エッグタルト美味すぎ リスボン空港のTAPポルトガル航空本丸ラウンジへ

おはようございます。4泊したポルトガルを離れ、次なる目的地であるモロッコへと移動します。

最高にポルトガルを満喫できた4日間だったのですが、髭がなんだか急速に濃くなった気がするのは気のせいでしょうか。食べ物による作用?日光による作用?ポルトガル育毛ブーム、来るんじゃないかコレ。と思ったけどザビエルのイメージがあるんで流行らなそうですね。

空港へ

なんだかもう髭を剃るのも面倒だったので、髭面のままメトロでリスボン・ウンベルト・デルガード空港へ。

ついつい居眠りしてたら終着駅の空港の先にある車庫まで連れてかれてましたwたぶん、「終着駅ー。降りて下さいー」的なアナウンスはあったのかとは思いますが、車内の確認無しに車庫入れするんすかw 結局、寝落ちてたワイは無地に車庫で発見され、次に車庫から出るメトロに乗って何事もなかったかのように空港へw 「おーい、あなた乗り過ぎたぞー。起きてー」って倉庫に入ってから言いますかw このゆるーい感じがポルトガルらしくて最高ですw

搭乗手続き


リスボン国際空港には1と2の二つのターミナルがありますが、一部のLCCを除き国際線・国内線共に殆どの主要路線はターミナル1を利用。吹き抜けのホールの2階に上がって搭乗手続きを済ませます。


エスカレーターを上がると、有人カウンターがゲロ混みだったからか、空港スタッフに自動チェックイン機を使うよう促される。パスポートの顔写真ページをかざすだけで搭乗券が発券されてくる優れものらしい…が、何故かワイのパスポートはデータを読み込んでもらえず。ゲロ忙しそうなスタッフを漸くの思いで捕まえて問題提起すると、なにやら機械をいじった挙句に、「Just a moment please」と言ってワイのパスポート持って別室に入っていきやがった。

で、15分くらい待たされて、導き出された結論は「有人カウンターにお並び下さい。」…うん、知ってた。もともと有人カウンターに並んでたら、今ごろワイはラウンジでヒャッハーしてましたわ。「Just a moment please」のmomentどんだけ長いんすかw

TAPプレミアムラウンジ


思わぬ形でタイムロスが発生し、搭乗開始時刻まで残り8分。時間は押してたけどせっかくなのでTAPのプレミアムラウンジに立ち寄ることに。本丸ラウンジってどこの航空会社も気合入れて作ってますからね。

今までの体験から言うと、ベスト本丸ラウンジはカタール航空のドーハ・アルサファラウンジ。

良い意味で期待を裏切ってくれました賞はミドルイースト航空の本拠地レバノンのラウンジ。

世界には色んな特徴を持ったラウンジがあるわけですが、ここリスボンのTAPラウンジは如何に!?

ひだり みぎ
ラウンジ内はポルトガルのナショナルカラーでありTAPポルトガルのコーポレートカラーであるグリーンをところどころに配したモダンポップな雰囲気。昨今の風潮である重厚でエクスクルーシブな雰囲気は一切無いカジュアルなラウンジです。

ひだり みぎ
バーテン付きのバーカウンターがあったり、立ち飲みスペースもあったり。



ボタンを押すだけでポートワインと地場の生ビールも飲み放題です。ワインサーバーがあるあたり、さすがはポートワインを生んだ国ですね。

ミールもワインに合うハムやチーズ、ちょこちょこっとしたカナッペが中心でしたが、ポルトガルらしいダックライスや本格的なエッグタルトも置かれてました。


特に、エッグタルトはガチのやつ。マカオのはサクサクっとした生地感を大事にしていて、ポルトガルのはクリーミーさを重視しているような印象。高温でぐつぐつされたカスタードクリームの濃厚なこと濃厚なこと。

このエッグタルトの為だけにラウンジに寄る価値があると言っても過言ではないくらい。お勧めです!

