搭乗記 バーレーン⇒ドバイ キャセイ以遠権便とガルフエアラウンジ

本日は、バーレーンからUAEのドバイへと移動します。


飛行距離303マイル、ペルシャ湾を飛び越えるだけのウルトラショート区間。航空券自体はCXでバーレーン⇒ドバイ⇒香港と通しで買ってますが、先ずは以遠権区間のバーレーン⇒ドバイのみを消化。香港へはドバイで1泊してから帰ります。


バーレーン⇒ドバイのCXの以遠権区間は一応ファーストクラス付きの機材で飛んでるみたいですが、全然安くはない。BAH⇒DXBのたかだか1時間20分のフライトでUS$1,700。BAH⇒SXB⇒HKGの通しでこの値段ならまだ考えるけど。

*2019年10月時点では機材がF無しのA333に変更になってるみたいっす。


マナーマ市街地からバーレーン国際空港への移動はA1の路線バスで。


バーレーンの国営航空会社であるガルフ・エアがハブ空港とするバーレーン国際空港。バーレーン首都の国際空港とはいえ、小さなターミナル1つだけの小規模エアポート。


他の湾岸諸国の空港が成金趣味丸出しなロレックスやオメガを好んで使うところ、バーレーン空港のチョイスはブライトリング。このセンスの良さには感銘を受けましたw

ひだり みぎ
また、マクドナルドのこの雰囲気も中東然としていて面白い。

空港制限エリア内のビジネスクラスラウンジについては小さい空港ながらも3箇所あるようだ。
Hala Bahrain Lounge:有償(BHD10~)で入室可能なラウンジ
Falcon Gold Lounge:ガルフ・エアの本丸ラウンジ
Dilmun Lounge:プライオリティパスで入れるラウンジ


中でもDilman Loungeはプライオリティパスの利用者が選ぶラウンジ・オブ・ザ・イヤー(中東部門)での受賞歴を誇るなど、評判の高いラウンジらしい。

ガルフ・エア ファルコン・ゴールド・ラウンジ

ひだり みぎ
3つある主要ラウンジの中で、キャセイの指定ラウンジは中東を代表する老舗航空会社であるガルフ・エア航空のファルコン・ゴールド・ラウンジ。バーレーンの国営企業が運営するバーレーン国際空港内の本丸ラウンジだから、期待しないわけないでしょう。


ファルコン席。大家族の多い中東だけあって、大人数用のファミリー席も用意されている。


ガルフ美人席。

ひだり みぎ
ガルフ・エアの歴史に関する写真の掲示もある。こんなん見てたらガルフ・エアに乗ってみたくなるじゃんかー。


また、大きく設けられた窓からは、数々のレア度高めの飛行機が駐機する様子も眺められる。ミューツー並みのレア度を誇るイラク航空B747をも捕獲できました。

ひだり みぎ
ゴールドで産油国らしい機体が特徴のガルフ・エア。“バーレーン・エア”ではなく“ガルフ・エア”とはバーレーン政府も大きく出たなーと思いきや、元々はバーレーン政府のみならず、UAEアブダビとオマーン政府との3国共同で経営されていたそうだ。文字通り湾岸諸国による連合航空会社だったんすね。それが、ドバイのエミーレーツの成功に感化されてか、オマーンもアブダビもそれぞれオマーン航空とエティハド航空へと資本を投下していく流れとなり、気づけばバーレーンはボッチ。ガルフ・エアは規模を縮小しつつ、バーレーンにより単独で運営されることになったという流れらしい。

ひだり みぎ

ラウンジのミールは予想以上に充実。

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ドリンクも流石はアラブ世界の楽園だけあってアルコールもバッチリ。ガルフエアのラウンジでインド飯とシャンパンという奇妙な組み合わせのランチを堪能できました。

