら中は土産物屋になってるのなw


墓穴の中で充実の品揃えw しかもセントラルマーケットより安いw


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サマルカンド産シルクとラクダの毛の混紡手編みストールが日本円で約800円。さりげなくサマルカンドの象徴でもあるレギスタン広場のマドラサやウズベキスタンの絨毯やスザニでよく見られる花の柄が織り込まれててお洒落だし、肌触りも抜群。これは良い買い物した。

結論:頑張れば一日でサマルカンドの見所も制覇できます。

【サマルカンド】



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青の都ことサマルカンドの象徴 レギスタン広場

サンクトペテルブルク⇒モスクワ⇒ビシュケク⇒アルマトイ⇒タシュケント⇒ブハラと巡り、ようやく辿り着いた今回の旅行の最終目的地・サマルカンド。

サマルカンドの宿で荷を下ろしてちょこっと買い出しの為に外の通りに出たら、いきなりこんな幻想的な建物が目の前に出現。パネっすサマルカンド。


これがサマルカンド、いや、ウズベキスタン、いや、中央アジアの代名詞的存在であるレギスタン広場。中央アジア随一の大都市サマルカンドの政治・経済・文化の中心であり、シルクロードを行き交う東西の交易商人により常に活気に満ち溢れていたそうだ。

水を買ってホテルに帰る際にはライトアップが消えていたので、翌朝、リベンジ。

やばす。夜の幻想的なのもいいけれど、昼のエキゾチックな姿も様になる。

古来からシルクロードの要衝として栄えながら、13世紀になりモンゴル軍の襲来によって廃墟と化したサマルカンド。この地を甦えらせたのが、一代で大帝国を築き上げたウズベキスタンの国民的大英雄ティムールおじさんである。サマルカンドを首都に定めたティムールは世界一の都市建設を目指して遠征先から芸術家や技術者を連れ帰り、町の建設に携わらせた。結果、東の中国の陶磁器と西のペルシャの顔料がサマルカンドの地で融合、サマルカンドブルーと呼ばれる鮮やかな青色タイルを多用して築かれた“青の都サマルカンド”が生まれたそうな。

ちょこっとだけ近づいてみると、3つの異なるメドレセ(イスラム神学校)がコの字形に並んでいるのが分かる。

向かって左側にウルグベク・メドレセ、右側にシェルドル・メドレセ、中央にティリャーコリー・メドレセが並んでいるが、これらは同時期に造られたわけではないようだ。

ウルグベク・メドレセ

はじめに、1420年にティムールの孫で、ティムール朝第四代君主となったウルグベクがウルグベク・メドレセを造営。

ウルグベクが一線級の天文学者としても活躍していたからか、星を連想させる模様で彩られていて上品な門構えとなっている。


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中には寮の部屋なのか教室なのか、多くの小部屋が設けられた建物があるのだが…それぞれ装飾が凄すぎて圧倒される。

ターコイズブルーと複雑な幾何学模様が織りなす壮麗なモザイク壁画はただただ圧巻。一個一個の建物のユニークなデザインで彩られているし、細部までしっかりと作りこまれてる。

設計通りに作る現場の技術力もそうだけど、こんなとてつもない幾何学模様の集合体を考え付く創造性に寧ろ驚かされるわ。一カ所一カ所をズームインしても見事だし、ズームアウトして全体として見ても調和がとれているし。宗教性云々は別にして、アートとして純粋に美しくて惹き込まれてしまう。


中には当時の学内の様子を表現した絵画なんかも展示されたりと、簡単な資料館機能も備えています。

続いて、残り二つのメドレセも見ていきましょう。
ティラカリ・メドレセとシェルドル・メドレセは17世紀のシャイバーン朝時代に造られたとの記録が残るらしい。サマルカンド=ティムール朝時代の古都と考えていたけど、意外とそうでもないんすね。

ティラカリ・メドレセ


ティラカリ・メドレセもやばい。


何がやばいって、外のモザイクタイルの精緻な模様だけでなく、中にある礼拝堂にあるの中の装飾がやばいんす。


星や植物、解読不明なアラビア文字などをモチーフとした幾何学模様でびっしりと彩られた礼拝堂内部。メドレセ名にあるティラカリとは「金箔を貼られた」という意味らしく、その名の通り、サマルカンドブルーとゴールドが織りなすまばゆい光の世界が特徴となっている。ほんと、アートとしての完成度が高すぎる。