宿泊記 Hotel Marques De Pombalとリスボンのお勧めレストラン“Rubro Avenida”

インターコンチネンタルが非常に残念な感じだったので、リスボンでの2日目はホテルを引っ越すことに。

やっぱりクリロナホテルに行くべきか!?どちらかといえばメッシ派だけど…

宿泊日前日にCR7の予約を取ろうとしましたが、ハイシーズンという季節条件も重なって空室無し。やっぱポルトガルでのクリロナブランドは絶大ですわ。

まぁ明日の朝には空港に行くんだし、もうここはホテルの質を落としてでも空港へのアクセスを最優先で行こう。ということで、空港バスの乗り場まで徒歩数分、メトロのMarques De Pombal駅前にあるHotel Marques De Pombalに泊まることにしました。

Hotel Marques De Pombal


一応は4つ星ということで、一階にはエレベーターのボタンを代わりに押してくれるだけみたいな無駄な人員までかけている。いや、もしかしたらコンシェルジュ的な役割とかも兼ねてるのかもしれないけど、自分が見た時はエレベーターのボタンを押すだけのエレベーターボーイだった。重そうな荷物を複数抱えた白人が来ても荷物を持とうともせず、ひたすら笑顔でボタンプッシュという簡単なお仕事です。もしかしたらアンドロイドだったのかもな。

ひだり みぎ
スタンダードダブルの部屋も意外とまとも。セーフティーボックスや無料のインスタントコーヒー・ティーバッグなんかも置かれてる。いや、まぁ無料とは書かれてなかったけど、たぶん無料でしょう。



水回りも全然悪くない。ただ、ペットボトルの無料水が無いんですよね。おっ、エビアンじゃん!と思ったらスキンケア用スプレーだし。

仕方なく水を求めて町をぶらぶら。


ホテルがあるのは町のド中心を貫くリベルラーデ大通り沿いですが、緑豊かだし石畳が整備されていたりで優雅な雰囲気。


おっ、なんかパステルグリーンのオシャレな建物を発見。なんかの現代美術館かな?と思ったらまさかのホリデイインエクスプレスでした。


インターコンチネンタルよりお高いホリデイインエクスプレスw これもう見た目的にも価格的にもインディゴでしょw バジェット系のホリデイインエクスプレスからオシャレ系ハイブランドのインディゴという夢の成り上がりリブランドを目指して欲しい。

そんな高級ホリデイインエクスプレスを過ぎたところでコンビニ発見。
ひだり みぎ
ワイン安っ。1リットル1ユーロ以下とかで詰め替え用パックみたいなのも売ってるし。葡萄ジュースより安いですやんw

Rubro Avenida


コンビニで水やらなんやらも調達できたことだし、お次はホテル近くにあったコスパの良いバル“Rubro Avenida”へ。


(コンビニと比べて相対的に)ワイン高っ。でもせっかくなので良いのを飲む。というか飲まされる。「No Wine, Only Water Please. Evian? No No No No NOOO, just a glass of tap water is fine, thank you(ワインは要らないんで水だけで。エビアン?いやいや、水道水で十分)」とかゴリゴリと主張して水道水だけで済ませた隣の白人老夫婦のようにワインバー的なところのディナーで水道水ごり押しできる図々しさ鋼のメンタル持ってないですからねw

ひだり みぎ
料理も美味っ。お勧めのなんちゃらスープは普通として、イカ墨の海鮮パエリアは海鮮汁が詰まった香ばしさもあって絶品だった。

こりゃあ会計が怖い!と恐る恐るチェックのお願いをすると…なんとトータル19.25ユーロ。安っ。しかも、お通し的なパンやらオリーブオイルの料金も乗った上でのこの金額。オリーブオイルのお金取るんかい!しかもパンより高くて1ユーロ!!勿体ないからオリーブオイル飲んだるか!?って突っ込みたかったけど、この金額なら全然あり。満足度の高いレストランでした。