中東御三家のラウンジの様な豪華さはありませんが、料理もお酒もそれなりに充実。雰囲気も悪くなく、バーレーンのプライドが垣間見えるようなラウンジでした。

時間になったのでゲートへと向かう。
ひだり みぎ
ラウンジでは搭乗アナウンスがされないので分からなかったが、ディレイとなるようでちょうどキャセイの機体が駐機場にスポットインするところだった。クルーの皆様はバーレーン泊になるのかな。オツっす。

フライト キャセイパシフィック BAH⇒DXB


ひだり みぎ
懐かしのキャセイパシフィック。まさかこんなところでお世話になるとは。


サウジアラビア発着便とは違って、ちゃんと出発前にアルコールも出ます。当たり前にお酒の飲める日々が返ってきて嬉しいけど、お酒を飲むのに背徳感を覚えるくらいには中東の風習が身に沁み込んでましたw


さらばアラブの楽園バーレーン。


2日間過ごした首都マナーナ。こんなミニ・ドバイ的な埋め立て地だったんすね。

ひだり みぎ
機内でのサービスはサラダプレートとUAE入国の際に使えるファストトラックのクーポンが配布されるのみの簡易な内容。フライト時間がフライト時間だけに空の上ではアルコールも出ませんでした。ゴリ押しして要求すれば呑むことはできるとは思うけど。


ということでやってきたドバイ。やっぱり本家の摩天楼群は迫力が違います。


ドバイでも追加の乗客が多数乗り込んでるのかと思いますが、ドバイ⇒香港まで残る乗客は極々僅かなようでした。黒装束を身に纏ったマダム様方もドバイが最終目的地のようで、香港には向かわずここで一緒に降機。ドバイ市内のホテルへと向かいます。

宿泊記 アラビアンブティックホテル The Domain Hotel and Spa Bahrain

バーレーンでの2日目は、プリファードホテルズにも加盟するアラビアンブティックホテル・The Domain Hotel Bahrainに泊まってみることに。


レートはプリファードホテルのWorld Masterキャンペーンで朝食付き、プレミアムルームへのアップグレード、ミニバー無料特典付きで一泊税(都市税)サ込18,000円。更に、原油価格の下落で財政的に非常に厳しいようで、先にVATを導入したUAEとサウジ兄貴を追いかけるように2019年1月1日から5%のVATが導入されたという悲報が入る。サービス料=10%、都市税=5%に加えてのVAT5%…各湾岸諸国は石油への依存度を低めるのに必死なんだろうけど、出来れば私の旅行が終わるまで辛抱して頂きたかったw


ホテルが位置するのはマナーナの東の果ての外交地区。バーレーン国立博物館やコーランの館が徒歩圏内にあるのがホテル選定の決め手の一つとなった。

あとの決め手は、ホテル最上階のバーラウンジと部屋からの見晴らしが良さ、珍しいモダンアラビックなコンセプトっすかね。プリファードホテルにも加盟しているので品質も担保されてるし。

外観もまずまず立派。最上階には大型スクリーンが設置されていて、アラブ服を身に纏った王族のような人のプロパガンダ的演説が延々と流れてます。

ひだり みぎ

おぉ…建物に入るなり、すさまじいけばけばしさに圧倒される。中東にもこんな攻めた雰囲気のホテルがあったのか。

ひだり みぎ
レセプションではウェルカムティーを頂きながらのチェックイン。モダン路線バリバリの中にもアラブ要素が散りばめられていて、スモールラグジュアリーを謳うアラブ式ブティックホテルかのよう雰囲気。
利用客はアラブ人の若者がメインのようでしたが、女性の服装は普通にチャラくて開放的。ここだけイスラムの戒律の力が及ばない無法地帯なのかというような非中東的な雰囲気でした。こんなホテル、クウェートには先ずないですねw


部屋へと続く廊下もこの通り。やっぱり中東の若い石油富豪がターゲット?