5kgもの金箔を使って建造された“金箔を貼られた”メドレセではあるが、単に金箔で覆い尽くすだけではなく、装飾で芸術性を高めているのが素晴らしい。中国とかだと金を塗りたくって終わりでしょうから。


これ、一見するとドーム屋根のようではあるけれど実は平面になっていて、遠近法を使って丸く見えるようにしているのだと。ずっと見ていると吸い込まれるような感覚になります。

シェルドル・メドレセ


最後にシェルドル・メドレセへ。


ここは門構えの装飾が特徴的で、偶像崇拝を禁ずるイスラム教ではタブーな動物と人間の顔が最上部に描かれている。


支配者が自分の権力を誇示する目的で描かせたと言われているのだが…正面に描かれた人の顔を載せたライオンは威厳があるというかはどこかコミカルなタッチ。ブハラにもシャイバーニー朝の大臣が建てたメドレセに人の顔が描かれてたけど、シャイバーニー朝はイスラムのタブー破りによる集団だったのだろうか。


ちな、ブハラのメドレセに描かれたおっさんはこちら。やっぱりこちらも東洋人でムハンマドという訳でもなさそうだけど、誰なんだろう。


中は他のメドレセと同じ趣きで、中庭とそれを囲む個室で成り立っている。

ひだり みぎ

青だけでなく緑も多用されていて、他のメドレセと比べれば若干カラフルな印象かな。強いて違いを挙げるとすれば。


ひだり みぎ
ドーム屋根も尖塔も装飾びっしりで、ただただ圧巻。

良い目の保養になりましたわ。見応えという点ではやっぱりサマルカンドは中央アジアで一番っす。

【レギスタン広場】

所在地:Registon ko’chasi, Samarqand
電話:+998 66 235 38 26



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宿泊記 サマルカンドの宿 Hotel Zarina Samarkand

サマルカンドでの宿はbooking.comで予約したHotel Zarina。宿泊レートは朝食付きで込々一泊US$38。

立地

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人も疎らで荒んだ感じの公団住宅の奥まったところにあり、タクシーの運転手も「本当にこんなところにホテルがあるのか!?」と不安気な表情で団地内へと入っていく。


本当にこんなところにホテルがあるのか?と不安に思い始めたところで、よやくHOTELの看板を掲げた建物が見えてきた。ホテルというか、アパートのようなこじんまりとした造り。ただ、大通りから外れているとはいえレジスタン広場から徒歩5分と観光拠点としては悪くないし、スーパーやレストランも徒歩数分圏内にあるので立地条件としては悪くない。

チェックイン


呼びベルを鳴らすと、自称“日本人相手の対応に自信”ニキが眠そうな顔で外の部屋から現われた。そして、その眠そうな表情で何を言うかと思ったら「ようこそ。日本人は大きなベッドが好きなんでしょう?僕は日本人の考えてることが分かるんだ!私が大きなベッドの部屋にアップグレードしてあげましたよ!」と。
狭いより広い方が好きなのは日本人に限ったことじゃないかと思うけど…

ちょいチョイこんな感じの胡散臭い感じを出してくる人もいるけれど、基本的にはスタッフの皆様は親切だしフレンドリー。親身になって旅行のアドバイスをしてくれたり、鉄道駅へのタクシーの手配なんかもしてくれます。

部屋:ラージ ダブルルーム


プール付きの中庭の反対側の建物へ。

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部屋は狭い。ウェブサイトには45㎡って書いてたけど、絶対そんなにないわ。アップグレードしたぞ!なんて言われたけど、寧ろダウングレードされたんじゃね?と思えてくる。


まぁホテルでは寝るだけだし部屋の狭さは気にはならないけど、寒いのは本当に辛かった。部屋ごとの暖房設備が無くセントラルヒーターが作動するのは季節限定だそうで…。10月中旬とはいえ朝晩は3-4℃まで冷え込むので滅茶苦茶寒く、全衣類を着て寝る羽目に。

ひだり みぎ
湯船に浸かって暖まりたくともバスタブもギャグのように浅くて小さいし。

朝食


朝食はお洒落なベースメントで。

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食べ物はパンにジャム、クッキー、チーズ、サラミ、フルーツ、ゆで卵などなど。飲み物は水、市販のリンゴジュース、コーヒー、紅茶。利用客は他にいないのか、ほぼ貸し切りで食べ放題飲み放題状態だった。あっ、だからセントラルヒーティングを切ってたのか!