【Rubro Avenida】

所在地:R. Rodrigues Sampaio 33 35, 1150-278 Lisboa,
公式サイト:www.restauranterubro.com
電話:+351 21 314 4656

ホテルの朝食

ひだり みぎ
ひだり みぎ
翌日はホテルの朝食も付いてたんですが、昨日の夜に散々食べ散らかしたので重い物は食べられず。


乙女か!ってくらい軽い朝食を済ませて空港へと向かいます。

【Hotel Marques De Pombal】

所在地:Av. da Liberdade 243, 1250-143 Lisboa
公式サイト:www.hotel-marquesdepombal.pt
電話:+351 21 319 7900

リスボンから日帰りでシントラとロカ岬へ4 港町ベレンの発見のモニュメント

ロカ岬で大航海時代の英雄たちへの想いを馳せたあと、更なる大航海ロマンを求めて港町ベレンへと向かいます。

往路はシントラを経由してロカ岬へと向かいましたが、帰路はカスカイユ経由で。

カスカイスもポルトガルでは有名なビーチリゾートで、カジノなんかもあったりするらしいんですよね。リゾートタイプでめちゃめちゃ良さげなインターコンチネンタルもあったんで、カスカイスで一泊しようかめっちゃ迷った。でも、翌日のフライトでモロッコに行くことを考えたらやっぱりリスボンに宿を取った方が良いと思い、カスカイスのインターコンチネンタルは泣く泣くスルー。


インターコンチネンタルに後ろ髪を引かれる思いでカスカイスを後にします。


30分後、ベレンの列車駅にて下車。進行方向とは逆側に少し歩くと、テージョ川の畔にベレンのシンボルの一つである“発見のモニュメント”が見えてきました。


外洋航海に適したヨーロッパ最西端という地の利を存分に生かして大航海時代という新たな時代を切り開き、栄耀栄華の黄金時代を築いたかつての海洋帝国ポルトガル。喜望峰やインド航路の発見、ブラジルへの到達、世界初の世界一周といった前人未到の歴史的偉業の数々を成し遂げポルトガルの黄金期を築いた豪華メンバーがモニュメントに刻み込まれてます。



高さ52mの巨大モニュメントの先端にエンリケ航海王子が、その背後にポルトガルが誇る32人の偉人像が密に並ぶという威容っぷり。まさにポルトガルロマンの象徴的モニュメントです。

そんな超豪華オールスター軍団のメンツを見ていきましょう。

先頭:エンリケ航海王子
モニュメントの東側:
アフォンソ5世 – 大航海時代の王
ヴァスコ・ダ・ガマ – インド航路発見者
アフォンソ・バルダイア – 騎士
ペドロ・アルヴァレス・カブラル – ブラジル発見者
フェルナン・デ・マガリャンエス(フェルディナンド・マゼラン) – 初の世界一周成功者
ニコラウ・コエーリョ – 航海士
ガスバール・コルテ・レアル – 航海士
マルティン・アフォンソ・デ・ソーザ – 航海士
ジョアン・バーロス – 歴史家
エステバ・デ・ガマ – 大航海時代の船長
バルトロメウ・ディアス – 喜望峰を初めてまわりインド洋へ到達した人物
ディオゴ・カオン – コンゴ川に到達した最初の人物
アントニオ・デ・アブレウ – モルッカ諸島に到達した最初の人物
アフォンソ・デ・アルブケルケ – ポルトガル領インド第2代総督(副王)
フランシスコ・ザビエル – 日本へ1549年にキリスト教を伝道した宣教師
クリストバウン・ダ・ガマ – 航海士・騎士