部屋:Premier Room


ひだり みぎ
部屋の写真を上手く撮れなかったので、ドメインホテルのオフィシャルサイトからも画像を拝借。

ひだり みぎ

無料のミニバーはソフトドリンク缶×3とペルシャ湾の海水よりしょっぱい内容。始めから期待してなかったので別に良いですが。

Premier Roomの魅力は何と言っても高層階から見下ろすバーレーン都市部&ペルシャ湾ビュー。
ひだり みぎ

特に、ビルのコーナー部分に設置されたバスタブからの眺めはただただ素晴らしいものがある。


左手にバーレーンの首都マナーナのスカイライン、正面には埋め立てが進むペルシャ湾のビーチが一望できる。ドバイっぽい奇抜な現代的高層ビルも建ち始めてて、現在進行形で進むバーレーンの発展を感じられます。1970年代の金融バブル期に建てられた廃墟的な建物も多いですがw

プール

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ひだり みぎ
最上階のプールもエグいっす。流石に水着を来たアラブ人女性はいらっしゃいませんでしたが、開放的でエロいテイストです。


で、泳ぎ終えて部屋に戻ろうとすると、公衆の面前で堂々とキスをする若者カップルが。さすがアラブの楽園、サウジの遊び場バーレーン!

バーラウンジ


同じく最上階にあるクラブは80sミュージックをガンガンにかけて更にヤバい。ちょうど週末(イスラム圏では金曜日が安息日)ということもあるでしょう。周辺諸国から集結してきたようなアラビアンパリピと白人駐在員で昼間っから溢れ返ってて、そこらへんで男女が人目を憚らず情熱的なハグを交わしてました。夜はもっとエグくて、アラブの楽園ことバーレーンの神髄を見ることができましたね、ええ。

朝食

ひだり みぎ

朝食もお洒落空間で。パリピの朝は遅いのか、クラブはあれだけ人が沢山いて賑わってたのに、朝食会場はもぬけの殻でした。

所感

アラビアンパーティーピーポーだらけという客層で少々煩いのが欠点ですが、部屋からの景色はバーレーン随一の美しさ。ポロン風呂厨にはオススメできるホテルです。

【The Domain Hotel and Spa Bahrain】

所在地:365 Rd Number 1705, Manama, Bahrain
ホームページ:
電話:+973 1600 0000

ディルムン文明から現代まで続くバーレーン史を学ぶ バーレーン国立博物館

バーレーンに来るまで全くもってバーレーンに関する知識が無かった自分。
バーレーンと聞いても、10年くらい前までサッカーのワールドカップアジア最終予選やアジア杯でゴリゴリのカウンター戦略を貫く嫌な相手だったくらいの印象しかない自分の無知を恥じ、先史時代からイスラム化して近現代に至るまでのバーレーンの歴史の変遷を見学できる国立博物館に足を運ぶことにした。

あ、あとバーレーンといえばこれもありましたね…

茂原まで自動で!茂原まで自動で!何言ってるか分からないけど、世界には松木以上にウザっ苦しい解説がいるものだと衝撃を受けた。


しょっぼしょぼだったクウェートの国立博物館と違い、少なくとも外観は産油国の国立博物館らしい立派な造りのバーレーン国立博物館。


先ず、床びっしりにバーレーン中心部の航空写真が貼ってあっていきなり驚かされる。床に航空写真は斬新なアイディアだわ。地元民の方たちは自宅を探したりしてめっちゃ盛り上がってた。

館内は順路的なものがなくどのように周っていくべきか分かりづらいのだが、ディルムン文明など先史時代の歴史の解説から現代のバーレーンの生活様式の紹介まで幅広く展示されているみたい。

最大の目玉は古墳。いきなり古墳どやぁあ!って来る。バーレーンには多くの古墳が遺されてるどやぁ!ってことらしいんだけど、日本の凝った古墳と比べると単純で、正直、土を盛っただけにしか思えなくもない。


古墳の再現。ワイの通った小学校の校庭にもこんなのあったで。土山だったけど。


やっぱりただの山やんけ!と思ったら、それぞれの古墳の地下には石棺が納められ、死者が丸くなった姿勢で様々な副葬品とともに埋葬されるなど、ただのこんもりとした砂の山ではなかった。


しかも、紀元前3000から紀元600年までに造られた15万もの古墳が奄美黄島程度の面積のバーレーンに残されているのだと。古墳大国バーレーン!ただの山やんけ!なんて礼を失した発言をしてしまい申し訳ございません!