必要最低限程度っす。

周辺環境


観光には悪くない立地っす。団地を抜けると直ぐ近くがサマルカンドの象徴であるレギスタン広場ですから。団地の住民向けのスーパーマーケットで酒や軽食なんかも買えますし。

スーパーだけでなく、レギスタン通りから団地に入る角のところにはケバブ屋もあります。
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エキゾチックな香辛料と焼肉の香りに誘われてしまい、前を通る度にケバブにがっついてしまいました。ケバブお一つ15,000ソム(≒200円)。

あ、あと注意すべきは支払いっすね。クレジットカード決済ができるとbooking.comに謳われていたのに、ブハラの宿同様、ここでも現金での支払いを求められたっす。立地もホテルスタッフの対応も概ね満足のいくものだったけど、支払いと部屋の温度の問題で全体的な印象としては宜しくない。

Hotel Zarina(ザリナホテル)


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所在地: 4 Umarov Street, Samarqand 140100
電話: +998 66 235 07 61


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ブハラから高速鉄道アフラシャブ号でサマルカンドへ

本日は、ウズベキスタンが誇る高速鉄道アフラシャブ号でブハラからサマルカンドへと移動する。

ブハラの鉄道駅は旧市街地から離れているのでタクシーで移動。
ちな、ブハラからどれくらい離れてるって、ブハラ駅と言いつつ実際はカガンと言う別の町にあるくらい離れてる。

観光地が密集する所謂“ブハラ”の町は旧市街地。一方、鉄道駅や空港は旧ソ連時代に新ブハラとして築かれたカガンという町に位置するということらしい。20km弱くらい離れているのかな。

もう街並みも歴史的なブハラの旧市街地とは全然違くて、駅の周囲はソ連風。無機質で武骨な造りの駅舎を背景に殺風景な広場が広がっている。


すっごい小さな駅で、周りには特に何もないですけどね。運行頻度は低く、サマルカンド方面に向かう鉄道は最大でも日に5本だけなんで。

今回利用するのは15:48ブハラ発タシュケント行きの761号。

ブハラからサマルカンドまでの距離は約280km。ラクダで行くと数日かかるところ、高速鉄道だとシルクロードを突っ切って僅か1時間半で着くそうだ。

下がブハラ⇒サマルカンドの乗車券。15:48発17:20着と書いてある。運賃は56,700ソム(≒700円)。

761号はブハラが始発駅となっており、出発30分前には既にプラットフォームにはアフラシャブ号がスタンバっていた。
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涼し気なウズベクカラーのボディとアヒル口的な先頭車のフォルムが特徴的なアフラシャブ号はスペインのタルゴ社製タルゴ250。最高時速は260kmと、北陸新幹線並みのスピードで中央アジアの荒野を駆け抜ける。


内部も先進国の高速鉄道そのもの。もちろん空調も効いているし、ラムケバブ喰らったりウォッカで宴を開いたりする輩もいない。快適快適。



エコノミークラスの座席配列は通路を挟んで左右に2-2。飛行機のエコノミークラスの座席と比べると全然スペースに余裕がありますね。

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フットレストもあるし、充電も可能。

走行音も小さいし、走り出してからの乗り心地もまずまず。トルクメニスタンを右手に見ながら、土漠の中を突き進んでいきます。

暫くして土漠を抜けたかと思うと、今度は見渡す限りに綿花畑が広がった。隣席の宣教師的なアメリカ人のおっさん曰く、「ジーザス。我が故郷アラバマを思い出す。ジーザス。」と。知らんがな。ワイをキリスト教徒にするとかミッションインポッシブルだから、とりあえず洗脳トークを止めてくれ。アイスブレイク的な会話も無しにいきなり宗教の話を切り出されたし、話題を変えようとしても宗教の話しかしてこないし…ウズベキスタンのムスリムにも押し売り営業的にガンガン宣教かけていってるのだろうか。ほんと闇深そうで怖かったわ。せっかくの鉄道旅行が台無しだわ。


200kmを超えるスピードで荒野を疾走するアフラシャブ号。なんと、予定到着時刻より早くサマルカンドに着いちゃいました。運行本数も少ないし、発展途上国あるある的なガバガバダイヤで運営されているのかと思ったけど、案外しっかりしてるんすね。後日乗ったサマルカンド⇒タシュケントも早着でした。

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夕暮れ時のサマルカンド駅着。

サンクトペテルブルク⇒モスクワ⇒ビシュケク⇒アルマトイ⇒タシュケント⇒ブハラ⇒サマルカンドと巡る小旅行もいよいよ大詰めだ。