モニュメントの西側:
フェルナンド聖王子- ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の弟
ジョアン・ゴン・サルベス – 騎士
ジル・イアネス – 航海士
ペロ・デ・アレンケーレ – 航海士
ペドロ・ヌネス – 15世紀の数学者
ペロ・デ・エスコバール – 航海士
ジャコメ・デ・マイオルカ – 天文学者
ペロ・ダ・ゴビリャン – 15世紀の冒険家、陸路でインド到達。
ゴメス・イアネス・デ・ズラーラ – 作家
ヌノ・ゴンサルヴェス – 15世紀の画家
ルイス・デ・カモンイス – ルネサンス期の詩人。
フエレイ・エンリケ・カルバーリョ – 神学者
フェルナン・ゴンサロ・デ・カルバーリョ – 神学者
ドナ・フィリパ・デ・レンカストレ – ジョアン1世の王妃、エンリケ航海王子らの母
ペドロ・デ・コインブラ – ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の兄
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/発見のモニュメント

ひだり みぎ
そう、錚々たる面々の中に、ちゃっかり我らがザビエルさんの姿も。
しかも日本ではハゲの代名詞的ネタキャラなのに、ここでは偉人として美化されているのか髪フサフサの超イケメン。ブサ面で親近感抱いてたのに、これもう受け入れがたいくらいに全くの別人ですw


そんな勇猛果敢なる開拓者たちの活躍の軌跡がモニュメント前の広場の床に可視化されてます。


ジャポンは1541年。ん、あれ、「以後予算(1543)が苦しい鉄砲伝来」じゃないの?どうやら、種子島にポルトガル商人が上陸した1543年の2年前に、ポルトガル人のどなたか様が豊後に漂着してたそうです。ポルトガルがそういうんだから間違いない!

1480年:西アフリカのマリ
1488年:喜望峰(アフリカ大陸南端)
1498年:インド
1500年:ブラジル
1509年:マラッカ
1514年:広東
1541年:日本

順調に世界のマップを埋めてってるのがイケイケガンガン感あって良いですよね。ブラジルだけは、インドを目指してたカブラルおじさんがたまたま漂着しちゃったみたいですが。それで中南米でブラジルだけがポルトガル圏になっちゃったわけですから、歴史って分からないものです。

【発見のモニュメント】

リスボンから日帰りでシントラとロカ岬へ3 地の果てで大航海時代に思いを馳せる

シントラ王宮の見学を終え、いよいよ巨大なユーラシア大陸の西の果てにあるロカ岬へと移動します。


別に陸路で巨大なユーラシア大陸を横断してきた訳ではないけれど、極東から無駄に何度も何度も飛行機を何度も乗り継いできただけあって、西の最果てに到達したという感激もひとしお。こうして地図を改めて見てみると、確かに遠くまできたもんだなぁと。


王宮前のワインバーで飲んだ20年物のトウニーポートのお陰で、より一層感慨深く思えてきますね。ポートワインはアルコール度数が高いくせに、甘くてついグビグビといっちゃうんですよ。

景気づけの一杯(三杯)を飲み、いよいよシントラ駅前からロカ岬行きのバスに乗り込みます。
やはりポルトガルでも屈指の観光地ということもあって、世界各国からの老若男女がバスに集結しておりました。いよいよ来たなーといった感じでテンションが上がりますね。ポートワインのお陰で余計に。

シントラからロカ岬へは403番のバスで40分ほど。くねくね道を少し走ると、さっそく緑の大地の奥に真っ青な大西洋が見えてきました。


おー、着いた。大量の観光客とともにバスから吐き出され、大西洋から吹き付ける強めの風を受けて最西端のポイントに向け歩きます。もっと観光地観光地してるかと思ったら、記念碑と小さな観光案内所があるぐらいで、他は全く何もないんすね。観光客が多い点を除けば、本当にただの岬ですね。良い感じです。

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ロカ岬周辺はシントラ・カスカイス自然公園となっていて、岬一帯には色とりどりの花が咲き乱れてます。楽園かな?