そして次なる目玉はバーレーンの伝統技術に関する説明コーナー。湾岸アラブの世界へと脈々と受け継がれてきた伝統技術がマネキンなどを使って解説されています。

ディルムン文明時代から商業を支えてきた陶業を生業とする職人さん。迫真の表情で土器をこねくり回してて、余りのリアルさにドキっとした。


海産物もメソポタミア文明との主力交易商品の1つ。椰子の枝を使って舟を作ってみたり、仕掛けを作ってみたり。当たり前だけど全て現地で取れる材料を使っての手作り作業。凄いっすね昔の人は。


その後、手作り感満載の椰子の枝製の小舟を使った小規模な漁業からダウ船での真珠産業へと進化。1850年代から1930年にかけては真珠産業の黄金期を迎え、20,000人を超えるダイバーが500隻以上のダウ船を用いて真珠産業に従事していたそう。「バーレーン産の真珠はダイヤモンドよりも価値がある」「バーレーンが稼ぎ出す富のうち、実に3/4が真珠由来」とか、当時の真珠バブルっぷりを表すちょっと信じられないパワーワードも並んでいた。

大型のダウ船の船員団はキャプテン以下、キャプテンのアシスタント、ダイバー、シンガー、クック、プラー(ダイバーを縄で海から引き上げる役)など総勢60-80名のチームで構成されていて、総収穫数に対するシェア分けは役割ごとに決まっていた。

しかし、バブルは永遠には続かぬもの。アメリカ発の世界恐慌や日本の養殖真珠産業の発展などにより、1930年を境にバーレーン真珠産業は衰退期へ。
特に日本が大量供給する養殖真珠が真珠の希少性を暴落させ、天然真珠の採取に頼りっきりだったバーレーン経済は破綻騒ぎの大パニック状態。餓死者まで出てこれはやばい!…外貨が稼げなくなり進退窮まったバーレーンはここで石油採掘に舵を切り、1932年、無事に油田ジャックポットを引き当て再び経済楽勝モードの路線に乗りましたよ、と。

最近では伝統的な真珠採取の作業がパールダイビングとして観光コンテンツ化されてるらしいけど、ちょっと日本人は参加しずらいっすね、これw いやいや、あんたんとこが真珠産業をご破算にしてくれてなければいまだに価格破壊が起きずにウチらはウハウハだったんすわとか嫌味言われそうw


採取後は、真珠貝の口を開け真珠を取り出す作業が待っている。ただ、真珠産業で全員が全員潤ってたかというとそうでもなかったようで、真珠商人たちが富裕を極める一方、現場で命を張って頑張るダイバーの皆様は過酷な労働待遇にあったそう。館内には奴隷契約のコントラクト的な資料なんかも掲示されてました。

いやー、なんかすみません。パールダイビングはめっちゃ興味あるんですけど自粛しますw


ということで外に出ると既に真っ暗。隣の国立シアターが燦々と眩いばかりの輝きを放ってました。油田が見つかってほんと良かったっすね!なんかすんません!

【Bahrain National Museum(バーレーン国立博物館)】

営業時間:08:00-20:00
入場料:BD1

入場無料なのに訪問客0の哀しき世界遺産 バーレーン要塞

ペルシャ湾にのんびりと浮かぶ開放的な雰囲気の島国バーレーン。
王国としての建国は1971年8月14日。湾岸諸国の一つで、UEAやカタールと同じく歴史が浅くもオイルのジャックポットを引き当て成長した成金国家なんだろうと思いやって来たのだが、いやはや侮るなかれバーレーン。確かに、国としての現代史を見れば歴史は浅い。というかほぼ無いに等しい。
それがですよ。バーレーンに来てみて分かったのは、世界最古の文明であるメソポタミアとインダスとを繋ぐ中継貿易の拠点として栄えたディルムンなる文明が紀元前2000年頃からこの地に栄えていたという事実。
メソポタミアやインダスは世界最古の四大文明として広く知られているけど、ディルムン文明なぞ耳にかすったことすらない。それでも、メソポタミアとインダスが栄えた時期に、バーレーンにもしっかりと文明が根付いていたという事実を示す遺跡もバーレーン中に数多く残されているんですわ。

ディルムン文明にまつわる遺構の一つが、バーレーン要塞(カラート・アル・バーレーン)。
首都マナーナからほど近いペルシャ湾の海岸沿いにあるというので行ってみた。聞けば、地味に世界遺産にもなっているのだと。世界遺産にもなっているような立派な古代文明の遺跡なのに、なんで日本ではこんなにも認知度が無いのだろう…

バーレーン要塞へと向かう公共交通機関は無いようなので、移動の足はタクシーで。

バーレーンではオイルだけでは生きていけないということなのか、現地人が割と自分で働いているのには驚かされた。しかもくっそ暑いのに、律儀に伝統的なコスチュームまで身に着けてらっしゃる。タクシーの運転手が現地人なんて、カタールやUAEではまず考えられんことですわ。


バーレーンのタクシーの初乗り価格。平日6時から22時は1ディナール(290円)。平日22時から6時と週末祝日は1.25ディナール(360円)。この他、ホテルから乗る場合は1ディナール、空港から乗る場合は2ディナールが加算される。1ディナール≒300円弱と通貨価値が高いので、ちょっとタクシーメーターが動くだけでドキッとしてしまったわw

今回はバーレーン門⇒バーレーン要塞⇒アル・ハミース・モスク⇒シェラトンとメーターで周ってもらって15ディナール(≒4,300円)弱。やっぱり東南アジアや中国くらいのノリでチャーターしたら結構するので、これなら自分でレンタカーを運転して郊外のアアリ古墳や生命の木も一緒に見に行けばよかったかもしれん。


バーレーン門から爽やかな海岸沿いを走り抜け、20分ほどでバーレーン要塞脇に建てられた博物館へと到着した。

バーレーン要塞 博物館

メソポタミア文明とインダス文明を結ぶ交易の要衝として、少なくとも紀元前2300年頃には今日のバーレーンの地に栄えていたとされる古代都市ディルムン。その古代文明の中心地とされるバーレーン要塞は、2005年に「バーレーン要塞、ディルムンの古代の港と首都」の名称で世界遺産にも登録されている。

世界遺産に相応しい立派な箱物をした博物館だが、ワイ以外に訪問客はいないよう。無理にでも雇用を創出したいのか、その割には学芸員さんや清掃員がやたらといて世間話に花を咲かせてたのが印象的。世界遺産併設の快適な博物館で世間話するだけの簡単なお仕事、常にアウトプットでの付加価値向上を強いられるストレスフルな勤務環境にいる日本人としては、ただただ羨ましく思えてくるっす。ワイも中東への出稼ぎ労働者に転身しようかなw


伝統的なディルマン船。こういった椰子の枝で作られた小さな舟で短距離の交易がおこなわれていたそうな。貨物を積んだら直ぐに沈んでしまいそうなものですけどね…


具体的にメソポタミアやインダスとどういった品目を交易していたかについてはまだまだ解き明かされていないようだが、メソポタミア側が穀物・銀・オリーブオイルなどを輸出し、ディルムン側は銅・木材・真珠・インダスの象牙や亀甲などを輸出していたと考えられているそうだ。

ひだり みぎ
今日のバーレーン要塞に残されているのは、16世紀にバーレーン島を占領したポルトガル軍が造営した要塞跡。その一つ下の層には、14世紀にアラブ人が作った要塞跡が埋まり、更にはササーン朝様式、そしてディルムンの古代様式と、紀元前2300年頃からの文明跡が幾重にも重なるように埋もれているそうだ。