そして、ついにやってきたユーラシア大陸の終わり。広々とした花々の絨毯が敷かれた大地の突端が高さ140mの断崖となって大西洋に落ち込むと、そこから先はどこまでも広がる大海原。
いやー、すごい。穏やかなモルディブの海とも違ければ、爽やかなエーゲ海とも違う、どこか荒々しいイメージの海。確かに、「この荒れ狂う大海原の行き着く先には一体、何があるんだろう?」という好奇心が湧いてくる気がしますね。

大航海時代に名を馳せたポルトガルの船乗りたちも、かつてはこういった海を眺めて未だ見ぬ新大陸に思いを馳せていたのかもしれません。この先に大陸がある保障もないのに見渡す限りの大海原に飛び込んでいったわけですから。

地球球体説が有力になりつつあった時代とはいえ、地球の淵まで辿り着いたら真っ逆さまに落下しちゃうんじゃね!?みたいな得体のしれない恐怖心だってあったろうに。世界の果ては滝になっているだの、妖怪が口を開いて待ち構えてるだの言いたい放題の迷信が跋扈していた時代ですからね。

なんて大航海時代の覇者ポルトガルの英雄たちに思いを馳せながら岬の中心へ。

北緯38度47分、西緯9度30分の地点には、ポルトガルの英雄的詩人カモンイスが詠んだ叙事詩の一句が刻まれた石碑がぽつんと建ってます。

Aqui…Onde A Terra Se Acaba E O Marcomeca – ここに地果て、海始まる。

うまいこと言ってる感あるけど、海ってわりとどこもそういうもんだよね…意外と薄っぺらい言葉なんじゃね…なんて突っ込みたくもなってくる絶妙な名句。


因みに、ユーラシア大陸の東端・南端・北端はそれぞれロシア・マレーシア・ロシアにあります。いつかそれぞれの端を制覇したいですね。

デジニョフ岬 – ロシア・チュクチ半島にあるユーラシア大陸最東端の岬。
タンジュン・ピアイ – マレーシア・マレー半島にあるユーラシア大陸の最南端の岬。
チェリュスキン岬 – ロシア・タイミル半島にあるユーラシア大陸の最北端の岬。


さて、この記念碑の奥の遊歩道をもう少し奥まで歩いててみると…柵も無く、足元がすくむほどの地の果て感が味わえます。

まぁぶっちゃけ言ったらただの岬っちゃただの岬なんですけどね。ただ、それでもやっぱり遥々来てよかったなとは思います。特にここまで来て何をしたとか何を得たってわけでもないですが、大航海時代へのロマンは感じることができましたね。このテンションのまま、同様に大航海時代に縁のありそうな町・ベレンへと移動します。

リスボンから日帰りでシントラとロカ岬へ2 シントラ王宮

ダンジョン感たっぷりだったレガレイラ宮殿での冒険を終え、お次は山の向こうに見える王宮を目指して山道を歩いていきます。


でもあれ、本当に王宮で間違いないかな?なんか老朽化した地方のアパート感あるけど…。レガレイラ宮殿から一緒に歩いたイギリス人夫妻なんかは、王宮はショボそうなのでスルーしてムーアの城壁までハイキングを楽しむと言っていたくらいだし。そう、王宮なのにどうもパットしないというか、シントラの観光スポットの中でも人気の序列でいうと再開なんですよね。
ペーナ宮殿≧ムーアの城壁>レガレイラ宮殿>王宮といった感じの扱いになっていて、シントラを訪れる旅人には軽視されがちというか。王宮なのに。


山道の途中でイギリス人夫妻と分かれて直ぐに視界が開け、広場の正面に真っ白な外壁と2本の円錐型の塔が特徴的な王宮が見えてきた。アパートとまでは言わないにせよ、ヨーロッパの宮殿にしては、確かに意外と地味というか質素な外観でした。

では、王宮王宮と言ってるけど、一体どの王朝時代に建てられたものなのか。
その歴史は古く、元々はイベリア半島を支配していたイスラム勢力のムーア人支配者が住居として建てたものらしい。それを12世紀にポルトガル王アフォンソ1世がイスラム勢力を駆逐した際に収用。13世紀にはディニス王が居城として整備、その後ジョアン1世やマヌエル1世が増改築を繰り返していったという歴史があるんですと。

歴代の王族がそれぞれの趣向に応じてアレンジを繰り返してきたため、イスラムのムーア様式をベースにゴシック、ルネッサンス、マヌエルといった様々な建築様式がごっちゃになった特徴ある建物になったのだと。

入場料は10ユーロ。早速中に入ってみましょう。部屋ごとにそれぞれ独自の世界観が表現されているみたいですよ。

白鳥の間:
ひだり みぎ
先ずはポルトガル王国アヴィス王朝の創始者であり、“大王”ことジョアン一世(在位:1385年 – 1433年)の時代に作られたという白鳥の間。宮廷舞踏会場として使用された大広間で、天井には首に王冠を付けた27羽の白鳥が描かれています。なぜに白鳥?それにはきっとジョアン一世なりの深い訳があったのでしょう。

あと、どうでも良いですが、ヨーロッパ特有の〇〇王という二つ名はポルトガル国王にもあったんですね。
ジョゼ1世=改革王、アフォンソ4世=勇敢王、ルイス1世=民衆王とか、王の成し遂げた偉業に相応しい威厳たっぷりの愛称が並ぶ中…

アフォンソ2世=肥満王。

肥満とか、身体的特徴やんけw まぁ世の中には禿頭王と呼ばれるやつもいるくらいだから。涙拭けよアフォンソ2世。

カササギの間:

ひだり みぎ
話が逸れてしまいましたが、続いても大王時代に作られた大部屋。壁にイスラム風のタイル装飾を施されたこの部屋はカササギの間という名前で、当然、天井にはカササギが元気よく舞っています。

カササギって縁起が良い鳥ですからね。
え?違う?

鵲のくちばしにはpot bem(善意で、という意味)と書かれた紅バラがくわえられている。これには逸話があり、ある時、ジョアン1世は女官にキスしているところを王妃フィリパ・デ・レンカストレに見つけられた。王は『善意でキスしたのだ。』と弁解し、フィリパは何も言わなかったが、噂が女官たちの間で広まってしまった。王は、「おしゃべり」という意味のある鳥である鵲を部屋の装飾に用い、かつまたフィリパの実家ランカスター家の紋章である紅バラを描かせた。

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/シントラ宮殿
ちょっと意味が分かりませんが、深い訳がありましたね。クリントンもこれくらい突拍子もない謎の打ち手を講じてくれれば良かったのに。

紋章の間:

ひだり みぎ
王宮の最上部にあるひときわ派手に彩られたこちらの部屋は、“幸運王”ことマヌエル一世(在位:1495年 – 1521年)の統治時代(1495年から1521年まで)に作られた紋章の間。ドーム天井にはポルトガル王侯貴族の紋章が描かれています。

ひだり みぎ
壁にも狩猟の光景を描いたアズレージョでびっしりと装飾されていて、ポルトガルならではの芸術が詰まった空間となっています。


ポルトガル王室が誇る偉大なる国王たちにより作られた華やかな広間の数々!…だけではないんですよね。当然、中には官位にそぐわぬダメダメな性格や能力の王様もいたわけで。その最たる人がアフォンソ6世。

いや、ね。実際お会いしたわけではないんですがね。現代に残された資料などによると、どうも情緒不安定で粗暴な人間で、ヌムール公女だった妻からは「この無能で不能なヤツ」とこき下ろされた挙句、実の弟により実権を奪われて島流しに遭ってしまうという。で、ようやく本土に戻れたと思ったら妻は実弟と結婚して子供産んでるし、結局は狭い部屋の中での幽閉生活が待ってるしわという。

で、この部屋こそがアフォンソ6世が50にして亡くなるまで軟禁されていたという座敷牢。冷の中でぐるぐると歩き回っていたのであろう、絨毯が擦り切れていたりするのが生々しかった…

涙拭けよ、アフォンソ6世!なんてネタにもできないくらの悲劇的な人生ですね。無能で不能は男として同情しますよ。合掌。

【シントラ王宮】

所在地:Largo Rainha Dona Amelia, 2710-616 Sintra.
電話:+351 21 923 7300