バーレーン遺跡

14世紀にペルシャ湾の海岸沿いにアラブ人が築いた砦を基にして、16世紀にバーレーンにやってきたポルトガル人が現在見られる要塞を建造した。16世紀と言えば大航海時代でポルトガルがイケイケガンガンだった時代だろうか。領土を拡大したい!という野望をもって船で喜望峰をぐるっと回ってこんなところまで来ちゃうんだから凄いよな。ワイなんて飛行機の出張でちょっとアジアに行くのにすら億劫に感じるのに。
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というわけで、ようするにディルムン文明の遺跡は地中に埋もれたまま未発掘の状態であるようっすね。でも、これだけ幅広い時代の遺跡が一か所に集中している希少性の高さから、「バーレーン要塞 、ディルムンの古代の港と首都」として世界遺産に登録されたそうだ。

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この地中から顔をのぞかせている遺跡はアラブ時代の物?現代的高層ビル群のコントラストが良い味出しているっす。


ひだり みぎ
もうちょっと陸地側に歩くと、要塞感たっぷりの遺跡が見えてきた。


中にも入ることができるみたい。しかも、博物館と違って無料。無料で入れる世界遺産も珍しいわ。それでいて観光客が誰一人としていないとか、もっと珍しい。


イケイケのポルトガルにより建てられた要塞だけあって、生半可な攻撃ではびくともしないような堅牢な造り。中も広々としてしています。

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地下室や井戸、イスラム風の造りの隠し部屋なんかもあったりと、要塞の中で冒険気分が味わえます。


遠くに香るオイルマネー。

うーん。歴史が無いと言われる湾岸諸国では単に発掘調査が進んでないだけで立派な文明が古代から存在していたというのは勉強になりましたが、いま見れる遺跡自体はディルムン時代に築かれたものじゃなかったというのはちょこっとした誤算。博物館もディルムン時代の出土品がメインという訳ではなかったし…いくら世界遺産とはいえ、ここだけの為にバーレーンに来るとがっかりしてしまうと思います。

【バーレーン要塞】

博物館入館料:BHD2(遺跡だけなら無料)
休館日:月曜日
所在地:Qal’at Al Bahrain Ave, Al Qalah, Bahrain
+973 1756 7171

アラブ世界の楽園 バーレーンの首都マナーナ

アラビア湾に浮かぶバーレーンは、穏やかな気候に恵まれた奄美黄島程度の小さな群島国家。イスラム国家でありながらアルコールが飲めたり戒律が緩くて開放的なことから、週末の夜にはサウジアラビア等周辺諸国から娯楽を求めにパーティー難民が押し寄せるアラブの遊び場的存在らしい。


サウジアラビアとは橋でつながっていますからね。この橋が週末にもなるとサウジアラビアン製パリピやサウジ駐在員たちによる渋滞で大変な状態になるらしい。ようは、娯楽を求めるサウジ在住者難民の逃避場所的な位置づけなんでしょうね。

ということで、アラブの遊び場を歩いてみます。

ひだり みぎ
先ずは宿泊先のシェラトン直結のモール“Bahrain Commercial Complex”へ。やたらとでっかい高級モールが町の中心に建てられるのは、他の湾岸諸国と同じっすね。

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モールの入り口で自撮りしてたパキスタンからのおっさん集団。最初は、あー、おっさんが自撮りしてるわー程度でスルーしたんだけど、モールを出ようとしたら未だ同じ場所で自撮りに励んでてクソワロw 聞けば、15分くらいずっと角度変えたりジャケットを羽織ってみたりと構図を変えながらパシャパシャやり続けてるらしいw しまいにゃワイも彼らと一緒にフレームに収まる羽目にw

ほんとインドとかパキスタンの人達って自撮りが好きで、バーレーンのレストランを探そうとしても、トリップアドバイザーのレストラン紹介ページにアップされた画像がインド人の自撮りばかりで何の参考にもならなかったりw。せめて顔のレベルとレストランの味のレベルが比例してくれるなら参考になるのですが、レストランへの自撮りテロはほんと勘弁頂きたいw
ひだり みぎ
高級モールの中にはモスクがあって、お祈り中はお店も休み。

お祈りが終わるまで待ってまで欲しいものも無かったので、モールの外に出て旧市街地の方へと歩いていくことに。
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砂っぽかったクウェートと違って実に爽やかな空模様に開放感ある街並み。

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奇抜な高層ビルが立ち並ぶ中でも、バーレーンのアイコン的存在のワールドトレードセンタービルが一際強烈な存在感を放っている。何気なく細部を見たら2棟のタワー間に3基の風力タービンが設置されてるんすからw

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夜だけどこんな感じ。船の帆のような独特な形をしたタワーも、ペルシャ湾からの風力を効率良く電気エネルギーに変換できるよう空気力学を駆使して設計されたのだと。


斜め方向の平目ローレットが凄い浅い角度で施されたシャフトのような独特な建物は、バーレーンで目下最高級のホテルの一つ・Wyndham Grand Bahrain。この日は一泊40,000円~でした。


マナーナーのメインストリート・ガバメントアベニューを西へと歩いていくと、高層ビルが建ち並ぶ海岸線沿いの通りから一転、生活感いっぱいの旧市街地に行き当たった。


いつものカーネルおじさんの笑顔も、隣にアラビア語があるだけでどこかちょっと違った見え方になるな。何か企んでそう。


バーレーンとは40年来の付き合いらしい、キャセイパシフィック。Bahrain-Dubaiという超マイナーなウルトラショート以遠便を飛ばしていて、ワイも翌々日にお世話になる予定。


両替しようと銀行に入ってみたら、銀行内はどうみても南アジア。ここがインドの飛び地と言われても疑いませんわ。


マクドナルドもインドに忖度。ここら一帯はとにかくインド人・パキスタン人だらけ。バーレーン人より印パからの出稼ぎ労働者の方がマジョリティになっているらしい。

町の中心とされるバブ・アル・バーレーン(バーレーン門)付近は更に南アジア色が濃厚。
ひだり みぎ
町中で流れる音楽や匂いも、どこか南アジアっぽいものがあるバーレーン。ドバイやドーハのような華やかな雰囲気も、オマーンのような伝統的な情緒も一切感じられない、少し寂れた南アジア感。昼間から携帯ラジオ(?)をガンガンに鳴らして大声あげながら歩く危なげな人種もおりました。

ひだり みぎ
アバヤだけじゃなくサリーだったり、服飾屋さんはアラブ世界にしては非常にカラフルな品揃え。おー、ターバン買ってけ買ってけー。カシミア100%の高級品が安いぞー!カシミヤ、ナンバルワン!なんて声もかけられるけど、触った感じ明らかにカシミアじゃないというね。


こんな南アジアからの出稼ぎ労働者しかいない場所のサロンの看板にベッカムを起用しても訴求力0だろ。

どこか懐かしくすら思えてくるような、南アジアの混沌がここにはありました。

ちな、夜はこんな感じ。

街歩きの中心バーレーン門。もともとは1945年に建てられた政府庁舎であり、市街地への門だった。この門をくぐって南へ向かうと、少しだけアラブな雰囲気が感じられるスーク地区が広がっている。

ひだり みぎ
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アラビアンなランプ屋がメイン。でもやっぱり店員はインド人だったりバングラデシュ人だったりして、アラビアンランプ、ナンバルワン!とインド訛りの英語で声をかけてくる。

ひだり みぎ
やっぱ夜も南インドでした。たまーに奇人がおりますが、基本的な治安としては全くもって悪くなさそうです。

洋風のバーとかクラブとかは、高級ホテルの中に入ってるケースが多いっすかね。

特に、二泊目に泊まったThe Domain Bahrain Manama‎のクラブはエグかった(意味深)ですし、一泊目に泊まったシェラトンでは中国人娼婦が暗躍してました。

物価もクウェートよりは安い。治安も悪くない。酒が飲める。なんだったら世界遺産まである。これだけでもう十分。